第110話 久々の帰郷(中編)

「とりあえず、中にどうぞ。ブライヒレーダー辺境伯殿からのお話も聞かないといけませんからな」




 俺があからさまに嫌そうな顔をしたのに気がついた父は、まずはその話は棚上げにし、本来の交渉を行おうと俺たちを屋敷の中へと案内する。

 久しぶりに入る屋敷の中であったが、まるで時間が止まったかのように変化がなかった。

 変えるお金がないのだろうけど。

 豪農に毛が生えた程度の屋敷なので、多分王都の人間なら貴族の屋敷の中とは思わないはずだ。

 一応、客ももてなせることになっているリビングへと移動し、大きな机で差し向かいで座る。

 所謂、お誕生席と呼ばれる位置に父で、その右隣に兄クルトが。

 左隣が空いているが、そこには名主のクラウスを座らせるらしい。

 今、ヘレナがクラウスの家まで呼びに行っているそうだ。

 今回の交渉では、俺たちが得た成果の中からバウマイスター家側に何%を収めるのかなど。

 計算が必要となるので、それができるクラウスを呼んだのであろう。


「(計算ができないって……ヴェルの親父と兄貴もかよ……)」


「(エルの親父もか?)」


「(ああ……地方の零細貴族だとな)」


 色々と金にはうるさいくせに、なぜか田舎の小領主ほど漢字や計数の勉強を怠る傾向にあるのだ。

 漢字などは、中央で小難しい文章を捏ね繰り回すひ弱な連中に任せておけばいいし、領主たる者が細かな金の計算などに携わるべきではない。

 有事の際に剣を振るうことこそが、貴族の一番大切な仕事であると言って、その手の仕事をクラウスのような名主に任せてしまうのだ。

 自分も知っていれば、チェックできるので不正も防げるのに……。

 多分プライドが高いので、習得できなかったら恥ずかしいという理由もあるのであろう。


「(うちも、名主に丸投げだな)」


 エルの実家も、同じような状況らしい。

 エル本人は家を出なければいけないので、ちゃんと勉強をしていたようだが。

 実は、冒険者の漢字を含む識字率と、読み書き計算などの計数能力は意外と高い。

 子供の頃から勉強をしていた貴族の子弟や、教会で教わっていた聖職者などがいるし、他の階層出身者も空いている時間に冒険者ギルド主催の講習などを積極的に受けるからだ。

 その理由は、本部ではないが地方の小さな支部などで在地領主と結託しているようなギルド職員が、隙あらば冒険者に渡す報酬を誤魔化そうとしたり、たまに入る緊急依頼などで、支払う報酬を隙あらば低く設定しようとするからであった。

 文字や計算を知らないと、低い報酬で命を賭けさせられてしまうのだ。

 なまじ生活がかかっているだけに、クルト兄さんなどよりも、よほど真面目に勉強に励んでいるわけだ。


「お待たせいたしました。お久しぶりです、ヴェンデリン様」


 しばらくしてから、ヘレナと一緒にクラウスも姿を見せる。

 また前のようにおかしなことでも言うのかと思えば、今回は挨拶だけであり、それが嵐の前の静けさでなければいいと思ってしまった。


「では、始めるとしますか」


 反対のお誕生日席に俺が、右隣にブランタークさん、イーナの順で、左隣にエル、エリーゼ、ルイーゼと座る。


「ところで、ブライヒレーダー辺境伯殿からの依頼とは?」


 いよいよ、話し合いが始まる。

 交渉の内容は、俺たちが魔の森で遠征で出た犠牲者たちのアンデッドを浄化するので、その過程で出た成果の何割を収めればいいのか? というものであった。


「また兵を出せと?」


 父は静かに話を聞いていたが、クルト兄さんはブランタークさんの説明を遮り、底冷えのするような声でこちらを牽制してくる。

 また、十五年前の惨劇再びと思ったのかもしれない。


「いえ、浄化は我らだけで行います。バウマイスター男爵様ならば、魔法で簡単に現地に行けますから。アンデッド二千体にしても、竜に比べればさほどのこともありませんからね」


 口調は丁寧であったが、ブランタークさんの返答は挑発的であった。

 冒険者生活が長い彼からしたら、クルト兄さんの脅しなど、脅しの類にも入らないのであろう。

 交渉相手はあくまでも領主である父なので、そこに余計な口を挟むなということなのであろう。


「そうだな。うちには、浄化のプロである聖女様もいるわけだから」


 エルも続けて、自分の意見を述べる。

 彼からすると、やはりクルト兄さんは気に入らないらしい。

 実家で自分を散々にいびった、兄たちを思い出してしまうのであろう。


「バウマイスター男爵殿たちだけで浄化を行うのであれば、うちからはなにも言うことはありません。案内役を出そうにも、地理に詳しい者もおりませんし」


 遠征に出た生き残りにしても、ただ方向だけ気にしながら往復していたそうで。

 特に帰りなどは、生死と隣り合わせであったせいで未開地の地理を把握する余裕はなかったそうだ。

 その前に、トラウマのせいで二度と未開地などには行きたくないであろう。

 多分、五年かけて稚拙ながらも未開地全土を回って地図を作った俺の方が、よっぽど地理には詳しいはずであった。

 『瞬間移動』用の簡単な地図を作った後に、時間をかけて内容の補強を行っていたので、言うほど大雑把な地図というわけでもない。


「父上……じゃなくて、バウマイスター卿。アンデッドの浄化に関しては、こちらですべて行います。あくまでも、その過程で得た成果の中からいかほどを上納するかというお話でして」


 これは公式の交渉の席であり、俺と父は別の独立した貴族である。

 なので、あえて言い直して父をバウマイスター卿と呼ぶ俺であった。


「成果ですか」


「はい。まずは、二千体のアンデッドが装備している武器や防具ですね」


 親子なのに、親子ではない二人の会話は続く。

 アンデッドは、生前の武器や防具を装備し続けている。

 ろくに手入れもしないで十五年も経っているのだから、まず一部を除いてクズ鉄以外に使い道はないのだが、中には価値のあるものや、遺族に渡せそうな遺品も存在している。

 実はブライヒレーダー辺境伯から、持ち主を特定できそうな品は遺族に渡したいので、できる限り持って帰って来てほしいと頼まれていたのだ。


「遺品ですか。それは確かに大切な物ですな」


「五割だ」


「えっ?」


 突然、割って入って妙なことを口走り始めた奴がいる。

 誰であろう、クルト兄さんであった。


「遺品を持ち帰れないのは辛いよなぁ、ヴェンデリン。冒険者としての任務も達成できないわけだしな」


「いくらなんでも、五割は暴利だと思いますけど……」


 普通、このバウマイスター騎士爵領のように冒険者ギルドが存在しない領地において。

 領主が冒険者に課す上納金の率は、一割から三割が相場である。

 一概に全員がそうとは言えないが、中央に近い大物貴族ほど率は低く、地方の小領主ほど率が高い傾向にあるそうだ。

 大物貴族は、いち冒険者パーティが納める上納金に過剰な期待はせず、あまり暴利を貪ると評判が落ちるので、むしろそちらの方を気にする傾向にある。

 さらに、大抵の大物貴族の領地には冒険者ギルドの支部があるので、実は交渉するケース自体が稀なのだ。

 逆に地方の小領主は、滅多に冒険者が交渉に来ないので、少ないチャンスで大金を得ようと、どうしても高くなってしまう傾向にあった。

 だがいくらなんでも、さすがに五割は暴利がすぎるというものだ。

 

「クルト殿」


「確かに高いですが、なにか文句でもありますか?」


 クルト兄さんは、自分の名前を非難するようにな声色で言ったブランタークさんに対し、まるで勝ち誇ったかのような厭らしい笑顔を向ける。

 この交渉、主導権は自分にあるのだと言わんばかりに。


「(この野郎……)」


 ブランタークさんが無表情になってしまうが、内心では怒りで煮えたぎっているのであろう。

 それに、五割の徴収が絶対に駄目だという法もないのだ。

 なぜなら、その領地においては領主の決定こそが法なのだから。


「ところで、バウマイスター卿とクラウス殿の意見はどのように?」


 小さい頃はわからなかったが、間違いなくクルト兄さんは俺のことが嫌いなのであろう。

 こうなると、もうまともに話をするだけ無駄とも言える。

 それに、余計な口を差し挟んでくるが、今のクルト兄さんは次期当主にしかすぎない。

 先ほど、俺にぞんざいな口を利いたのは、今の俺が貴族としてよりも冒険者としての立場が強いので、多少無礼な口を利いても問題ないと思ってのことなのであろうが……。

 ならば、こちらだってクルト兄さんなど無視するに限る。


「あくまでも私の意見ですが。遺品になりそうなものは除いて、三割が適当かと」


 クラウスの意見に、父も無言で首を縦に振っていた。

 なるほど、やはりクラウスは油断ならない男だ。

 地方の零細貴族なので、上納金は三割。

 だが、遺品になる品は除いてなので、その分は俺たちやブライヒイレーダー辺境伯に配慮しているわけだ。 

 そして、父はそれに賛同した。

 もうこれで決定だな。

 まだ爵位も持たないクルト兄さんに、この交渉に口を挟む権限などないのだから。


「では、遺品分を除く三割で」


 持ち主が特定できないような装備品に、まだ残っている可能性がある遠征軍の遺留品。

 そして、浄化の過程で倒した魔物の素材と言ったところであろうか?


「支払いは現物ですか? それとも?」


「ブライヒブルクで換金して、その評価額の三割を現金でお願いします」


「わかりました」


 このように、父と話すと話はスムーズに進むようだ。

 支払いが現金なのは、こんな僻地で錆びた鎧や魔物の素材を三割も貰っても仕方がないからなのであろう。


「ふんっ、誤魔化すなよ」


「てめぇ! さっきからなんなんだよ!」


 そして、ここでまたクルト兄さん余計な口を差し挟み、この発言でエルが珍しくブチ切れてしまう。

 剣には手をかけなかったが、席を立ち上がってクルトに近付こうとしたので、俺が慌てて彼を止める。

 もしエルがクルト兄さんをぶん殴りでもしたら、それこそ大問題になってしまうからだ。

 続けてブランタークさんの方に視線を向けると、すでに彼は無表情をやめて、クルトを刺すような視線で睨みつけていた。


「ふん、竜殺しの英雄だか知らんが、連れている手下はチンピラだな」


 などと挑発しつつも、クルト兄さんの足元は震えていた。

 彼程度の腕っ節で、ブランタークさんやエルに敵うはずなどない。

 なのに敢えて挑発しているのは、バウマイスター騎士爵家の跡取りである自分に危害を加えれば、大変なことになると知っているからなのであろう。

 そう思って挑発するのなら、せめて足の震えを止めてほしいものだ。

 正直なところ、見ていて見苦しかった。


「クルト兄貴!」


 そして、さらに事態はややこしくなる。

 突然リビングに、俺のもう一人の兄で、今は分家に婿入りしているヘルマン兄さんが飛び込んで来たからだ。


「ヘルマンか! お前は呼んでいないぞ!」


「なぜだ! おかしいだろうが! 義祖父や義父たちの遺品に、領民たちの遺品もあるんだぞ!」


 どうやらヘルマン兄さんは、クルトが自分をこの交渉の席に呼ばなかったことが不満であったらしい。

 遺品の話をしているので、彼は婿入りした分家当主の立場として、遠征で戦死した父の叔父であった前従士長に、その息子たち、それに加えて従軍した兵士たちの遺品を求めているようだ。


「遠征に参加した、バウマイスター騎士爵家側の遺品か。集められる限りは集めるので、後で遺族に見てもらって判別するしかないな」


「いや、必要ない」


「はあ? 今、なんて?」


「だから、必要ないと言ったんだ」


「はあ?」


「戦死者の葬儀と供養は済んでいる。今さら遺品などいらん」


 クルト兄さんのまさかの発言に、ブランタークさんは思わず彼に二度も聞き直してしまう。

 冒険者であろうが、軍人であろうが。

 出先で遺体や遺品などを見つけたら、余裕があれば持ち帰って遺族の返そうとするのは常識だ。

 なのに、クルト兄さんはそれを必要ないと言うのだから。

 ブランタークさんは当然として、ヘルマン兄さんは一気に顔を赤く染めた。

 相当頭にきているようだ。


「(ねえ、どういうことなの?)」


 いつの間にか、席を立って俺の傍にいたイーナがその理由を訪ねてくる。

 もし俺の想像が正しければ、俺たちにバウマイスター騎士爵家諸侯軍戦死者の遺品を集めさせると、その手間賃で上納金が減ると思っているのであろう。

 俺は、イーナに自分の考えをそっと呟く。


「(最低……)」


 確かに最低なのだが、クルト兄さんからすればもう死んでいる人間の錆びたり薄汚れた武具など。

 小銭以下の価値しかないと思っているのであろう。

 ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍の戦死者なら、もしかすると高価な武具やアクセサリーを着けている可能性もあるが、バウマイスター騎士爵家諸侯軍の面子に限ってそういう事実はない。

 つまり、そういうことだ。


「ですが、いくら遺体なしで葬儀を行い、お墓を建てたとしても。亡くなった方々の魂は、現地でアンデッドとして彷徨っているのです。浄化して、遺品を遺族の元に返してあげる。これでようやく成仏を……」


「残念ですが、お嬢さん。うちのような貧乏領地で二度も供養を行う余裕なんてないんですよ。聖女様に渡す、大層な心付けも用意できませんしね」


「私は、そんなものは……」


 さすがのエリーゼも、腹に据えかねたものがあったらしい。 

 珍しく強めの口調で、遺品を遺族に返すことをクルト兄さんに進言するが、肝心の彼の態度は『糠に釘』状態であった。

 クルト兄さんは、一応エリーゼが教会のお偉いさんの孫なので配慮はしているつもりのようだ。

 だが発言の後半は、なにを頼むにも寄付寄付とうるさい教会をバカにした口調になっていた。

 図星の部分もあるのだが、エリーゼが今までに浄化で受け取ったお金はあくまでも報酬のみで、寄付金など一度も受け取ったことはない。

 むしろ貧しい人たちのために、定期的に無料で浄化などもしているのだから。


「クルト殿。もういい加減に、無責任に言葉を吐き捨てるのをやめてください」


 もういい加減にして欲しい。

 俺は思わず父の方に視線を送るが、父も『処置なし』と言った表情をしている。

 クラウスは……なにを考えているのか?

 相変わらず無表情のままであったが。


「ヴェンデリン! 貴様、実の兄に向かって!」


「そうですね。血統上は、俺はクルト殿の弟ではあります。ですが、公式の立場では俺は独立した法衣男爵なのです。たかが騎士の跡取りの分際で、随分と男爵に偉そうな口を利きますね」


「貴様ぁ!」


 本当は、こんなことを言うつもりはなかったし、それを口にすると自分が下らない人間になったようなので言いたくなかったが、気がついたら口にしてしまっていた。

 多分、許容範囲を超えた怒りで、完全にキレてしまったのであろう。

 エルをチンピラ扱いして、エリーゼを守銭奴の生臭坊主扱いとは。

 ここで黙っていると、貴族としても体面が保てなくなってしまう。

 俺は家臣と婚約者をバカにされたのだから、クルト兄さんに言い返す権利があるはずなのだ。

 俺の挑発的な言葉に、ブランタークさんも、父も。

 ヘルマン兄さんですら、先ほどの怒りを忘れて唖然としているようだ。


「そもそも、俺たちの交渉相手はバウマイスター卿なのですよ。なぜ、ここであなたが偉そうに口を出すのですか? 挙句に、人の従士長をチンピラ扱いして、婚約者を生臭扱いとは……」


 他にも言いたいことはあったが、これ以上言うと収まりがつかなくなる可能性があった。

 特に、計算も漢字もできないは父にも当て嵌まる。

 これ以上言うと拗れる可能性があったので、ここで罵詈雑言は止めることにした。


「(ヴェルって、先日の件でストレスが溜まっていたのと違う?)」


「(そうかな?)」


 俺が暴発するとでも思ったのか?

 ルイーゼが、いつの間にか俺の腕を掴んで抑えに入っていたようだ。


「(しかし、酷いお兄さんだねぇ……)」


「(今、知ったさ)」

 

 どうやらクルト兄さんは、俺が家を出て貧しく惨めにでも暮らしていないと、そのプライドが保てないのであろう。

 そのくせ、自分でなにかを努力するということもない。

 父も同類だが、漢字や計算などをまったく覚えない。

 それでいてクラウスに猜疑心を向けているようなので、本当に救いがないというか……。

 それなら自分も漢字や計算を覚えてチェックすればいいのに、跡継ぎの地位に胡坐をかいてやろうとしないのだから。

 俺は前世の影響で読み書きも計算の万全なのでズルい部分はあるにせよ、それでも前世で大学に受かるくらいの勉強はしていた。

 この世界でも、魔法の特訓で手を抜いたことなど一度もなかった。

 それに少しでも領内の生活を豊かにしたいのなら、せめて将来のために、未開地に人を出して地図くらい作り始めるのが普通だ。

 俺だって、『瞬間移動』で正確に移動するため、五年以上もかけて地図は作っていたのだから。

 父の爵位と領地が継げる安定した立場なのだから、努力ができないのならせめて静かにしていればいいのに。

 家を出た弟たちに爵位や財力で抜かれたのでそれが悔しく、顔を合わせると嫌味が口から出てしまう。

 今度王都に行ったら、エーリッヒ兄さんたちに報告しておこう。

 もし顔を合わせると確実に嫌な思いをするので、なるべく行かない方がいいと。


「依頼を終えたら一度ここに戻って来ます。その時に、バウマイスター騎士爵家、ブライヒレーダー辺境伯家双方の遺品を選別し。遺品を除いた品の売却益の三割を納めるということで」


「私もそれでよろしいと思います」


 父からの了承を得たので、もうこれ以上はここにいたくなかった。

 なにか話せば、クルト兄さんが必ず揚げ足を取ってくるような気がしたからだ。

 無事に交渉が纏まったので、とっとと仕事を始めることにしよう。

 この手の交渉は男性しか出席できないので母やアマーリエ義姉さんとまだ会っていなかったが、俺がこの屋敷に長時間滞在するのを、クルト兄さんが快く思うはずがない。

 残念だが、これ以上の滞在は双方に不幸しか呼ばないので、俺たちはすぐに席を立って屋敷を出ることにした。


「ヴェンデリン様。今夜はお屋敷にお泊りにならないので?」


「いや、俺たちは冒険者だから野宿でもするさ」


 アンデッドの浄化は、できれば早朝の日が昇った直後から始めた方が効率もいいはずだ。

 今は昼なので、今日は魔の森の近くで野宿をする予定にしていたのだ。

 冒険者なのでその準備はしているし、野宿くらいできないと冒険者とは言えないのだから。


「せっかく故郷に戻られたのです。せめて一泊くらいは……」


 早朝に起きて『瞬間移動』の魔法で飛べば同じことだが、今までのクルト兄さんとのやり取りを見て、それを平気で言えるクラウスはある意味凄いなと、俺などは思ってしまう。


「しかしだな……」


「大切なお仕事でございましょうから、ここは万全を期した方がよろしいかと。本屋敷でなく、ヘルマン様のお屋敷でお泊りになれば」


 確かに、クラウスの言うことにも一理ある。

 当主の息子が久しぶりに里帰りをしたのに、一泊もしないで領地を出て行ってしまえば、それはバウマイスター騎士爵家側の面子を潰すことにもなるのだから。

 直接そう言わなくても気がつかせてくるクラウスに、やはりこいつは油断がならないと俺は感じていた。


「それでよろしいでしょうか? ヘルマン様」


「ああ……うちに泊まっていけ、ヴェンデリン」


 俺たちとクルト兄さんの争いを見て絶句したままであったヘルマン兄さんだが、クラウスに声をかけられて我に返ったようだ。

 クラウスの言うことは正しいを気がつき、俺たちを自分の屋敷に誘った。


「双方共に、頭を冷やした方がいいか……」


「ふんっ!」


 こっちが先に喧嘩を売られたような気もするのだが、ここで変に反論してクルト兄さんがまた騒ぐと、時間を無駄にしてしまう。

 俺たちは、無言のままで首を縦にふった。


「バウマイスター卿、本日はヘルマン殿の屋敷でお世話になります」


「大したもてなしもできませんが。ヘルマン、任せるぞ」


「はい」


 なんとか交渉も無事に終わり……無事かどうかは微妙なところだが、上納金の件は形がついたので、よしとすることにしよう。

 あまり縁のない家族ではあったが、エルたちにとんでもない醜態を見せてしまったな。

 とにかく、後味は悪かった。

 それと俺にとって、もうこの屋敷はまったくの他人の屋敷なのだなと。

 俺は、そう自覚させられることになるのであった。

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