『ゴウちゃん』 Waka
ゴウちゃん。それが私の呼び名だった。
本名は
『わかちゃんって、だんしみたい』
幼稚園のときに、当時仲の良かった
本当は嫌だった。ゴウちゃんなんてあだ名よりも、『和歌』という名前で呼んで欲しかった。でも、そんなこと一度も言えなかった。笑って誤魔化して。そんな自分が嫌いで。嫌で嫌で仕方がなかった。
「ゴウちゃん、サッカーしようぜ!助っ人頼む!人数足りねえんだわ!」
「おっけぇ!いいよー!」
そう声をかけたのは、クラスメイトの
「えー、あり得ないー!男子とサッカーなんて野蛮なこと!あたしだったら絶対無理ー!」
鼻につくような、いつもより1オクターブ高い声は、五月のものだ。
「ゴウちゃんだからできるけど、川畑さんは、足引っ張るから誘われないだけじゃんねえ」
そう呟いたのは、
私のクラスでは、五月グループと私ことゴウちゃんグループに分かれている。何かあるごとに衝突するのだ。
ふと、私を見つめるような視線を感じた。
——
私は密かに、松川のことが気になっていた。でもこんなこと言ったら、『ゴウちゃんらしくない』とか言われるのだ。
私が見つめ返すとすぐに視線を逸らし、教室を出て行った。
「ま、いいや。私行くね!」
「ゴウちゃんガンバー!上から応援してるよ!」
私は体操ズボンに履き替えて、教室を出て行った。
急いで靴を履き替えようと、階段を駆け下りようとした。
けど。
「——で、ぶっちゃけどうよ、ゴウちゃんは」
「ははっ!女子には見えねえよ!オトコトモダチって感じだな!」
この声‥‥‥上杉と
「しかも下の名前、『和歌』だろ?似合わねー!」
‥‥‥悔しかった。自分の名前をバカにされたこと。ゴウちゃん、それが嫌だと言えない自分も、悔しかった。
気がついたら私は、引き換えして階段を駆け上がっていった。
3階へ続く踊り場までやってきた。乱れた息を整えながら、少しずつ気持ちを落ち着ける。
「はは‥‥‥。馬鹿だなあ、私って」
そう呟きながら階段に腰掛ける。
「――合田和歌。どうして、嫌なことを嫌だと言えない?」
声のしたほうを見ると、階段を上がりながらそう言う、松川だった。
「ゴウちゃんというあだ名が嫌なのならば、そういえばいいじゃないか。川畑さんや、他のみんなには分かってもらえないかもしれないが、僕は絶対にゴウちゃんなんて呼ばない」
松川って、こんなにしゃべるんだ。少し驚いた。
「でもそんなこと、私が言えるわけないじゃない‥‥‥」
絞り出したような声は、少しかすれ、みっともないほどに震えていた。
「やってみなきゃわからない。僕は合田さんが」
「なんでそんなこと言えるのよ!!」
気がつけば、松川に向かって怒鳴っていた。
「そりゃ言えるよ。だって他人事だもの。松川には関係ないもんね。でも私にとっては他人事なんかじゃない。だからそんな簡単に言えない。実際何度も言おうと思った。でも一度も言えなかった‥‥‥」
幼稚園のときには少なくとも、自分の気持ちを伝えられる子供だったのに——。
『わかってよんでね』
『さつきちゃん、わたしはわかだよ』
『わたし、おとこじゃないもん‥‥‥』——
「僕は、絶対に他人事なんか言わない。それに、合田さん以外には、きっとこんなことなんて言わない」
松川の瞳はキラリと光り、とてもきれいで、少し見とれてしまう。
「だって僕は」
そう言いながら、かけていた眼鏡をゆっくりと外す。
その顔には、どことなく見覚えがあった。
「ゆう、くん‥‥‥?」
私の初恋の相手であり、幼稚園以来一度もあっていなかった、ゆうくんこと、悠里くんだった。
「和歌ちゃんのことが、今でも変わらず大好きだから」
あの頃のまま、記憶の中のゆうくんと同じ笑顔で、笑った。
「ゆうくん‥‥‥」
気恥ずかしいような、嬉しいような、そんな色んな感情がごっちゃ混ぜになる。私はその感情を振り払うようにゆうくんに飛びついた。
「私もゆうくんのことが、ずっとずっと大好きだった!」
ゆうくんはその言葉を聞くと、安心したように優しく笑って、私をギュッと抱きしめてくれた。
「僕は和歌ちゃんを信じてる。大丈夫だよ、きっと言える。時間はかかるかもしれないけど、きっとわかってもらえるよ」
ゆうくんに言われると、心から安心する。
ううん、わかってもらえなくたっていい。他でもない君にそう言ってもらえるのであれば——。
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