02.温かい言葉をくれた人

 外は風が強くて雨が吹き込んでいるみたい。足元に少し水が流れてくる。手を伸ばせば冷たかった。外に出たいけど鎖が届かないから、ぎりぎり行けるところまで出ていく。凄い音がして、地面を黒い物が踊っていた。怖い。何あれ……僕もあんな風に見えるのかな。


 冷えた地面に寝ころんで、目いっぱい手を伸ばした。黒い何かは僕の手に触れているのに、冷たさも温かさもなかった。柔らかさもないし、掴めない。


 がっかりしてごろんと転がった僕の目に、初めて見る人間が映った。絵本にあった色と同じ、赤い髪と青い瞳の人間は首を傾けて僕を見る。


「人がいる? え、なんだここ。放置されたはずだろ」


 神殿だよと答えようとして、前に話しかけて叱られたことを思い出す。あの時ベッドを直す人間は変な声を上げて逃げて、僕を手で追い払おうとした。きっとまた同じ目に遭う。胸がぎゅっと苦しくなって、手足を引き寄せて丸くなる。


 動いた足が、じゃらりと鎖の音を響かせた。


「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」


 話しかけられた言葉が聞き取れたことに、僕はほっとする。鎖は足についてる硬いやつだよね。繋がるって何? 伸ばされた手に握られた光る長細い物が、僕の足に続く鎖を切った。かしゃんと聞いたことがない音がして、足の鎖は取れる。


 あんなに引っ張っても取れないのに、その光る長細いやつ凄い。鎖が落ちて自由になった足を手で撫でてみる。うん、痛くないし平気そう。


「大丈夫か? 神殿っぽいけど、子供を繋ぐのは虐待だ」


 神殿は合ってるから頷いたけど、虐待って何だろう。この人は何で怒ってるの? やっぱり僕が悪いのかな。震えながら丸くなった。いつからか、僕は叩かれて殴られる。何が悪いのか分からないけど、たくさん痛い思いをしてきた。また、叩かれるの?


「ああ。悪い、大声にびっくりしたか」


 ぽんと頭の上に何かが触って、驚きすぎて動けなくなった。何してるの? 頭をゆっくり左右に揺らすように動くのは、この人間の手みたいだ。すごく気持ちがいい、温かくて顔がふにゃっとなっちゃう。


 絵本の人みたいに腕で閉じ込めてくれないかな。じっと見上げると、この人はくしゅんと変な音を出した。ずるずると鼻を啜る音は、僕も知ってる。寒い時になるやつだ。奥の部屋にある毛布なら温かいはず。大急ぎで立ち上がり、いつもの癖で足の鎖を確認した。


 落ちてる……そっか、さっき取れたんだ。ならば早く動いても平気なのかも! いつもより急いでベッドに飛び乗り、上に置いた毛布を抱える。振り返ると、ついてきた人間がぐるりと部屋を見回していた。よかった、遠くまで運ばないで済んだ。毛布を彼の手に押し付ける。


「ありがとう、貸してくれるのか」


 貸すのはわからないけど、大きく頷いた。ありがとうって言った。それは人間同士がたまに掛け合う言葉で、いい言葉だと思う。聞いて覚えたからあまり言葉の種類は知らないけど、これは温かくなって気持ちが良かった。


 毛布を手早く巻いた人間は、籠に入った果物に気が付いた。覗き込んでいるから、脅かさないように近づいて籠を押しやる。食べるんだよね、僕と同じ物で平気だよね。そう問う僕に気づいたのか、にっこり笑ってまた頭を揺らされた。


「ひとつ貰うな、ありがと」


 またあの言葉が聞こえる。気分がいい。顔をふしゃりと崩しながら、大急ぎで別の入れ物を取りに行った。いつも柔らかいやつと、飲めるやつが入った箱がある。取っ手がついた箱を引きずって、蓋を開けた。


 赤い果物を齧る人間に手を伸ばして、叩かれるかも知れないと手を引っ込めた。危なかった、また甲高い変な声を上げて、物をぶつけられる。そしたら痛いし、気分も悪かった。あんな目に遭うのはもう嫌だ。


 だけど果物を食べている人間を振り向かせる方法……音がすればこっち向くかな。箱に入っている空の器を掴んで、地面を叩く。こんこんと響いた音に、人間は僕の方を向いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る