第72話 高価な婚約指輪

「ヴェンデリン様、とてもお似合いですよ」


「普段着としていいね」


「はい」


 婚約者となったホーエンハイム枢機卿の孫娘エリーゼとの初デートは、俺が思っていたよりも上手く行っていた。

 正直なところ、王都に不慣れな俺が彼女をエスコートなどできないし、貴族の箱入り娘で見習い修道女であるエリーゼが、王都の観光地や名店に詳しいはずもなく。

 当然、今回のデートの段取りは、どこから見てもパーフェクト執事であるセバスチャン氏が取り仕切っていた。

 執事つきのデートというのもどうかと思うのだが、共に貴族であり、まだ十二歳の未成年者なので、二人きりで王都の街中を歩けるはずもなく、これは仕方のないことなのだ。

 防犯上の理由もあり、二人きりでデートということはまずあり得ないのだから。

 実際セバスチャン氏以外にも、こちらを密かに監視している連中が数名いるのを『探知』できた。

 集中して微細な魔力を『探知』して人の気配を探る。

 ブランタークさんの得意技で、俺もどうにか覚えられたようだ。

 彼らは間違いなく、ホーエンハイム枢機卿の手の者と思われた。

 そして、さすがは執事の鑑であるセバスチャン。

 必要がない時には俺たちの視界に一切入らず、必要な時にはもうすぐ傍にいて、的確にフォローを行っていたのだから。

 これも考えようによっては、魔法みたいなものだよな。


「(執事かぁ。ブライヒレーダー辺境伯の屋敷で、チラっと見た程度だったからなぁ)」


 当然、我が実家バウマイスター騎士爵家には存在しない生き物であった。

 名目上はいたのだが、彼はただの村の老人で、執事というよりは使用人、雑用係といった方が正確かもしれないな。

 当然専門の教育など受けておらず、年を取って農作業が辛くなった人向けの、簡単なお手伝いと言うべき性格の仕事であった。

 外部に向けて我が家にも使用人がいるとアピールでき、屋敷というほど実家が広くないのもあって、通いで無茶をさせない程度に働かせるので、その分給金が安く済む。

 バウマイスター騎士爵家本家の使用人の有無や人数に興味がある他の貴族なんて間違いなく一人もいないはずだが、これも貴族の見栄というものなのであろう。


「では、この服を包んでもらいましょう」


 王都の観光地やお店などに詳しくはなかったが、エリーゼほどの貴族になると、服は大抵オーダーメイドで作ってもらう。

 そのせいか、彼女の服のセンスはとてもよかった。

 女性だからというのもあるのか。

 俺は十二歳まで、兄たちのお下がりしか着たことがないし、前世でも○ニクロや○マムラがメインの戦場であったので、ファッションセンスに優れているとは言えなかった。

 服なんて、着れておかしくなければいいと思っていたのだから当然であろう。

 俺が持っている少し洒落た服とは、誕生日などにエーリッヒ兄さんがプレゼントしてくれたものだけなのだから。


「そうだね、ありがとう」


「いえ、私にできることはこれくらいですから」

 

 俺は、久々に楽しい時間をすごしていた。

 デート云々は置いておいて、見た目は最高の優しい美少女と王都で買い物し、食事に、観光にと。

 これで楽しくないわけがない。

 ここのところ、食えない陛下に、欲深な貴族たちに、筋肉導師にと。

 彼らへの対応のせいで乾く一方であった俺の心に、久々の潤いを与えてくれたのがエリーゼというわけだ。

 

「あのレストランはいかがでしかたか?」


「美味しかった。素材を上手く生かして料理してあったね」


「セバスチャン、お勧めのお店ですから」


 それに、エリーゼはもの凄くいい娘のようだ。

 昼食をとったレストランを探したのはセバスチャンであると、正直に言ってしまうのだから。


「(ヴェンデリン様、せっかく楽しかった初デートでございます。ここは、男の甲斐性として記念の品などを……)」


 それに加えて、セバスチャンも優秀な執事なのだ。

 デートは、一切のアクシデントもなく順調に進んでいく。

 主人の孫娘であるエリーゼへの配慮を欠かさず、もうすぐデートが終わるというタイミングで……エリーゼには門限があるからだ……小声で俺にプレゼントを贈れと言ってくるのだから。


「(さすがは、セバスチャン! まさに執事の鑑だな)エリーゼ、俺たちは無事に婚約をしたわけだし、今日は初のデートもしたわけで。記念になにかを贈ろうと思うんだ」


「あの、よろしいのでしょうか?」


「竜退治で懐は暖かいから、心配しなくていいよ」


「ありがとうございます」


 婚約者に、アクセサリーくらいは余裕で贈れる金はある。

 しかし、この余裕が前世のあの時にあれば……。

 もう終ったことなので、記憶の引き出しに仕舞っておくことにしよう。


「(ヴェンデリン様。この通りに、大変によい品を販売する宝飾店がございまして……)」

 

 続けて、また俺にしか聞こえない小声で、絶妙なアドバイスを送るセバスチャンであった。

 しかもさり気なく、俺たちを目的の店近くまで誘導しており、俺の中でますますセバスチャンの株が上がっていく。

 正直なところ、俺の執事として欲しいくらいであった。


「これはこれは、ようこそおいで下さいました。若様は、こちらの可憐なご令嬢に贈り物かと推察いたしますが」


 セバスチャンが教えてくれた宝飾店に入ると、中から恰幅のいい店主らしき中年男性が出迎えた。

 この店は高級な宝飾品を扱っている関係で貴族の客が多いらしく、まだ成人前の俺たちがお客なのを見て、即座に貴族であると思ったようだ。

 付かず離れずで、執事のセバスチャンがいたという理由もあったようだが。


「ご婚約の贈り物でしょうか?」


「そうだ、よくわかるな」


「この仕事も長いですから」


 俺たちくらいの年齢で婚約をして、その足で指輪をプレゼント、という貴族は珍しくないようだ。

 店主らしき人物は、もみ手で俺たちに声をかけてくる。


「これはこれは、可憐なお嬢様ですな」

 

 エリーゼは、『ホーエンハイム家の聖女』と呼ばれていて王都でも有名な存在ではあった。

 だが、今日は普段の修道服姿ではなかったので、店主も彼女の正体には気がつかなかったようだ。

 水色のワンピースだからというわけではないが、店主がよく目立つけしからん胸の部分に一瞬だけ視線を送ったのに、俺は気がついてしまう。

 『俺の物なのに!』などと、セコイことは言わない。

 程度は違うが、男ならほぼ確実にそこに視線を送ってしまうであろうからだ。


「それでご予算の方ですが……」


「相場って、どのくらいなんだ? 正直、よくわからないんだ」


 前世で女性に宝飾品くらいは贈った経験はあるが、学生が懸命にアルバイトをして彼女にクリスマスプレゼントを贈るのと、婚約した貴族のご令嬢に指輪を贈るのとでは、まるで相場が違うことは明白だ。

 しかも俺の実家は、貴族のしきたりなどとはほぼ無縁な家であった。

 まだ子供の俺に教えてくれる人もおらず、その辺の部分がよくわからなかったのだ。

 そういう時は、変に知ったかぶりをしないで、素直に専門家に聞くに限る。


「普通は、金貨一枚から上ですね」


 日本円にして、約百万円くらい。

 貴族が婚約者に贈る指輪なので、まあ妥当な金額とも言えた。

 婚姻指輪ともなれば、また相場が違うそうだが。


「そのくらいが普通なのか」


「ええ、貴族様があまり安物を着けているものどうかと思う次第でして」

 

 高い指輪が売れれば儲かるという店主の欲もあるのだろうが、貴族に安物を薦めると逆に失礼だし、でもやっぱり高い品を売りつけたいんだろうなと、俺は考えていた。


「あの指輪は変わっているな」


 店主から色々な指輪を勧められていく中で、俺は数多くの商品の中から、ケースの端に陳列された指輪が気になり始める。


「はい。特殊な魔晶石を中央にあつらえた特別製ですから」


 魔晶石は、基本的には大きい方が多くの魔力を蓄えられるので、値段が高額となる。

 ただ限度はあるが、極少数の優秀な魔道具職人の中には、小さくても効率よく多くの魔力を篭められる魔晶石を製造可能な者もいる。

 この指輪は、そういう魔道具職人の作らしい。

 ただこの技術は、小さな魔晶石にしか使えないらしい。

 理由は簡単で、魔導飛行船などで使うレベルの巨大な魔晶石にこの処置を施そうとすると、肝心の魔道具職人の方が魔力切れで瞬時に気絶してしまうか、最悪魔晶石が爆発する危険もあったからだ。

 この技術を用いても、小さな魔晶石に篭められる魔力量は、今のエリーゼの魔力量くらい。

 この技術では、魔導飛行船は浮きもしない。

 なるほど、魔導飛行船の運賃が高いのも納得というわけだ。

 

「魔晶石の効率化には限度がありますが、それでもこの指輪に付いている魔晶石は、中級魔法使い分程度の魔力を蓄えられます。それと、当然当店に置いてありますので、宝飾品としても使えます」


「宝飾品としても?」


「これは、魔力が篭められていない状態でして。篭めると、エメラルドのように光るのです。その美しさは宝石にも負けませんよ」


 しかしながら、当然下手な宝石など相手にもならないほど高価というわけだ。

 

「実は、少し扱いに困る商品でして……」


 売れると思って、わざわざ高名な魔道具職人に発注までして仕入れたのだが、一向に売れる気配がないそうだ。


「考えてみますと、魔法が使える貴族の方というのは案外少なく……」


 魔法の才能と遺伝はまるで関係ない。

 その昔、わざわざ統計まで取った高名な研究者が断言しており、そもそも遺伝が関わっているのなら、とっくに貴族は魔法使いだらけであろう。

 一部功績を挙げた魔法使いを叙勲はするが、その後の子孫はまるでパっとせず。

 このような例は多数というか、大半であった。

 となると、エリーゼの一族はかなりレアな存在とも言える。

 アームストロング導師と合わせて、伯父姪二名の高名な魔法使いがいるのだから。


「この指輪を買えるお金があれば、もっと大きくて綺麗な宝石が付いた他の指輪が買えますので」


「普通の魔法使いからすれば、宝飾のせいで高額になったから買いにくいと?」


「はい」


 確かによく見ると、リングの素材は白金だし、魔晶石の周りには小さなダイヤモンドが飾られてもいた。

 魔道具なので高いのは当然であったが、他に宝飾品としての値段も上乗せされてしまっているので、余計に高くなっているわけだ。

 

「いくらなんだ?」


「はい、白金貨三枚です」


 日本円にして三億円。

 いくら貴族でも、そう簡単に手が出る品物ではなかった。


「本当は白金貨五枚だったのですが、こうも売れないと値引きするしかなくなりまして……その……」

 

 俺に買って欲しそうだな。

 店主は苦渋の決断で値引きをしたような口調であったが、どこの世界でも商人が滅多なことで損をするとは思わない。

 大方、利益はわずかか、仕入れ代金の回収くらいに考えているのであろう。


「魔力を事前に篭めておけば、魔力がない時にも魔法が使えるんだな?」


「勿論でございます。高性能な魔道具なので、『魔力質の共通化』で誰が魔力を篭めても使えますです。はい」


 魔法使い同士での効率のいい『魔力移転』には、特殊な才能を必要とする。

 魔力の最初の持ち主の性質というか、指紋や遺伝子、血液型のような要素が含まれいるので、他人に渡しても魔法として発動せず、ただ魔力を無駄に消費してしまうだけなのだ。

 『魔力移転』を可能にするには、ブランタークさんのように『魔力質の共通化』が行えるのが前提であった。

 自分の魔力を、なにかあった時のために魔晶石に込めておく魔法使いは多い。

 一日が終わって寝る前に、これを行う魔法使いが多いかな。

 魔力切れになるとよく眠れるし。

 俺も、万が一の時に備えて何十個も持っている。

 だが、他人が魔晶石から魔力を引き出して魔法を使おうとしても、蓄えられた魔力の5%も魔法に転換できれば御の字であろう。

 魔道具にはその制約がない物も多いが、それは稀少な魔道具職人がブランタークさんと同じく『魔力質の共通化』の術式を魔道具に刻むからであった。

 なお、ブランタークさんには魔道具造りの才能はないので、彼の『魔力転移』は人間相手のみということになる。


『元々才能もないけどよ。俺はああいうチマチマとした作業が苦手だから、特に不満はねえな』


 本人は、至ってこんな感じであったが。


「本人用じゃなくて、汎用なのか?」


「はい、魔力を持つ方なら、誰でも貯めてある魔力を引き出せます。数名の魔法使いで魔晶石に魔力を込めても、問題なく魔法を使えますから」 

 

 そしてこの指輪は、指輪の台座に篭められた特殊な術式により、誰が篭めた魔力でも装備者が自由に使うことができるそうだ。

 ブランタークさんの才能を、再現している指輪でもあったのだ。


「その分も含めて値段が高いのか……。よし、買おう!」


「ありがとうございます」


 エリーゼもセバスチャンも驚いているようであったが、治癒魔法の名手であるエリーゼがこの指輪を持つ意味は大きい。

 俺に、ブランタークさんのような『魔力移転』が使えない以上、こういう魔道具にお金をケチるべきではなかった。

 魔力を篭めた魔晶石で、他人に魔力を移転させるにはこのような高価な魔法具が必要だが、唯一魔導飛行船のエネルギー源とするなら特に問題はないとか。

 この世界の魔力とは、本当に面倒なものであった。

 現在も王都アカデミーなどで研究中のようだが、まだ大した成果も出ていないとブランタークさんが言っていたな。


「あの……こんなにお高い物はさすがに……」


「常識的に考えれば高いと思うけど、ここのところ俺は、莫大な臨時収入があってね」


「ですが……」


「俺たちは夫婦になるんだろう? 俺がその指輪の魔力を必要とするかもしれない」 


 討伐した竜二匹の素材の売却益に、師匠の遺産などもあって、俺はまだ白金貨千枚以上を持っていた。

 なので半分感覚が麻痺しており、この指輪が特に高いとは思わなかったのだ。

  

「魔力を篭めて持っておけば、万が一なにかあった際にも魔法が使えるじゃない」


「ですが……」


「教会だと、余計に治癒魔法が使えた方がいいでしょう? それで助かる命もある」


「ありがとうございます、大切にしますね」


 ここで執拗に断ると、逆に失礼だと感じたのであろう。

 エリーゼは、俺が購入した指輪を素直に受け取った。


「(勿論それだけが理由じゃないけどね)」


 ようは、ホーエンハイム枢機卿に対する脅しだ。

 エリーゼほどの有名人が、これほどの高価な婚約指輪を着けていたら。

 魔道具であり実用品なので、エリーゼはずっと指に填めるから周囲の目に入る。

 噂になるのは、そう遠くないことのはずだ。

 その後、もし俺をここまで貴族間の争いに巻き込んでおいて、突然俺を見捨てたり、梯子を外したりしたら?

 白金貨三枚の婚約指輪を孫娘にプレゼントしたバウマイスター男爵なのに、その彼を見捨てた薄情な男として、ホーエンハイム枢機卿が大きく評判を落すのは確実であった。


「(教会の力で俺を守ってくれよ。半分、教会との婚約指輪なんだから)ああ、魔力を補充できるんだったな」


 店主の説明どおり、魔晶石に触れながら魔力を流すイメージを送ると、今までは灰色だった魔晶石はまるでエメラルドのように輝き始める。


「お客様は、やはり魔法使いでいらっしゃいましたか。そういえば、現在王都では竜殺しで名を挙げたバウマイスター男爵様がいらっしゃると。さらに、『ホーエンハイム家の聖女』様が婚約者になられたとかで」


「なんだ、気がついていたのか」


 どうやらこの店主。

 俺とエリーゼの正体に気がついていたようだ。


「このような仕事をしておりますので。そしてだからこそ、これは魔晶石の指輪をお勧めすべきだと」


「商売人だな」


「はい、これで生活しておりますので」


 見透かされたような気分だが、俺はエリーゼに美しさと実用性を兼ねたいい婚約指輪を贈れたので、それでよしとすることにした。

 それにこの店主も商売上、俺たちが来客した事実をペラペラと周りに喋るつもりもないようだ。


「当店の品は高価でございます。防犯上の観点からも、お客様の情報は漏らさないように心がけておりますからご安心を」


「(貴族が、あまり大っぴらに言えない女性にアクセサリーを贈ることもあるからでしょう?)世話になったな」


「ありがとうございました。またのご来店を」


 さすがに、その質問を口には出さなかったけど。

 俺は無事にエリーゼとの初デートを終わらせ、彼女に婚約指輪を買ってあげることもできて、ようやく心が落ち着いたような気がするのであった。


 それと、この宝石店なんだけど。

 将来、度々利用することになるとは、現時点ではまだ気がついていなかった。

 

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