第136話 筋肉な臨時司祭様
「大丈夫か? テオ?」
「ああ、大丈夫……じゃないな」
俺の名前はテオ。
バウマイスター騎士爵領に住む、今年で二十一歳になる農民だ。
俺は長男なので実家の農地を継ぐ予定であり、三年前に結婚して、去年は長男も生まれている。
ここ最近、領内ではクルト様とヴェンデリン様のどちらが次の領主に相応しいか議論が活発になっているけれども。
俺から言わせてもらえば、そんなことは偉い人たちが決めるから、なるようにしかならないと思っている。
どうせなにか意見しても、本村落のエックハルトたちや、富農の爺さんたちが『若造が生意気言うな!』と激怒して終わりだからな。
反論するのも疲れるから、あいつらなんて無視すればいいんだ。
ただこのところ、ヴェンデリン様が未開地を開拓して田んぼを広げていたし、この前はうちの畑を広げてくれて、さらに農作業がしやすいよう区画整理までしてくれた。
あえて口には出さないが、まあ勝負はあったんだろうなと。
俺はただの農民だから、どちらが新しい領主様になっても日々の生活で忙しいだけなんだけど……と言っておくのが、庶民の知恵だと思うんだ。
そんなわけで、俺は今日も農作業に忙しい。
俺はさほど体格に恵まれているわけではないが、逆に体が細くて軽いので、森で木になった果物を採るのが得意だった。
農作業終了後、近所の人たちと森にアケビを採りに行ったんだけど、木登りが得意なはずの俺が思わぬミスをしてしまう。
気が抜けていたのか?
手を滑らせて、そのまま木から落ちてしまったんだ。
俺は地面に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まってしまった。
「テオ、右手が折れてないか?」
「これは、ポッキリと折れているな」
「そうなのか? ああっ、本当だ!」
「なんでわからねえんだ? テオ」
「地面に落ちた時に背中を強く打って、そっちの痛みが大きかったからだと思う」
すぐに、隣の家に住むクラウドの爺さんが添え木をして布を巻いてくれた。
骨が折れたら、なるべく真っ直ぐにしてから添え木で固定して布を巻く。
昔から、そういう風に教わっているそうだ。
本当は治療院に行くか、治癒魔法が使える神官様の所に行くべきなんだろうけど、生憎とこのバウマイスター騎士爵家領には、そんな便利な施設や人は存在していない。
司祭のマイスター様は優しい人なんだけど、治癒魔法は使えないんだよなぁ。
ただ薬草学には長けているとかで、病気なら薬を処方してくれるんだけど。
「骨折は痛いなぁ。嫁に迷惑をかけるし」
「大丈夫だ。今はエリーゼ様がいるから」
「そう言えばそうだったな」
クラウドの爺さんは、ここ最近腰痛に悩まされていた。
だが、同じく腰を痛めて休養中のマイスター様の代理で司祭をしているエリーゼ様が、得意な治癒魔法で治してくれたそうだ。
『腰痛は治るし、エリーゼ様は綺麗だし、治癒魔法をかけてくれる時にいい匂いがするんだよなぁ』
クラウドの爺さんは、エリーゼ様から治療を受けた時の様子をうっとりとした表情で語り、あとで奥さんにシバかれていた。
『あと、あの胸がなぁ。一回でいいから触ってみたい』
間違いなく、つけ加えたその一言が致命的であったのだと思う。
クラウドの爺さんは、再び奥さんにシバかれてしまった。
同じ男として気持ちはわかるが、余計なことを言わなければいいのに……。
というか、そういう邪な発言のせいでエリーゼ様が治療をしてくれなくなったら、間違いなくクラウドの爺さんは村八分だと思うから、もう黙っていろって。
「とにかくその手ではなにもできないだろう。エリーゼ様に治してもらって来い」
「わかった。ちょうどエリーゼ様がいてラッキーだったな」
俺は極めて冷静に、このままだと明日からの農作業に支障を来たすからという大義の元。
内心では、心ウキウキで教会へと急ぎ向かった。
エリーゼ様はヴェンデリン様の婚約者だし、王都では『ホーエンハム家の聖女』だなんて呼ばれてる偉い人だから、そういう邪な気持ちや態度は絶対に表に出してはいけない。
でも、あれほどの美人に治療してもらえるんだから、嬉しくない男は一人もいないと思う。
いつもなら完治に数ヵ月かかる骨折が、一瞬で治るのもありがたい。
骨折が治らないと、嫁の農作業の負担が増してしまうからな。
「(しかし、ヴェンデリン様の奥様たちって一人じゃないんだよなぁ……羨ましい)」
エリーゼ様は、もう言うまでもない。
あれほどの美人、バウマイスター騎士爵領ではそうお目にかかれるものではなかった。
側室候補だというルイーゼ様も、容姿は幼かったが可愛らしい。
イーナ様も、ああいう女性に怒られるとゾクゾクするかもしれない、なんて思ったりして。
俺は、クラウドの爺さんみたいに余計なことを口にして、嫁にシバかれるようなヘマはしないけど。
「(しかし、治療が楽しみだなんて。おかしな感覚ではあるよなぁ)」
教会の入り口近くまで来ると、今日は珍しく誰も先客が並んでいなかった。
ここしばらく、エリーゼ様が懸命に治療を続けていたので、患者が減ったのかな?
最初は長蛇の列だったからなぁ。
「(とにかく、まずはエリーゼ様のご尊顔を……)すみません」
内心のワクワク感を懸命に抑えながら教会の扉を開ける俺であったが、ここで予想外のアクシデントが発生した。
なぜなら教会の中には、まるで女神のように美しいシスター姿のエリーゼ様がいなかったからだ。
その代わりに、いかにも急に誂えたかのようなピチピチの司祭服に身を包んだ、筋肉の塊と呼ぶに相応しい、厳つい巨体の中年男性が待ち構えていたのだから。
こんな人が、本当に司祭なのであろうか?
マフィアのボスだと言われても納得するほどの、威圧感を持つ人物であった。
いや、そのマフィアのボスすら裸足で逃げ出すかもしれない。
「(教会に、こんな怖い人がどうして?)」
俺は、怪我の治療に来ただけなのに……。
「おおっ、迷える子羊よ! 某になんの用事かな?」
迷える子羊というか、どう見ても今の俺は迷える獲物にしか見えなかった。
あの綺麗で美しいエリーゼ様は何処?
どうして俺に声をかけているのが、綺麗なエリーゼ様ではなく、目を合わせたら殺されそうな筋肉の巨人なんだ?
俺は、神様の罰が当たるような悪事は働いていない。
どうやらこの世の中には、神様にでもどうにもならない事象が多数存在しているようだ。
「あの……」
つい言葉を詰らせてしまうが、威圧感のある巨人に対し一言でも声を出せただけ、俺は頑張ったと思うんだ。
今思ったんだけど、確かに俺は腕を骨折したが、別に今日急いで治療をする必要もないはず。
きっと明日の朝一番にこの教会に来れば、またエリーゼ様が女神のような微笑を見せてくれる可能性が高いのだから。
いや、絶対にそうだな。
今日はどうにか誤魔化して、家に帰らないと。
「おおっ! 腕を骨折したのであるな! 某の出番である!」
「あの……司祭様は、治癒の魔法を使えますので?」
本当ならば、そんなことを聞くのは失礼に当たる。
だが今の俺は、とにかくこの筋肉巨人に治療されないよう懸命であったのだ。
「然り! 昨日、突然覚えたのである! それと、某は司祭ではないので緊張することはないのである! リラックスである!
「はあ……」
昨日。
ヴェンデリン様たちが未開地に視察に出かけて、そこでなにかあったらしいのだけど。
後で正式に発表するとヘルマン様が仰られて、今は詳しい状況が不明だった。
もしかすると、エリーゼ様がいないのはそれが原因かもしれない。
「本来であれば、助司祭の資格を持つ我が姪エリーゼが治療をするべきなのであろうが、彼女は働き詰めであったので、某が交代したのである!」
自称ではあったが、この筋肉巨人はエリーゼ様の伯父であるらしい。
なんと言っていいか、親子じゃないから似ていないのか?
似ていないことを神様に感謝するべきなのか?
そんなことはどうでもよくて、俺はもう彼の治療対象として目をつけられてしまったようだ。
どうのかこの場は断って治療は明日にしたいが、もしここで逃げると、間違いなく村になにか大変なことが起こるだろう。
残念だが、この人の治療を受けるしかない。
「司祭様、実は腕を骨折しまして……」
「おおっ! それは大変であろう! すぐに治療を開始するのである!」
そう言うなり、筋肉巨人の体からまるで炎のような青白い光が湧き上がってきた。
間違いなく治癒魔法の光なんだと思うけど、以前話に聞いたエリーゼ様の神々しい後光のような治癒魔法の光物とはまったくの別物のように感じてしまう。
「某、まだ聖治癒魔法の経験が薄いのである! 多少の不慣れは勘弁してほしいのである!」
「治癒魔法で、治していただけるだけでもありがたいです」
「そう言ってもらえると、某も大変に助かるのである! では……」
筋肉巨人は両手を思いっきり広げると、そのまま俺を抱き絞めた。
突然のことだったので驚くのと同時に、筋肉巨人の力が強すぎて、逃げ出すことすら不可能な状態にあった。
抱き絞めるというよりも、捕えられたような気分だ。
お互いの体が触れた部分から治癒魔法の青白い光が流れ、徐々に腕の骨折部分が治っていくのがわかるが、他の部分は筋肉巨人のあまりの力に、体中の骨が軋むような感覚に襲われた。
「あの……。司祭様?(もの凄い力だ! 骨折箇所が増えてしまうかも!)」
「昨日、色々と試してみたのであるが。この方法でないと、治癒魔法が使えなかったのである! では、仕上げといくのである!」
「(腕は治りそうだけど、他の部分が折れるぅーーー!)」
結局、他に骨折箇所が増える前に腕の骨折は完治した。
一ヵ所の骨折を治すのに、また複数ヵ所骨折したら意味がないので、力は加減はしたのだと思われる。
そもそも、どうしてそんなに俺を強く抱き絞めるのだと思ってしまう。
普通に抱え込めばいいのではないかと。
「治ってよかったのである!」
「ありがとうございました……」
「エリーゼは所用で本日ここに来ないゆえ、しばらくは某が治癒魔法を練習……じゃなかった。治療するのである!」
「今なんて? ああ、そうですか。みんなに伝えておきます」
「頼むのである!」
腕の骨折を治すのに、筋肉巨人に抱き絞められた。
最終的に怪我が治ったのでよしとするしかないけど、気分的にはどこか納得いかない部分が……。
なにより、この筋肉巨人はエリーゼ様の伯父にして、王宮筆頭魔導師様なのだと知ったのは、教会のことをみんなに話した時だ。
正直なところとてもそうは見えないし、みんなは俺がそんな偉い人から治療を受けられて羨ましいとも言っている。
いや、実際にあの人に治療してもらったら、間違いなく今言ったことはなかったものとされるはずだ。
やっぱり、エリーゼ様に優しく治療された方がよかったよなぁ……。
腕の骨折は完治してしまったから、もう教会に行く必要はないんだけど。
「伯父様、今日はお休みをいただいてありがとうございました」
「なんの、習得したばかりの治癒魔法の訓練に最適であったのである! 治癒魔法も、大分上手くなったゆえに!」
「あの、それは抱き絞めないでも発動するものなのでしょうか?」
「いや、何回も試したのだが、駄目だったのである! まあ、使えるのでよしとするのである!」
「そうですか……ところで、治療希望者の方々は多かったのですか?」
「うむ。これが多かったのである! 最初の青年がちゃんとみなに伝達してくれたのであろう」
「まだまだ、怪我や病気に悩む領民の方々は多いのですね。私も頑張りませんと」
翌朝。
急遽代理司祭役を交代してもらった伯父様にお礼を言うと、昨日は随分と治療希望者がいらっしゃったようです。
昨日何度練習しても、聖魔法は相手に密着しないと効果が出ないそうで、効力はもの凄かったようですが、その点は要改善かもしれませんね。
「今日も、治療を希望する方は多いのでしょうか?」
みなさんのためにも、今日も頑張りませんと。
「こらぁ! テオ! 昨日、ちょっと手を切ったから教会にエリーゼ様がいるかどうか聞いたら、いますって嘘つきやがったな! 筋肉巨人に抱き締められたぞ! 怪我がは治ったけど」
「ワシの腰の具合もよくなったが、最初あの筋肉巨人に強く抱きしめられた時、体が真っ二つに折れると思ったではないか! 腰はよくなったけど」
「「「「「エリーゼ様、いなかったぞ! 怪我は治ったけど!」」」」」
だってさぁ。
俺だけ、筋肉巨人に抱き締められるなんて不公平じゃないか。
それに、あの方は王宮筆頭魔導師で治癒魔法の腕も確かなんだ。
それなら、一日でも早く怪我が治った方がいいってものよ。
決して、巻き添えだとかは思っていないぞ。
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