キーロとの出会い

(天空都市群グングニル・中央島南西地区沿岸部:排水パイプ内)




 マスコミの取材攻勢から逃げ出し、天空島の外れにある資源再利用施設の排水パイプに、俺は逃げ込んだ。




 時刻はもう夕方。




 茜色の光線が、潜伏場所である排水パイプの内部を微かに照らす。




 そして、その淡い光すら届かないパイプの奥から、話しかけられた。






「――聞えてます? ザザ選手。あなたにお話があるんです」






 一度目のときは余裕がなかったが、今度は暗闇から届く声を、注意深く吟味し、分析する。




 最初に思った通りだが、声の主は知り合いじゃない。




 もともと俺は社交的な性質じゃない。




 知り合いも少ないのである。




 少ない知り合いの声と比較しても、一致するものはなかった。






「ザザ選手―? あの、聞えてらっしゃいますよね? 話しかけられたとき、かなり驚いていましたし」






 再び一方的に声が話しかけてくる。




 三度目で確信が持てた。こいつは女だ。




 それも若い。俺と同年代か少し年下くらいだろう。




「何の用だ。取材ならお断りだぜ」




 無視して声がする反対方向への逃走も考えたが、ここ数時間は走りっぱなしだ。




 少し体を休ませたい。それに、もう走るのは当分ご免だ。しんどい。






「あっ。記者だと勘違いしていらっしゃいます? 違いますよ。ふふっ」






 女、いや少女の声は可笑しそうに否定した。




 そして、こちらに向かってくる。




 カツン、カツンと固い排水パイプの床を、確実にこちらへ接近してきた。






 ――どうする? 逃げるべきか? それとも??






 逡巡した。




 だが、結局声の主を待つことにする。




 相手が記者なら、もっとガツガツしてるだろう。




 それに、こんな薄暗闇の中で写真をとるなら、フラッシュは必須だ。




 それがないことを考えると、声の主はメディアの関係者じゃないだろう。




 ……たぶん、だが。






 もし勘が外れて、メディアの人間だったら、一目散に逃げる。




 それ以外の怪しい奴でも、逃げる。




 他の場合は……まあ、正体を確かめて決めよう。




 声の主がこちらに接近する間、俺は幾つかの状況を場合分けし、各対処を簡単にまとめた。




 こうしておいた方が、いざというとき、とっさの行動ができる。




 天空闘竜で培った思考回路だ。




「それにしても、なんで此処が分かったんだ? あんた、俺のことつけてたのかい。だとしたら、相当な運動神経だな。きっと、足も早い」




 近づいてくる相手に、水を向けて見る。




「私、運動音痴ですよ。おじさんに訊いたんです。あなたがこの方角に向かったって。それで、身を隠すなら、このパイプだと思って、待っていたんです」




 徐々に近くから聞えるようになる声とその質は、やはり女性だ。




 というより、俺と同世代だな、やはり。




 それにしても、おじさん?




「おじさんって誰だい? 君の伯父さんのことなのか?」




 情報通の親族でもいるのだろうか。




 声の主についての謎が、ますます深まる。




「違いますよ。屋台のおじさんです。お昼ごはん、そこで買いましたよね?」




 すぐそこで声が聞える。だが、まだ姿は見えない。




 妙だな。かなり不気味だ。




「屋台のおじさん……?」




 一文字ずつなぞるように発音して、ようやく理解した。




 そうか。逃走の途中で昼飯の惣菜パンを買った、あのパン屋台の店主のことか。




「くそっ。メディアには黙っててくれと頼んだのに。どうせ、金に買収されたんだろう」




 思わず俺は悪態をつく。




 だが、少し悲しそうな例の声が否定する。




「違います。おじさんは、私だけに教えてくれたんです。メディアの人に面白半分で話すような人じゃありません。真面目な人ですから」




「へえ、そうなのかい」




「そうです。だって、メディアの人は、此処に一人もいないでしょう?」




「君が違うならね」




 そう言い終って、俺は明確な違和感に気がついた。




 さっきの会話で発せられた声。




 あれは、何処から聞えてきたんだ?




 俺のは後ろ。背後から聞えて来たような気がするが……。




 はっ。まさか。




 俺は苦笑いして、後ろを振り返った。








 ――振り返ったところで、暗闇に輝く紫の両目と視線が合う。








 俺は度肝を向かれた。




 いや、名誉のために抜かれかけた、と訂正する。




「――うおっ! 誰だ!!」




 排水パイプの床には、細長い水の流れができている。




 俺は今自分がいる側から、その反対側まで光の速さで飛び移った。




 そして、猫のように光る両目の持ち主を観察する。




 身長145センチほど。黒髪のセミロング。顔には丸目の黒ぶち眼鏡。冬用の黒いアウター。濃い緑のロングスカート。薄汚れた灰色のスニーカー。




 あと、頭にニット帽、手にミトン手袋。防寒はばっちりだ。




 性別は、恐らく女。年齢不詳だが、俺と同じくらいだろう。




 顔はじっくり見ていないので分からない。が、恐らく小奇麗な感じだと思う。一瞬だから、確実性はないが。




 総括すると、清貧というか、地味というか。




 マスコミ関係者でもないし、天空闘竜の競技団体の人間でもないだろう。




 そこらへんの業界人と比較すると、華がなさすぎる。




 なんといえばいいのか……。




 孤児? 違うな。迷子? 遠くなった。未亡人? そんな歳じゃないか……。




 委員長? 惜しい。近いな。あと一息だ。




 ――あ。わかったかもしれない。あー、あれだ。




 苦学生。それだ。それが一番しっくりくる。




「あんた、なんで俺の背後にいたんだ?」




 苦学生に話しかける。




 彼女は、暗闇でも輝く両目をこちらに向ける。




 なんというか、怪しい雰囲気がある。




 苦学生というより、宗教の勧誘の方が正しいんじゃ?




「簡単です。『サーチ』を使っていたんです。あなたの身体は筋肉質だから。筋肉が多ければ、発する熱も普通の人よりも多い。だから、接近できた。見つけやすいんですよ、他の人よりも」




 『サーチ』というのは、通常見えないものを見えるようにする天空術だ。




 確かに、『サーチ』を駆使する上級者の中には、赤外線や紫外線を可視する奴もいる。




 中には、レントゲンのように、見るだけでがん細胞や痛んだ筋肉の箇所を把握できる凄腕もいるらしい。




 こいつもそうなんだろう。




 常人の可視光線ではなく、赤外線で俺を見ていたのだ。




 筋肉の発する熱に注目していたということは、赤外線を利用していたのだ。




 (※赤外線を使用すると、熱を持つものとそうでないものが見分けられるからな)




 だから、暗闇でも俺の居場所が正確に分かった。




 蛇みたいな奴だ。




「あー、それで? 何の用??」




「用というか……。観察してたんです。あなたの背中を。だから、背後にいただけです」




「背中を? 観察??」




「ええ。いい筋肉ですね。流石は、もとスタープレイヤー」




 そういって彼女は微笑む。




 俺は身の危険を感じた。




 こいつ、恰好は無害そうでも、変態なんじゃないのか?




 人の背中がどうとか、筋肉がとか……。




 怪しいフェチズムに目覚めているのかもしれない。




 俺と苦学生の間には、排水の小川が流れている。




 この小川に感謝しなければならない。




 なぜなら、この不気味な少女との物理的な境界線役をしてくれているからだ。




 はっきりいって、こいつは不気味だ。




 できるだけ、離れて会話をしたい。




 というか、早く逃げ出したい。




 だが、そんな俺の思いなどお構いなしに、不気味な苦学生はこう言った。




「至近距離で診れて良かったです。おかげで、分かりました」




 戦々恐々、俺は尋ねる。




「……何が?」




 逃げ出そうかとも思った。




 だが、その前に、苦学生はこう言う。










「――治せますよ、その怪我」










 一瞬、意味が分からなかった。




 だが、それしかないと思ったとき、頭の中がより混乱する。




 治る? 俺の怪我が? 第一右翼支柱筋剥離が??






「私はキーロ。天空獣医師を目指している学生です。よろしくお願いしますね、氷息帝ザザ選手」






 苦学生はそういった。にっこり微笑んでる。










 こいつは、一体何者なんだろう?






















 

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