第41話 新当主の苦労

「ダニエル兄さん、お加減はいかがですか?」


「いいはずがない」


「ならば、今すぐにお薬を……」


「今の私に薬など無意味だ。薬は、飲めばちゃんと病気が治る人を優先した方がいい。ところで父上が見えないようだが」


「今は領内の視察に出かけています」


「嘘が下手だな、アマデウスは。私の反対を押し切って出兵したのか……。父上、馬鹿なことを……」




 父上に口止めをされていましたが、やはりダニエル兄さんが気がつかないわけがありません。

 なにしろ、二千人もの軍勢を動員したのですから。 

 しかもダニエル兄さんは非常に優秀で、将来を期待された身なのですから。


「父上は、ダニエル兄さんに期待しておられるのです」


「だからといって、私一人のために二千人もの人間の命を危険に晒していいいわけがない。それにそう都合よく、私の病に効果がある薬の材料が見つかるわけがないのだから」


「見つからないという保証もありませんから」


「かもしれないが、今回の出兵、犠牲者がゼロというわけにはいくまい。血塗られた新当主よりも、アマデウスの方が新しい当主に相応しいと私は思うがな」


「私は……」


「世間で言うほど、私とアマデウスに差などない。武芸に関しては、私はブライヒレーダー辺境伯家の人間の中で突出しているが、そんなものは領地の統治になんら役に立たない」


「そうでしょうか? やはり武芸に優れていた方が貴族としては……」


「そんなものは腕っ節の強い家臣に任せればいいだけのことだ。猪武者の当主など、 ただの害でしかないのだから。そもそも父上がいない間、この領地の仕事はアマデウスがやっているのであろう?」


「はい。至らぬ点も多いですけど……」


「ただ寝ている私よりも、遥かに有能ではないか」




 父上が、ダニエル兄さんに期待する理由は私にもよくわかります。

 武芸が苦手な者が多いブライヒレーダー辺境伯家の中で唯一の例外であり、武芸百般。

 さらに頭脳明晰で、先を見通す能力もあるのですから。

 兄が新しい当主になれば、ブライヒレーダー辺境伯はさらに発展する。

 父上は誰よりも強くそう思っていて、だからこそダニエル兄さんの病を治す薬の材料を求め、ここより遥か南方にある魔の森を目指したのですから。


「無事に材料が見つかってくれれば……」


 ところがその願いも虚しく、父上の決断は最悪の結末を迎えることとなってしまったのでした 。





「二千人がほぼ全滅……魔法使いもですか?」


「はい。筆頭であるアルフレッド様以下全員が亡くなられました」


 傷だらけの家臣たちから報告を受けた私は、急に目の前が真っ暗になったような感覚に襲われました。

 魔の森に出兵した父上以下、二千人の軍勢が全滅したというのですから。

 百名ほどの生き残りがいるとはいえ、そんなものは慰めにもなりません。

 なにより痛いのは、寄親の権限を利用して応援の兵を出させたバウマイスター騎士爵家の軍勢まで全滅してしまったこと。

 もし事後処理を誤れば、ブライヒレーダー辺境伯家は極めて私的な理由で、寄子ながらも他の貴族を陥れたと言われかねないのですから。

 父上の死を悲しんでいる場合ではありません。

 なぜなら、本来なら当主代理として動かなければならないダニエル兄さんの病状はさらに悪化し、いつ息を引き取ってもおかしくない状態だったのですから。


「私がやらなければ………」


「しかしながら、ダニエル様の許可を取らなければ、反発する一族や家臣たちも出てくるでしょう」


「こんな時に、建前に拘りますか」


 今にも死にそうなダニエル兄さんに、わざわざ私が当主代理を引き継ぐ許可を貰いに行けと?


「あくまでも正式な跡継ぎはダニエル様です。心苦しいですが、ダニエル様から許可を頂かなければ……」


「わかりました」


 今にも死にそうなダニエル兄さんに対し、父上のみならず諸侯軍、アルフレッドたちの死を報告に行く。

 そんな、実の兄にトドメを差すようなこと……。

 私は当主になどなりたくなかったというのに……。



「アマデウス、お前はちゃんとやっているんだ。気に病むことはない。悪いのは……父上、愚かなり! すまない、アマデウス。あとは頼む……」


「ダニエル兄さん!」


 ダニエル兄さんは最後の気力を振り絞って、私を次の当主に任命して息を引き取りました。

 ダニエル兄さんと父上のみならず、多くの犠牲者の葬儀に様々な事後処理……働き手を大量に失ってしまったバウマイスター騎士爵家への補償も必要です。

 一度にすべての魔法使いを失ったのも痛い。

 本来当主になる予定ではなかった私は、兄を手伝いつつ、文学の世界にも興味があったのですが……今はすべてを捨ててブライヒレーダー辺境伯家を立て直さなければ。





「ふーーーん。で、俺の可愛い弟子を使い潰したブライヒレーダー辺境伯家がなんだって?」


「貴様、お館様に対してなんて無礼な!」


「確かに今の俺は無礼だが、無謀な出兵で二千人も殺していないからなぁ。なあ、今の王城でブライヒレーダー辺境伯家がなんて言われているか知っているか?」


「貴様!」


「静かに。当然知っていますよ。『軍人として無能なブライヒレーダー辺境伯に、南部の取り纏めを任せておくことはできない』。大失敗をした我が家を蹴落とし、その後釜に座ろうと必死な連中がいるのでしょう」


「噂している内容は事実だがな」


「事実ですが、ではうちが降りて他の貴族たちに任せていいものでしょうか? このリンガイア大陸南部はもっと荒れますよ」


「若いのに言うねぇ。そこは気に入ったよ」




 父上とダニエル兄さんの葬儀に、出兵の後始末がようやく落ち着いてきた頃。

 私は、かねてよりの懸案であった魔法使いのスカウトを始めました。

 やはり魔法使いがいないと不便ですし、魔法使いを一人も雇えない辺境伯家では内外から舐められるばかり。

 ましてや今の私は、ただの若造なのですから。

 そんな私が目を付けた魔法使いは、父が雇い入れたアルフレッドの師匠であるブランターク・リングスタッド。

 いきなり因縁のある大物なんて無謀……と思う人も多いでしょうが、こういう時は最初に大物を引き入れた方がいいのです。

 『あのブランタークが仕えているのなら、自分も』という魔法使いたちが出てくるはずですから。

 もう一つ。

 ブランタークが仕官してくれたら、アルフレッドの件での禊は済んだと世間は思ってくれるはず。

 難しい交渉になると思いますが、これを成功させれば希望が見えてくるというもの。

 私は、ブランタークの雇い入れにすべてを賭けていました。

 早速彼の滞在場所に直接出向いたのですが、やはり最初の言葉は辛辣ですね。

 私は、連れてきた家臣が激高するのを止めます。


「アルフレッド殿の件は、父になり代わりお詫び申しあげます」


「死んでる先代は、もうお詫びなんてできないからな」


「貴様!」


「静かに!」


 一人で訪ねるわけにいかないので家臣たちを連れてきましたが、もう少し落ち着いてもらいたいものです。


「そのお詫びに、死ぬまで冒険者でいいと思っている俺を引き抜くわけか。それは難義な話だな。俺は、アルフレッドもよく宮仕えなんて選択したなと思ってるくらいなんだから」


「とは申せ、このまま一生冒険者を続けるのも難しいと思いますが……。私は極めて現実的なお話をしているつもりです」


 いくらブランターク殿が優れた魔法使いでも、アルフレッド殿の師匠なのです。

 あとどのくらい現役の冒険者として活動できるのか、わからないのですから。 


「それでもなぁ。魔の森に先代の遺体を回収に行けと言われるよりは長生きできるんじゃないかと思うんだよ」


「……」


 やはり、その問題が出てきますね。

 私が順風満帆に当主を続けるには、魔の森で亡くなった父の遺骨なり遺品の回収が重要です。

 これができてこそ、いまだ私に反抗的な重臣や一族を抑えられるというもの。

 しかしながら、今の状況で遠征などまず不可能であり、ならば魔法使いを含めた少数精鋭による魔の森遠征がもっとも現実的な方法と言えるのですから。


「アルフレッド殿の遺体も収容できるぞ。お館様の仕官話を受けるがいい」


「あんたらはやっぱり、命を賭けて仕事をする冒険者じゃないよな。成功しなかったらどうするんだ?」


「少数精鋭なら上手くいくはずだ!」


「先代の遠征も成功するはずだったんだろう? 仕官の話は引き受けられないね」


「 アルフレッド殿は貴殿の弟子ではないか! 愛弟子の遺体を回収しないでどうするのだ?」


 父上の遺体か遺品の回収に成功すれば、当主としての私の権威は大きく上がるはず。

 だがもし失敗したら、今後二度とブライヒレーダー辺境伯家に魔法使いは仕官してくれないか、優秀な人からはそっぽを向かれるでしょう。

 特に、優秀な魔法使いは。

 私としては、少なくとも現時点では無理に父上の遺体を回収しなくてもいいと思っているのです。

 一族や家臣の中には、それに異常なまでに拘る人も多いので困ってしまいます。

 今のブライヒレーダー辺境伯家に、そんな余裕などないというのに……。


「お互いを信頼し合った、師匠と弟子だからだ。死んだ者の遺体を回収するために、生きている俺が死んだらアルフレッドはさぞや嘆くだろうよ。もし立場が逆だったとしても同じだ。アルフレッドは、無理に俺の遺体を回収しないはずだ」


「お互いに信頼し合っているのですね」


「ああ、俺たちはな。あんたら親子は知らないが」


「父の遺体の回収ですか……今のブライヒレーダー辺境伯家の状態では、諸侯軍の動員すらかけられませんし、ようやく手に入れた魔法使いを危険に晒すわけにいきません。少なくとも十年は領地の立て直しに奔走するしかないのです。十年後、もしかしたら父やアルフレッド殿の遺体や遺品を回収する機会が生まれるかもしれませんが、それはその時になってみないとなんとも言えません。とにかく今は、領地の立て直しが最優先です」


「十年後ですか……」


「頑張れば、その機会があるかもしれません。今はそのための下準備が最優先です」


「……わかりました。引き受けましょう」


「大変ありがたいのですが、どうして仕官話を引き受けてもらえたのですか?」


「お館様、俺も感情のない鬼畜ってわけじゃないんだ。合理的な計算のもと、可能性があるのなら遺体の回収もやりたいってわけですよ。貴族ってのは、周囲の支持を得ようと夢みたいなことばかり語る奴が多いんだが、お館様は地に足がついていていいな。そういう人なら安心して仕えられるというものだ。これからはよろしくお願いしますぜ」


「こちらこそ。これから忙しいですけどね」


 無事ブランタークの引き抜きに成功したので、 あと数名の魔法使いは確保できるでしょう。

 ブライヒレーダー辺境伯領が遠征前の状態に戻るにはまだ時間がかかるでしょうが、それは必ず成し遂げられるはずだと私は信じているのです。

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