第24話 羨ましい

考えれば考えるほど不自然だ。

僕が一年生の頃から、この部のマネージャーは最大で六人。毎年五月の本入部で入ってこれるのは、倍率数十倍の抽選で入部権を勝ち取った運のいい一年生が二人だけ。

今、意識してそれらしき人の人数を数えると11人もいた。


「君、新しいマネージャーさんかな」


「え…!はい、そうです!あの、佐藤っていいます。私、先輩の試合してる姿が好きで、だからこの四月に――」


「天文部から移ってきたんだよね、知ってる。僕あそこの部長と仲良いからね」


新マネージャーの二年生は決まりが悪そうにして黙り込んだ。どうやら自分が辞めることで天文部がどういう状況に陥るのか、彼女は事前に分かっていた様子だ。けれど自分がどの部活に所属するか、あるいはしないか、一人一人それを決める権利がある。自分が退部するせいでその部活が潰れようが、選択するのは個人の自由。だから部外者がそのことに対して口出しするのが間違っていることくらいは理解しているし、そんな気はさらさらない。


「でもうちの部活、普通は毎年二人ずつ一年生を入れるだけなんだよ。よく入れたね」


「そ、そうなんです!去年抽選で落ちました。でも私、みやこ先輩と委員会が一緒で、仲良くさせてもらってて。そのツテで例外的に入れてもらえたんですよ」


「へぇ、みやこが」


「優しい先輩ですよねぇ!同じ部活に希望している子がいるなら枠増やす、って。おかげさまで他の四人も誘って念願のマネになれました…!嬉しいです、相馬先輩とこんなたくさんお話ができて」


「へー、僕も嬉しいよ。頑張ってね」


「はい!あ、あの!応援してますっ」


心なしか頬を朱に染めた二年生に愛想よく頷き、それからさっさと立ち去った。体育館を出て部室棟へ向かう。


やっぱり天文部から引き抜いたのはみやこか。

彼女はバスケ部のマネージャー。そしてその中でも一番権力を持つ立ち位置にあるから、この部の慣習に逆らってマネージャーを増やすことも簡単にできる。だからといってそんな突拍子もないことをするような奴だった覚えもないし、理由も未だはっきりしないけど。


「相馬パイセン、顔こわーい」


ふざけた声でそう揶揄って、中村が僕の肩に手を置いてきた。僕はその手を払いながら言う。


「…天文部から引き抜かれたマネ、やっぱりみやこの計らいだったよ」


「じゃあSNSの方もみやちんなのかなぁ。天文部に恨みがあるとすれば、きっと相手は菫ちゃんだねぇ」


「え?…二見さん?」


「だってお前ら、年明け…いや二月くらいからかな。急接近してません?最近教室で話すところを目撃する頻度が上がったよね。自覚なし?」


「いや、あるな」


自覚ならある。バレンタインの後くらいからだろうか、急に二見さんがプレイに消極的になった時期があった。理由なら最初から大体察しがついていて、結果的に三月に入ってから二見さんの口から直接聞いた通りだった。僕が「好きな人がいる」と明言したくせに二見さんとキスなんてするから、不信感が募ったのだ。それに気づいたときはあまりにも可愛くてたまらず、思わず好きだと口走りそうになった。

けど喜んでいる場合じゃないのも重々理解していた。二見さんからの信頼が失われれば、主従関係は成り立たなくなる。


DomとSubの主従関係は一見、その字面のせいで立場の上下があるように思えてしまう。

しかし実際は平等な関係だ。DomはSubを支配できるけど、それはSubから信頼を得ていて、Subが自らのコントロールを与えてくれなければ成り立たない。Domが無理やりコントロールを奪うのは許されない行為だ。


その時期、僕は二見さんから不信を買い、プレイが上手くいかなくなったせいで彼女の体調が不安定になっていた。十割僕のせいだし、二見さんはいつも元気なふりをするから、それはそれは心配だった。普段教室ではほぼ話すことなんてなかったけど、その頃僕は頻繁に二見さんに話しかけては調子を尋ねたりしていた。

また最近になって少しずつ関係が回復し、話すことは減ってしまったけど――でもみやこはそれが気に入らなかったのだろうか。今までも、僕が誰か別の女子と談笑しているところをわざとらしく割り込んできたり、そういうきらいがあった。


「あー!いいところにノアくんじゃないっすかぁ」


活動場所も部室も隣同士のバレー部。そこのエースで二見さんの従兄弟のノアくんが、中村の声にパッと振り向いた。


「中村くんに相馬くん、おつかれ。どうかした?」


「折り入って聞きたいことがあってさ。菫ちゃんとうちのマネのみやこって、面識ある?」


「えぇ?あのいつも相馬くんの背中に張りついてる茶髪の女の子でしょ?うーん…あ、でも一回だけ見たかも。三月の大掃除の時、確かその二人で喋ってたような」



♦︎



「――ってことが起こってたみたい」


相馬くんは困ったような表情で言った。わたしはその内容よりも、相馬くんが周りの人を巻き込んで色々と調べてくれたことの方がよっぽど驚きだった。

まさか一年生が来ないのはSNSでの噂だなんて、そういうのに疎い私は絶対に気づかなかっただろう。中村くんが少しずつ誤解を正してくれているみたいで、心からありがたく思った。


「…二見さん?」


「ご、ごめん。ちょっとびっくりして。…そっか、教えてくれてありがとう」


「ううん、全然。原因が分かったところで解決にはならないんだよなぁ。それより二見さん、みやこに何かされてない?」


その名前に、私はギクリと肩を強張らせた。


「…みやこがうちの部のマネなのは知ってる?」


「うん、最近知った。何もされてない、けど…」


あけすけに嫌われていることだけは確かだ。

元々そこまで好かれていなかっただろうけど、教室でたまに相馬くんが私に構うと取り敢えず睨まれたし、あの大掃除の日の「相馬くんはやめておけ」と釘を刺すような発言も記憶に新しい。


気持ちは分かるから、私には責めることもできない。私がもしみやこちゃんみたいに自信と勇気を持った女の子なら、恋の邪魔になる人を片っ端から睨みつけることができたと思う。

――あ、でも好きじゃないってみやこちゃんは言ってたっけ。それは本当なのか、はたまた意地を張っているのか、どうせ本人しか知り得ないことだ。


「二見さん。Come〈おいで〉」


プレイ中であることをすっかり忘れていたけれど、コマンドが耳に入るその一瞬で私は従順なSubに戻る。

相馬くんの足元に寄りかかると、その男らしく骨張った手が私の顎や頬を撫でた。少しくすぐったくて、首を縮こめてしまう。


「みやこの名前を出すと変な顔するよね、二見さん」


「…羨ましくて」


強制されているわけでもないのに本音を溢す。快楽に蝕まれて思考が鈍り、ふわふわと浮かび上がるような感覚に身を任せていた。ほとんど完全に相馬くんの支配下にあるのだと、まともに働かない脳がかろうじて認識する。


「…教室で堂々と相馬くんに抱きつくのも、…周りからお似合いだって言われるのも…あと、下の名前で呼ぶのとか…」


すみれ


突然耳元で囁かれた、掠れた色っぽい声に私は身体を縮こまらせた。

いっぺんに正気に引き戻され、ドタバタと相馬くんから距離を取る。吐息の掛かった耳から全身に熱が広がっていく。


「や…めて……」


「ふふ、そんな顔してやめてだなんて。あ、僕の名前も下で呼んでくれていいよ」


「呼ばないし、相馬くんも呼ばないで!」


「それもそうだね。慣れちゃったらこの初々しい反応も見られないし…」


相馬くんはニコニコと満面の笑みでそう言いながら、上半身を屈めてこちらへ腕を伸ばす。私が躊躇っていると、相馬くんは笑顔を崩さないまま目を少し細めた。支配者の瞳にぞくりとして、私は思わずその手を取る。


「いい子だね。おいで」


もはやコマンドでなくても、高圧的な命令口調じゃなくたって私は相馬くんの言葉に本能的に従ってしまう。


「大丈夫、二見さんだけが僕のものだよ。安心してね」


洗脳状態なんて言葉を使おうとは決して思わないけれど、相馬くんの言葉だけがこの世界の真理だと思った。私の全てを委ねたいとさえ願った。

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