第112話 クラウス再び
「結局、クラウスさんからの依頼を引き受けたのね」
「あの野郎、人が断れないような言い方をしやがって……」
「冒険者としての仕事からは少し外れるけど、人のためになって利益も出る。話の誘導が上手いんだね」
「あいつの場合、そのおどろおどろしい裏がなければな」
「無理なんじゃないの? 基本的にそういう人みたいだし」
魔の森での浄化で得た成果に対する分配交渉の席で、俺たちはクルト兄さん……もうクルトでいいか……と決定的に揉めてしまう。
別に、俺が喧嘩を売ったわけではない。
向こうが、俺を決定的に嫌っているのを隠さなかっただけだ。
随分と無礼な口も利いてきたが、ブランタークさんに言わせると処罰できる案件でもないそうだ。
『坊主は、冒険者としてここに来ているからな。それがわかっているから挑発したんだろうぜ』
ただ、貴族の常識ではあり得ない。
空気の読めない男という評価は、必ず受けることになるであろうと。
ろくに領地から出ないクルトからすれば、そんな評価は気にもならないのであろうが。
というか、襲爵の際にはどうするのであろうか?
少なくとも、俺は絶対に世話などするつもりはない。
屋敷に入れたくないので、そのせせこましく貯めた金で、旅費や王都滞在中の宿泊費などを賄えばいいのだと思ってしまった。
そのために、普段から懸命に金を貯めていたのであろうから。
結局、父やクラウスがいたので交渉は無事に纏まってはいた。
もう用事はないと本屋敷を出ようとすると、そこでクラウスが一泊してほしいと頼んでくる。
交渉は無事に纏まったのに、ここで俺たちがすぐに領地を出てしまうのは問題なのだそうだ。
揉めたからと邪推されるわけだな。
とはいえ、この宿屋すらない僻地で泊るとなると、候補は非常に狭められてしまう。
一番の本命である本屋敷だが、俺も含めて全員が嫌であろう。
温厚なエリーゼは表に出さないだろうが、人のいい彼女に余計な負担をかけるべきではない。
なにしろ本屋敷には、大いに揉めた戦犯であるクルトがいるのだから。
生臭神官扱いされたエリーゼに対し、クルトに好感を持てというのも難しいし、そんな義理もないだろう。
だが、ここで素直に引き下がるようなクラウスではない。
なぜならそれはクラウスだからで、彼は分家であるヘルマン兄さんの家に泊ればいいのだと、俺たちに提案する。
本人の意思とは別に、バウマイスター騎士爵家継承で騒動の元になっている俺を、ヘルマン兄さんが婿入りしているものの、魔の森遠征の件で反本家で纏まっている分家に泊らせてしまう。
クルトの心を掻き乱し、父もまさか嫌とは言えず。
やはり、クラウスは厄介な性分をしているな。
もしかしたら、あのルックナー弟などよりも狡猾なのかもしれない。
そんな経緯で分家の屋敷へと向かったのだが、ヘルマン兄さんの奥さんにして、分家の事実上のトップでもあるマルレーネ義姉さんは、こちらの斜め上を行っていた。
誰に隠すこともなく、クルトや本家の批判を堂々としていたからだ。
特にクルトの、『遺品などいらない』発言で、余計に彼への反感を強めていた。
彼女からすれば、祖父や父や叔父たちの遺品などいらないと言ったクルトは、貴族以前に人間として論ずるに値しないのであろう。
彼らの遺品に、資産価値などほとんどない。
金に拘るクルトからすれば、回収の手間の方が高いからいらないわけだ。
多分、俺たちが過大な手間賃でも請求すると思っていたのであろう。
そしてそんな発言が分家の人間に漏れれば、非難されて当然であった。
正直なところ、クルトを次期当主にして大丈夫なのかという疑念を抱いてしまうわけだ。
だが、そこに俺が口を出す権利などない。
俺は本来、アマーリエ義姉さんやその子供たちに渡す予定だったお土産を分家の子供たちに渡したり、せがまれて竜退治の話などをして時間をすごした。
クルトのことを考えるよりも、甥たちと遊んでいた方がよほど精神衛生状態がよかったからだ。
ところが、そこにまた厄介な男が現れる。
先の交渉の席で、ボロを出すどころか憎いほどにフォローが適切だったクラウスが姿を見せたのだ。
しかし、反本家の立場を表明する分家に何食わぬ顔で現れ、俺に面会を要求するとは……。
やはりこいつは、相当なタヌキのようだ。
『それで、クラウスの用件とは?』
『それはですね……』
クラウスは、マルレーネ義姉さんからのお茶の提供すら断って、いきなり仕事の話に入った。
『バザーを開いて欲しいんですよ』
クラウスは、俺たちに領内で商品を売ってほしいと頼んできたのだ。
『商品はなんでも構いません。服でも、小物でも、調味料でも。領民たちは、とにかく娯楽に飢えていますから』
主食の小麦は、広げた農地から自給可能であった。
野菜なども同じく自給可能で、肉は狩猟か、馬が死んだ時に食べるくらい。
魚は、川や用水路や沼から淡水魚は取れる。
泥臭くて大して美味しくはないのだが、それでも貴重なタンパク源であった。
他にも森から採れる山菜に、自生している果物に、分家のように原始的な養蜂をする者もいて、領民たちは基本的に飢える可能性は低い。
ただ、塩は決定的に不足しているわけで、それだけは何が何でも購入する必要があった。
生憎と、昔の俺の調査でも岩塩などは見つからなかった。
この辺が、昔は海であったという事実はないのであろう。
『考えても見てください。あの規模の商隊で、八百人近くの物資なんですよ』
それも、年に三回しか来ないのだ。
山道の往復を考えると、四回は不可能という現実もあるのだが。
しかも、彼らが運べる品物には限りがある。
とにかく塩が優先され、他の物は極少量のみ。
だが、それで商隊の人たちに文句を言うのは酷であろう。
相場は、王都やブライヒブルクよりも少し高いくらいだが、それでも彼らは完全に赤字のはず。
間違いなく彼らの利益は、ブライヒレーダー辺境伯家からの謝礼と補助金のみのはずだからだ。
『正直なところ、よくブライヒレーダー辺境伯様から切られないものだと思っています。同時にハラハラもしていますよ』
『遠征の件があるからだろう。ブライヒレーダー辺境伯はバウマイスター騎士爵家の状況をよく理解しているから、商隊の派遣が中止になることはないはず』
どうせ相手はクラウスだし、この件は公然の秘密で領内で知らない者などいない。
なので俺は、堂々と商隊が来る裏の理由を口にした。
『ですがコストを考えますと……。ブライヒレーダー辺境伯様の負担は大きいのです……』
ブライヒレーダー辺境伯家の財政規模を考えると大した負担でもないが、『あと何年続けるのか?』という疑問も残る。
バウマイスター騎士爵領の人口が完全に回復し、計算しているであろう損害額の補填を、ブライヒレーダー辺境伯家側が終えたと思ったその瞬間。
もしくは、代が替わればちょうどいいタイミングだと言い出して中止になってしまう可能性だってあるのだ。
中止にしなくても、せめて補助金なしで商隊が利益は取れるような体制に変えることも十分にあり得る。
もしそうなれば、当然塩の値段は相当上がるはずだ。
彼らとて、別に慈善事業でやっているわけではないのだから、コスト分の値上がりは避けられないだろう。
『この場合、ブライヒレーダー辺境伯様の方が立場が上だとか、うちに借りがあるとか、大物貴族だから傲慢であるとかの要素は、まったく関係ないのです』
クラウスの言葉の先には、間違いなくクルトの存在がある。
ブライヒレーダー辺境伯に対し、エーリッヒ兄さんの件で最初に悪印象を持ち。
さらに、祝儀の件などで喧嘩を売って仲が悪くなっている。
なにより一度も顔を合わせたことがないので、仲が良いとか悪いとかそれ以前の問題……今のブライヒレーダー辺境伯がクルトに会いに来るわけがないか。
どうせ趣味も合わないだろうしな。
そして、両家の当主と次期当主が不仲だという噂は、クラウスを筆頭に領民たちを不安にさせる。
クルトが次期当主になり、それに合わせて商隊が持って来るものの値段が上がったら?
もしくは最悪のケースとして、商隊の派遣が中止になる可能性だってあるのだ。
『塩がなければ、この領地は詰みますので』
『昔はどうしていたんだ?』
バウマイスター騎士爵家の誰かや名主の一族の者をリーダーに、数名でブライヒブルクにまで買い出しに行っていたそうだ。
領内で集めた毛皮や薬草などをわざわざブライヒブルクまで持ち込んで売り、そのお金で塩を買ってバウマイスター騎士爵領まで戻りと、かなりハードな方法であったようだが。
『この方法ですと、現在の半分の人口でないと領地が成立しません』
人口が増えれば荷駄の量を増やさないといけないが、そうすると今度は農作業などの人手が足りなくなってしまう。
荷馬車で、飛竜やワイバーン、狼や熊などの野生動物が生息するリーグ大山脈の山道を往復しないといけないので、荷駄隊を大きくすると危険が増すという理由もあった。
困っていたところ、寄親として先代のブライヒレーダー辺境伯が年に二回商隊を派遣してくれるようになり。
例の無謀な遠征後、罪滅ぼしも含めて当代のブライヒレーダー辺境伯が三回に増やしたというのが真相なようだ。
『そんな先の不安もあり、領民たちは塩の備蓄が欲しいところでして……』
ただ、商隊を年に三回に増やしても、領民たちの塩の備蓄が増えたわけではないそうだ。
毎日使用するものなので、たとえば一家庭が四ヵ月で使用する塩の量を考えると、なかなか備蓄が増えないのが現状であった。
備蓄の目安が四ヵ月分なのは、年に三回商隊が来るからだが、やはりどうやっても商隊はギリギリの量の塩しか供給できない。
なぜなら、遠征前までは徐々に人口が増えていたからだ。
そして現在、ほぼ遠征前の人口に戻りつつある。
結局塩は不足気味のままである。
バウマイスター騎士爵領内の各家庭のみならず、実家で薄いスープしか出ないのは、塩を節約するためであった。
領民たちがもっと塩を売ってくれと頼んでも、それは他家の購入枠を減らさないと不可能であり、もしそんなことをすれば領民同士が喧嘩になってしまう。
どうせ多く販売できる量もないので、せめて争いを防ぐため平等に塩を販売するしかないのだ。
さらに、せっかくの商隊が塩しか持って来ないのも、それは領民たちに不満を持たせてしまう。
少しだけでも、外の世界を感じさせる産物を混ぜる必要があったのだ。
当然その分は、塩の搭載量が減ることになる。
『荷駄を増やすと、同時に人手も増やさないといけないのでブライヒレーダー辺境伯様の負担が増えます。もしそれをして、飛竜やワイバーン、凶暴な野生動物たちに襲われでもしたら……商隊に犠牲者が出たら、最悪商隊が中止になる可能性もあり、なかなか冒険できないのが実情なのです』
往復三ヵ月間、山道ばかりの道をひたすら荷駄を引きながら移動するのだ。
リーグ大山脈は飛竜の生息地ながらも、いつも使用している山道には滅多に姿を見せないし、商隊が襲われたこともないそうだが、熊や狼などは必ず現れるそうで、冒険者の護衛は必須だった。
商隊に参加する商人も、護衛をする冒険者も。
仕事の拘束時間の割に報酬がよくないそうでなかなか新しい人が集まらず、商隊の規模拡大は不可能だとブライヒレーダー辺境伯から手紙が来たのだという。
『ヴェンデリン様がブライヒブルクに拠点を置くのであれば、月に一度でも構いません。領民たちに物を売ってほしいのです』
『無理を言うなよ……』
物理的に不可能だと言っているわけではない。
魔法の袋に仕舞って『瞬間移動』で飛べばいいのだから、むしろ簡単な方の依頼に入る。
ただ、冒険者がする仕事とは微妙に違うし、そんなことをすればクルトがますます意固地になるだけであろう。
そのくらいならいいが、なにか騒動が起こると困るのだから。
『クルト様に関しては、私が必ず抑えますから。領民たちが自由に買い物できるようになって不安が収まれば、それはクルト様の利益にもなるのです。アルトゥル様からの許可も私が取りました』
『もう取ったのか?(というか、クルト。あんたは、父の傍にいたんだろうに……)』
クラウスに出し抜かれるなんて、間抜けな後継者だな。
この目の前の老人が老獪すぎて、クルトでは歯が立たないというのが現状なんだろうけど。
話を聞くだけでこの領地の未来が心配になってしまう上に、この老人は間違いなくクルトを切り捨てているのだから。
『無料で配れとか、安く売れと言っているわけではないのです。むしろ、それはやめてください。ブライヒブルクの相場に、ヴェンデリン様の利益を加えた額で構いません』
正直なところ、ブライヒブルクと同じ値段でも十分に利益が出るのだ。
他の商人たちなら、『瞬間移動』が使えなければ往復三ヵ月分の経費がかかるのに、俺は一瞬で移動可能だからだ。
荷を載せる荷台も、魔法の袋のせいで不要である。
仕入れも、商業ギルドに登録して会費を払えば、かなり安くなる。
もしブライヒレーダー辺境伯が俺の行動を知れば、商隊の経費を削減できるので、揉み手で協力してくれるはずだ。
クラウスは、他人の欲を見抜くのが上手い男だな。
『俺が仕入れ担当で、領内に店を作れとか言うのかと思ったがな』
もしその条件の一つとして、店番担当に俺の異母兄姉でも勧めてきたら、俺は余裕でクラウスを糾弾可能なのに。
それを絶対にしないのが、この男の怖い部分であった。
クラウス自身は、俺が自分を怪しんでいることなどとうに承知で、特に気にもしていい風な態度なのだから。
『さすがに常設のお店となりますと、アルトゥル様への申請や手続きで面倒なことになりますから』
『一番の問題は、クルトの不満が大きすぎるからだろう? 定期とはいえ、商隊なら領民たちへの利益も提示して、クラウスが説得をすると』
『はい、その通りでございます。とりあえずは、一回だけ試しに実行していただければと』
『うーーーん、エリーゼはどう考える?』
領民たちのためという理由が一番なので、断り難い案件ではある。
別に、クルトにこれ以上嫌われても今さらなのだが、僻地で苦労している領民たちを考えると、無下に断るのもどうかと思ってしまう。
俺の中身が、世界でもまれに見るお人好し民族である日本人であった影響であろうか?
そこで、正妻になるエリーゼに聞いてみることにしたのだ。
こう見えて、彼女はあのホーエンハイム枢機卿の孫娘なので、俺よりも素晴らしい意見を出してくれるはずだ。
『今回に限っては、まず試しに引き受けてもよろしいかと思います』
簡単に言えば、領民たちに罪はないという考えのようだ。
こういう部分が、彼女が聖女と呼ばれる所以なのかもしれない。
もう一つ、基本的にはとてもいいことなので、実行しても俺の評判が落ちる心配がないという意見もエリーゼは述べていた。
その代わり、クルトからの評価が落ちるとも言っていたけど……まあ、それはな。
『私も、やってみればいいと思うわ』
『善行で利益も得られる。いいことだと思うよ』
イーナとルイーゼも、エリーゼと同意見のようだ。
『エルは?』
『ちょっと……』
エルは俺を部屋の端に呼ぶと、小声でそっと耳打ちしてくる。
『(安全のために引き受けろ)』
エルに言わせると、もうクルトはなにをしてもおかしくない状態にしか見えないそうだ。
ブライヒレーダー辺境伯の代理人であるブランタークさんにも、ホーエンハイム枢機卿の孫娘であるエリーゼにも喧嘩を売っているのだから、俺もそれは感じていたのだけど。
『(いくらヴェルが強力な魔法使いでも、暗殺の手段なんていくらでもある)』
口に入れるものに毒を混ぜたり、弓に致死性の毒を塗って狙撃でもされたら、毒の種類によってはわずかな矢傷でも俺は即死してしまう。
そして、それを行える能力がクルトにはあるのだと。
『(あの男、一見全領民に見放されているイメージだが、絶対にそうとは言えない。どんなバカにでも、熱狂的な信者は存在するからな。お前の親父もまだ見捨てていないようだから、たとえおかしな命令でも、引き受ける領民がいるかもしれない)』
前に少しだけエーリッヒ兄さんから聞いたことがあるのだが、初期移民者の子孫である本村落の住民たち。
彼らはかなり保守的な連中で、クルトの支持基盤になっているらしい。
俺のことも、長子継承の秩序を乱す反乱者くらいに考えている可能性があった。
『(だから、色々と売って領民たちに恩を売れ)』
もしクルトがなにか企んでも、それを邪魔してくれる可能性がある。
そういう領民たちの目があると、クルトとその支持者たちの行動が制限されるという利点もあった。
『(あくまでも可能性だけど、その可能性は低くはない)』
エルは、俺の警護担当者の立場としてのみ意見を述べていた。
『(どのみち、依頼を終えるまではこの領地に関わらないと駄目だからな。安全に過ごそうぜ』
今日は泊るし、魔の森での依頼が終われば遺品の選別のため数日は滞在しないといけないはず。
最後に、上納金を持参するのも俺たちの仕事になるはずだ。
『(わかった。引き受けるよ)』
エルの助言に従い、俺たちは夕食までの短い時間ながらも、クラウスの依頼でバザーを開くことにするのであった。
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