日本で少年少女の異能バトルが始まろうとしたら真っ先に警察と自衛隊が反応した結果

千馬 いつき

プロローグ

 常磐永和ときわとわという少女は、小さくて物静かな女の子だ。田中優紀たなかゆうきは、そんな彼女に一目惚れしている。

 都内某所、立派なもみじの木が秋を彩る大きな図書館。二階の窓際、テーブルを挟んで座り心地の良い椅子が向かい合う二人席。

 館内随一の特等席で勉強道具を広げているのは、優紀と永和だ。

 永和の髪型は、前下がりなボブカット。髪の色は混じりけのない純黒で、前髪は落ち着いた形の目元までかかっていた。真面目そうな純白のブラウスの上、慎ましやかに曲線を描く胸元にスタッフ証が下がっている。清楚な黒のボックススカートには、細くシンプルな黒のベルトが巻かれていた。

 彼女は今、小さなキーホルダーつきのボールペン片手に参考書とにらめっこしている。相対する優紀は、学校の宿題を広げて消化中だ。

 それが二人のいつもの光景になって、四ヶ月が経つ秋のこと。

 儚げな声が心地良く、優紀の耳に届く。

「よし、今日はここまでかな」

 ボールペンを栞代わりに挟んで、永和は参考書を閉じた。

「もう休憩時間終わり? お仕事頑張ってね、常磐さん」

 永和は立ち上がりながらはにかんで、トートバッグから可愛らしくラッピングされた小袋を取り出した。

「ありがと、田中君。これ、よかったら食べて? クッキー焼いたの」

「え? そんな、いいのに」

 遠慮しながら受け取ったそれは軽い。デフォルメされた動物の顔がプリントされた、手の平サイズのフィルムの口は、細いリボンで可愛く結ばれている。

「いつも勉強教えてもらってばかりだから。たまにはちゃんとしたお礼をしないとね」

 トートバッグを肩にかけて、にこり。永和の笑顔が優紀の網膜に焼きついた。

「じゃ、じゃあ……遠慮なく。いただきます」

 優紀がリボンをつまんだその時、永和が満面の笑みで半畳を入れてくる。

「お客様。図書館は飲食厳禁ですから、没収しますね?」

「えっ、ひどい!」

 おもわず抗議すると、永和は楽しそうに身体を揺らした。

「冗談、冗談。おうちで食べてくれたら嬉しいな。それじゃあまたね」

 ちょっと照れたような笑顔と、ひらひら動く小さな手が愛おしい。

 スタッフ証が示す通り、永和はここの図書館で働いている。おとなしげで童顔な顔立ちと百五十センチない背丈は、まるで中学生だ。しかしこうして働いている以上は優紀と同じ十代後半なのだろう。

 優紀とてそこまで学力は高くないが、それでも永和に数多くのことを教えられるくらいに差があった。そして永和が教科書を持参するところを、優紀は見たことがない。いつも参考書だ。

 だから彼女は高校受験に失敗し、一浪でもしてしまったのだろう……などと、そんな邪推を優紀はしている。なにせ、彼女がここで働き始めたのは、倉林くらばやしという職員の紹介がきっかけなのだ。そんなイレギュラーな事情がある以上、優紀がそこまで勘ぐってしまうのも仕方のない話だった。

「そうだ、常磐さん」

 振り返った永和は、空いた手の指の背で目元の髪を払った。目の横に小さな手を添えたまま、不思議そうな眼差しで優紀の言葉を待つ。

 その立ち姿にどぎまぎして、優紀は結局、今日もまた諦めた。

「……ううん。なんでもない」

「そう? じゃあ、またね」

 永和を見送って、優紀はため息を吐いた。終わりかけの宿題が、どうにもみっともなく思えてしまう。


 想いを告げられぬまま、冬が来た。

 児童向けコーナーへ足を運んだ優紀は――しれっと紛れ込んでいる少年漫画が目的だ――三段ほどの小さな脚立に跨る永和を見かけた。

 白い柔らかそうな模様つきセーターをブラウスの上に着て、明るいブラウンのロングスカートと暗いブラウンのタイツで細い足を寒さから守っている。

 宗教・思想コーナーの最上段の本に用があるらしく、脇腹をそらしてまで手を伸ばしていた。脚立の置き場を若干間違えたようで、その手はどんどん横へそれていく。

 足が震えていて危なっかしいと思い、優紀が近づいてすぐ……案の定、永和の身体が傾いた。

「ひゃっ」

 すかさず踏み込み、両腕を伸ばす。永和の身体はすぽりと両腕に収まったものの、おもいのほか衝撃が重くて優紀の膝がかくんと折れた。

 絨毯の上にへたり込む優紀。彼の太腿の上に、温かい永和の背中が乗る。手足を畳んで丸くなった永和と目が合った。

 受け止めた髪の毛は柔らかく、腕に収まる永和の顔が近い。女の子の香りがする。

 二人して、そのまま呆ける。

 先に我に返ったのは、永和だった。

「お、降りるから、待って」

 永和が優紀の上からどいて、二人揃って立ち上がる。おずおずとしながら、永和は肩を狭くして頭を下げた。

「あ、ありがとうございます……」

「い、いえこちらこそ……」

 ぎこちない沈黙が居座った。

 定期的に図書館デートのようなことをしているこの二人だが、実はまだつき合ってすらいない。優紀の方にその気はあれど、永和が優紀のことをどう思っているのかどうかわからず、ここ半年間告白できずにいるのだ。

「ご、ごめんね? 怪我しなかった?」

「僕は大丈夫、常磐さんこそ……」

 普通なら距離が近づきそうなハプニングも、この二人ではよそよそしくなるだけ。

 元より、二人の出会いは六月のこと。優紀が本を探している時、永和がその本を持っていたことがきっかけだ。

 ――これ、ですよね。さっき気にしてたの、見てました。

 永和の見た目と声が可愛らしくて、見事に一発ノックアウト。一目惚れだったのだ。

 その後、優紀と面識のあった倉林から頼まれて、学力に難がある永和に勉強を教えるという形で、二人の交流が始まった。

「おっと、常磐さんこれ」

 優紀は永和のポケットから落ちたとメモ帳を拾う。ファンシーで可愛らしいデザインを選ぶあたり、永和らしさが溢れている。

「ありがと……」

 恥ずかしがって縮こまる永和が可愛くて、優紀はカッコつけようと拳を握りしめた。

「ど、どの本をとればいいにょ?」

 ……これは恥ずかしい、と優紀の方が赤くなる。

 永和もすっと冷静さを取り戻し、顔を綻ばせてメモ帳を見せてくれた。

「これとこれ」

 大きな丸文字が紙面に踊っている。一タイトルに二行を使い、余白をたっぷりと余らせたページの隅には、トナカイの可愛らしいイラストが落書きされていた。

「わかった。ちょっと待ってて」

「手伝わせちゃってごめんね……ありがと」

 結局この日も、勇気を出せずに終わってしまった。それでも、少しずつ距離は縮んでいるはずだ、と、優紀は切に願っている。


 いよいよ優紀が高校二年生になった、春のこと。

 永和の勉強セットはいつの間にか筆箱が一新されていたが、教材は未だ市販の参考書のまま。そこに優紀はまたしても確認も取らず妄想を膨らませ、教え方が下手だったかな、と勝手に落胆していたりする。

 一方、永和は仕事が板についてきたのか、館内の現場作業だけでなく職員用のパソコンでキーボードを打つ日も増えてきた。

 それに気づいた優紀は、彼女は進学する気がないのかもしれない……。と、これまた無駄に考えすぎるばかり。

「仕事楽しい?」

 そう聞くと、永和はどこか儚げな笑みを返してきた。

「うん。……昔の自分を、忘れそうなくらい」

 言ってから、口元を手で隠す永和。これは、なにかありそうである。

 想像だけで済ませてきた彼女の過去は、やはり気安く口にするべきではなかったのだ。そう安堵しつつ、優紀は永和を励ました。

「僕だって、目を背けたい黒歴史の一つや二つ、持ってるよ」

「そうなの?」

「今となっては、どうでもいいんだけどね」

 ここで「常磐さんと一緒にいる時間が楽しいからどうでもよくなったんだ」という口説き文句が込み上げたものの、恥ずかしくなって胸に秘める。

「……両親が離婚したんだ。元々、苗字は宮藤だったの。もうすぐ十年経つんじゃないかな。姉さんが一人いたんだけど、父さんの元に残っちゃった」

 代わりに言ったそのセリフは、永和をとても驚かせてしまったらしい。目を丸くして、口を両手で塞いでいる。

「お、お父さんって、どんな人なの……? 名前とか」

「父さん? 宮藤龍馬みやふじりょうまっていうんだけど、防衛省で働いていて、いっつも仕事ばっかり。……あ、ごめん、気にさせるつもりじゃ」

「う、ううんっ。全然、全然……」

 半ば放心状態の永和を引き戻すため、優紀は話題を勉強に戻した。

「えっと……そうだ。ここの公式、今後も色々なところで使うからちゃんと憶えてね」

 教科書を見せてそう言うと、永和は持参したポーチを漁りながら答える。

「う、うんっ。じゃあ、目立つようにしないとね」

「そうだね……って、それは?」

 永和が取り出したのは、ビニールラップに包まれた、薄っぺらいそれ。中には動物たちをデフォルメした可愛らしいシールが、台紙にたくさん並べられている。

「シールだよ。ほら、インデックスみたいに。貼る?」

 熊っぽいシールを選んで、優紀は困惑しながらも公式のそばに貼りつけた。

「じゃあ、私も熊にしよう」

 教材というのが味気ないが、それでも、お揃いという単語を思い浮かべるには十分だ。

「あ、ありがとう常磐さん」

「どういたしまして」

 いつもより、少し無理して作っているような笑顔にしか見えない。やはり、デリケートな話はやめた方がいいのだろう。

 後悔と反省を残しながら、それでも二人は勉強を続けた。

 こうして未だに告白ができないまま、時間は流れていく。


 やがて季節は、夏を迎えようとしていた――。

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