05.このまま置いておけないな(SIDEセティ)

*****SIDE セティ




 山の奥に打ち捨てられたはずの神殿に足を運ぶ気はなかった。ここは荒ぶる神タイフォンを祭った洞窟に作られている。どうせ誰もいないだろうし、雨宿りにはちょうどいい。その程度の感覚で飛び込んだ神殿に、子供がいた。


 鎖で繋がれ、物も言葉もよく分からぬ純粋な魂が見上げてくる。きょとんとした顔で近づき、でも手前で止まった。初めて見るオレが怖いのか、身体を丸めて小さく震える。見える場所に傷はないのに、動く所作に頭を抱えるのは殴られて育った証拠だ。


 長い黒髪と紫の瞳――この組み合わせはさぞ嫌われただろう。頭にぽんと手を置いてからぐりぐりと乱暴に撫でる。それから煩い音を立てる鎖に眉をひそめた。子供を繋ぐ鎖は長く、だが所々に金具を引っかけた跡がある。都合よく短くして閉じ込めたりしてるんじゃないか?


 やたらと細くて頼りない子供は、ふらふらと近づくのに絶対に触ろうとしない。神殿に出入りするのは男女関係なく神官だけ。この神殿は一般公開されるような場所になかった。つまり、子供を怯えさせる犯人は神官なのだ。


 腰のベルトから取り出した剣を当てて、鎖を断ち切った。幸いにして足枷ではなく巻き付けた鎖だけだったので、あっさりと足から外れる。立ち上がった子供は話そうとしない。もしかしたら言葉を教えられてないのか? 積極的に話しかけると、頷いたりと反応はある。理解はしているらしい。


 荒ぶる神タイフォン――彼の神が邪神と言われるのは、破壊を司る神だからだ。その化身は御贄みにえであり、黒髪に紫の瞳を持つ。つまり、この子はこの神殿に供物として捧げられたのだろう。呪われるから殺せないが、可愛がって育てる気もない。そんな投げやりな対応で放置された子供……。


 くしゃみをすれば毛布を渡し、果物や食べ物を分け与える。純粋で真っすぐなのは、誰かがこの子を可愛がったことを示していた。だが今側にいないなら同じだ。拾って可愛がった猫を捨てていく人間と変わらない。礼を言えば嬉しそうに顔を崩して笑う。あどけないその表情は庇護欲を誘った。


 目の色に興味を持ったのか、顔を近づけて覗き込む子供を膝に乗せた。すごく綺麗な顔をしている。色が違えば、きっと親も手放さずに愛したのだろう。こんな色をもって生まれたことを悔やむ知識すらないのは、この子にとって幸せなのか。


「これはお前のだろ」


 食事を差し出す子供は不思議そうにしながら、また箱ごと食事を押しやった。薄い塩味の冷めたスープと甘さの足りないばさばさのパン。それでもこの子供にとって大切な食事だろうに、初見の人間に差し出す。


「くれるのか?」


 首が折れるのではと心配になる勢いで縦に振り、にこにこと笑う。ありがとうと礼を口にすれば、ほんわりと表情が和らいだ。


 ああ、本当に可愛い子だな。これはこの子にとって最上級の持て成しだ。一緒に食べようとこっちに呼べば、手招きの動作に驚いた子供が丸くなった。震えながら頭を庇う痛々しい姿に、自然と声が優しくなる。


「怖くないぞ」


 そう告げて毛布を置いて立ち上がった。どうやら人との接触に興味はあるのに、怖いらしい。洞窟は外より暖かいが、どうしたって石造りの神殿は寒いはずだ。素足の子供を温めるため、ベッド脇の絨毯を敷いて、直接床に触れないよう胡坐の上に座らせた。


 オレの顔を見上げ、胡坐をかいた足を眺め慌てふためく。小動物みたいで可愛い。


「一緒に食べようぜ。お前、話せないの?」


「はな、せる」


 驚くほど耳に馴染む声は、子供特有の高い音だった。街で聞くと耳障りなのに、どこか心地よい。もっと聞いていたいと思った。この声を潰されてたら、神殿に出入りする奴を全員殺してたかも。物騒なことを考える。


 子供の振る舞いに手を付けなければ、悲しむだろう。粗末な食事の入った箱を確認して、思わず天を仰いだ。成長期の子供に、肉も野菜もほとんどない汁ものとパンだけ? 確かに軽すぎるし、腕や足も棒のように細い。


「んっと……嘘だろ、食器もないのかよ」


 どんな生活させてるんだ? この子は邪神への供物だから、生贄同然で教育は不要とでも思ったか? 口をつけて啜れと示す子供に頷いてやり、不安にさせないよう笑顔を浮かべる。


 ダメだ。この子をこのまま置いておけないな。


 子供服はすべて綿の生成り、それを数枚収納空間へ放り込んだ。毛布を大切そうに抱いているから持っていくのかと思えば、必死で掴んで抵抗する。爪をたてて抵抗する子猫を思い浮かべ、笑ってしまった。子供の身体をぐるぐる巻きにする。


 見回した先に靴がなくて、素足を鎖で繋がれていたから……この子は外を知らないだろう。いきなり歩かせると足を痛めてしまう。大して重くないので抱き上げて移動することにした。


「靴がないから、抱っこしてくか」


 意味が分からない様子で見上げる簀巻き状態の子供。彼の腕を毛布から出して首に回させ、腕に座らせるように縦抱っこした。

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