第15話 師匠の遺産

「師匠は満足して成仏したんだ。これ以上、悲しむのはやめよう」


 師匠が天へと消えたあと、俺はそう決意していた。

 そして、師匠のお墓は作らないことにした。

 彼が事前に、『お墓なんていらない。たまに、知っている人に思い出してもらえれば満足さ』と言っていたので、その意志に従うことにしたのだ。

 それよりも、問題が一つあった。

 師匠から形見として与えられた、魔法の袋とその中身のことである。

 師匠は孤児で、身寄りが一人もいなかったと言っていた。

 なので、魔法の袋を俺が受け取ることに関してはなんの問題もないであろう。

 あっても、本来であれば魔の森の奥地で朽ち果てる予定であったものである。

 万が一正式な相続者がいたとしても、命を賭してまで取りに行くかどうかも怪しい。

 師匠は優れた魔法使いであり、ブライヒレーダー辺境伯のお抱えになる前は優秀な冒険者でもあった。

 となるとその遺産は多いのかもしれないが、それを取りに魔の森に入って魔物に食い殺されてしまっては意味がない。

 お金を出して冒険者たちに魔法の袋の回収を頼むにしても、場所が場所なので依頼を引き受ける人がいるかどうかも怪しい。

 これまでに、ただの一人も冒険者が魔の森に入らなかったことから見ても、よほど危険だと思われているのであろう。

 実際のところ今代のブライヒレーダー辺境伯は、魔の森で散った実の父親である先代と兵士たちの死体の回収すらまったくしていなかったのだから。


「とりあえずは、中身の確認だな。いい魔法具とかがあるといいな」


 俺は魔法の袋についている小さな魔晶石に触れながら、微量の魔力を送る。

 こうすることによって、自分の脳裏に魔法の袋に入っている品物のリストが浮かんでくると、事前に師匠から教わっていた。

 どんな仕組みなのかは不明であったが、もの凄く便利な機能ではある。

 この機能がないと、魔法の袋から品物を取り出せないから必要なのだけど。

 早速試すと、本当に脳裏に所蔵品のリストが浮かび、その筆頭に師匠から俺への手紙というのが写っていた。

 すぐに魔法の袋から取り出して封を開けると、そこには丁寧に魔法の袋の中に入っている品物のリストが書かれていたのだ。


「これで、脳裏に浮かぶ大量の文字の羅列と戦わないで済む」


 手紙には、こう書かれていた。

 まずは、最後の挨拶を簡単なものとしたいので、この手紙を事前に認めておいたこと。

 次に、この手紙が魔法の袋から取り出せたということは、正式にこの袋の持ち主が俺に代わったことの証明であるという事実を。


『事前に器合わせで君の魔力の容量は広げてあるし、私との僅かな期間の訓練でもヴェルの魔力量は飛躍的に上昇している。限界がくるまで決して鍛錬を怠ってはいけない。さて、君に渡す私の遺産の内容なのだが……』


 まずは、師匠が愛用していた装備品のローブやアクセサリーに、杖、魔法の刀身を出す剣の柄に、他にも魔法の矢を飛ばす弓や、果てはオリハルコン製やミスリル製のナイフが数本ずつなど。

 なるほど、師匠は優れた冒険者であったらしい。

 その装備品はすべて魔法の効果がかかった、金を出して買うととてつもなく高額なものばかりであった。

 他にも、愛用していた魔導具の類があったが、これは魔法使い専用の品と、市場では高額で取り引きされる汎用品も半分ほどを占めていた。


「食べ物を冷やし、氷を作る冷蔵庫なる魔導具か……。汎用品の大半は、冒険者時代に遺跡で拾ったと書かれているな」


 冒険者とは、魔物のテリトリーに侵入してそれを狩って素材や肉を得たり、テリトリー内にのみ存在する植物や鉱物などを採取するのが仕事だ。

 そして他にも、なぜか魔物の生存圏の中にしか存在しない旧魔法文明王朝の遺跡やダンジョンなどを捜索し、その古代の遺産を得るというものも含まれていた。

 ただ、これを達成可能な冒険者というのは非常に少ない。

 旧魔法文明王朝とは、今から一万年ほど前に滅んだ今よりも優れた魔導具の製造に長けた古代王朝であったようで、その遺跡から産出される魔導具には高価な値段がつくのだが、その分発掘の際に危険も大きいというのが現実であったからだ。

 魔物の恐ろしさは、冒険者時代に何度も遺跡探索に成功している師匠が生き残れなかった点から見ても納得というものだ。


『しかしながら、実は魔物のテリトリーへの侵入は少数精鋭の方が成功率は圧倒的に高くてね。そのための、冒険者稼業ということでもあるんだ。ブライヒレーダー辺境伯様にはよく説明したつもりだったんだけど……』


 まるで俺と話をしているかのように手紙には的確な合いの手が書かれていて、俺は思わず苦笑してしまう。


『あれほどの大軍で魔の森に押し入って大々的に魔物を狩り、広範囲の素材を根こそぎ採取したんだ。これで目立たない道理ないさ。それでも最初の数日間は大きな戦果があって、みんなどれだけのボーナスが貰えるんだろうと、みんな大喜びしていてね。徐々に魔物の攻撃が減っていたのも悪かった。大軍に怖気ずいて逃げ出したのだと思い始めたんだ。一部、これは大攻勢の前の静かさではないかと警告する者たちもいたけど……ブライヒレーダー辺境伯様は勝利に水を差すと叱って、その意見を退けてしまった。結局準備期間が終わった魔物に大軍に囲まれてね。よく少数だけど逃げ延びた人たちがいたものだ』


 そのわずかな生存者たちも、半分以上はもう二度と兵士としては使えなかったらしい。

 そういえば、我がバウマイスター騎士爵家諸侯軍の生き残りも兵役は免除されている人がいて、彼らは常になにかに怯えたようにオドオドしながら農作業や開墾の手伝いなどをしているのを見た覚えがあった。

 きっと、かなりのトラウマを受けてしまったのであろう。


『話を戻すが、私はできる限り出兵を止めようとしていた。だが、完全に否定ばかりしてもブライヒレーダー辺境伯様は納得してくれないであろう。ゆえに、ある程度の成果……秘薬の原料が見つかり、従軍で苦労した兵士たちが報われる利益が出た時点で撤退を進言しようと……。最初は上手くいっていたのだけど、人間の欲とは恐ろしい。もっと、もっととなったのさ』


 二千人で狩りを行い、その成果である魔物から取れる素材や肉、魔の森の中で獲れた採集物などを買い取り、恩賞を出した。

 次第に兵士たちの懐が暖かくなれば、今のうちに兵を退こうという雰囲気になるかもしれないし、ブライヒレーダー辺境伯も出兵の費用が補え、面子的にも大量の魔物の討伐実績と素材を得たことで帳尻が合う。

 そのように考えて、師匠も出兵に参加したわけだ。

 だがその結果は、ますます増長して『もっと恩賞を!』となってしまった。

 ブライヒレーダー辺境伯も、秘薬の材料がどれか判別がつかず、もっと色々と集めたいと願った結果、その直後に地獄を見たわけだ。


『私がいれば兵站の苦労が減る。だから余計に強気になってしまったのさ。私は参加しなかった方が……無理だったけどね』


 戦死したブライヒレーダー辺境伯は、魔法の袋を持つ師匠を補給担当にして、正面戦力を一人でも増やしたのか。

 ブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍二千人の兵站ともなれば。これは大きな負担になる。

 いくら隣の領地内とはいえ、富士山よりも高い山脈を越え、さらに南に三百キロほど行軍しなければ目的地に到着しない。

 バウマイスター騎士爵領の人口は僅かに八百人ほどであり、二千人もの軍勢が消費する食料を補給できるはずもない。

 いくら大金を積まれても、ほとんど外部から食料を輸入できないのだから、食料を売ることはできなくもないが、大した量は売れないだろう。

 しかもバウマイスター騎士爵家諸侯軍は、敵軍どころか魔の森で軍事作戦を行う仲間なのだ。

 その根源地から、無理やり現地調達するなんて問題外であろう。

 二千人もの軍勢が最長数ヶ月間行動可能な食料や物資を、富士山よりも高い山を越えて荷駄部隊で運ぶ。

 この時点でこの計画の無謀を悟ってくれればよかったのにと、師匠は手紙の文面でも嘆いていた。

 というか、父はなにも思わなかったのであろうか?

 ブライヒレーダー辺境伯家とバウマイスター騎士爵家の経済格差を考えれば断れないか。

 結局、言われるがまま俺の大叔父にあたる家臣に兵百人を率いさせ、結果的には傷を広げてしまった。


『君なら理解できたと思うが、この魔法の袋にはブライヒレーダー辺境伯軍とバウマイスター騎士爵家諸侯軍が使用する予定であった食料や物資がすべて入っている』


 偉大な魔法使いが持つ魔法の袋が、いかに大量の物資を詰め込めるかだが、そのせいで出兵を止められなかったのは皮肉としか言いようがないな。

 これだけの物資を準備したブライヒレーダー辺境伯家も相当なものだが、これをすべて魔法の袋に仕舞い込めた師匠の魔力量が恐ろしい。


『そんな私よりも魔力が多い君が、それを言うかな?』


 俺が考えそうなことを見事に読んで、次の行には的確なツッコミが入っていた。

 俺は再び苦笑するしかなかった。


「しかしながら、二千人が約三ヶ月行動可能な食料かぁ……」


 大半が、長期保存が可能な堅く焼き締めたパンに、甘くないクッキー、塩漬けの肉に、樽に入ったザワークラウトなどの類であったが、よくよく考えると魔法の袋の性質をよく理解していないように思える。

 魔法の袋の中は、通常の物理の法則から外れた魔力の影響下にある世界なので、そこではまったく時間が経過しない。

 だからこそ、大陸の中心部にある王都では、貴族や大商人、富裕層に属する市民階級を中心に新鮮な海の魚が食卓に上っているそうなのだから。

 これは書斎にあった本の知識からではあったが、早く大きくなって生魚すら食べられる都会に住みたいものである。

 あとは、予備の武器や防具。

 これは、鉄や青銅製のものが多かった。

 同じく組み立て式の天幕など、いかにも昔の軍隊が使いそうな備品に。

 現地で飲用可能な水が補給可能なのかという心配があったようで、大量の皮袋に入った水に、兵士の士気向上のためであろう。

 ブライヒレーダー辺境伯領産のワインや、怪我の治療にも使うものと思われるブランデーなどの蒸留酒なども多数準備されていた。

 大人が酒が好きなのは、どこの世界でも同じなようだ。

 俺も前世では、あまり強くはなかったが毎晩の晩酌は欠かさない性質であった。

 今はこの形りだし、酒は手に入らないので諦めていたが。


「残りはこの大量の魔物の素材や肉に、魔の森で採集した戦利品か……」


 よほど恩賞で煽ったようで、袋には大量の戦利品が入っていた。

 ただ、知識でどのようなものかは理解できても、今の俺では活用が難しいものが多かった。

 魔法の袋に入っている限りは劣化しないので、とりあえずはこのままにしておくか。


「そして最後に、大量の宝石類に、宝飾品、金貨に銀貨か……」


 師匠の財産であったり、ブライヒレーダー辺境伯が大物貴族として見栄を張ったり、兵士たちへの恩賞用として準備していたらしい。

 軽く眩暈がするほどの大金が魔法の袋の中に入っていた。


「とはいえ、今の俺には使えないからなぁ……」


 バウマイスター騎士爵家領内に気軽に買い物できる店など一軒もないし、というかこの袋の存在を公には出来ない。

 いくら大きくなるまで基本放任な八男でも、これだけの財産を持っていることが知られてしまったら?

 最悪、命の危険まで考えなければいけないであろう。

 人間は、お金で変わってしまうこと人が多いのだから。


「というわけで、大きくなるまでは中身は封印と」


 師匠のローブや装備品には強力な魔法がかかっているので着てみたかったのだが、如何せん俺はまだ体が六歳児。

 サイズの問題で、この身の成長を待つしかなかった。


「ふう……帰ろう……」


 俺は、師匠の装備品を魔法の袋に仕舞うと、今日の分の獲物を抱えて家路へと着くのであった。

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