『ゴウちゃん』  Waka

ゴウちゃん。それが私の呼び名だった。



本名は合田ごうだ和歌わか。ベリーショートに日に焼けた肌。並外れた運動神経を持っている。兄弟が全員男だった影響があり、遊ぶといってもゲームや野球などが主だった。勉強は苦手で授業中もよく居眠りをする。



『わかちゃんって、だんしみたい』


幼稚園のときに、当時仲の良かった川畑かわばた五月さつきに言われた言葉だ。五月は私と正反対で、女の子らしくて、クラスの中心人物。何かと突っかかってくる五月は、どちらかというと、小さい頃から苦手だった。『ゴウちゃん』。そう呼び始めたのも、五月だ。



本当は嫌だった。ゴウちゃんなんてあだ名よりも、『和歌』という名前で呼んで欲しかった。でも、そんなこと一度も言えなかった。笑って誤魔化して。そんな自分が嫌いで。嫌で嫌で仕方がなかった。



「ゴウちゃん、サッカーしようぜ!助っ人頼む!人数足りねえんだわ!」

「おっけぇ!いいよー!」


そう声をかけたのは、クラスメイトの上杉謙介うえすぎけんすけ。かの有名な上杉謙信うえすぎけんしんと一文字違いなのがウケる。


「えー、あり得ないー!男子とサッカーなんて野蛮なこと!あたしだったら絶対無理ー!」


鼻につくような、いつもより1オクターブ高い声は、五月のものだ。


「ゴウちゃんだからできるけど、川畑さんは、足引っ張るから誘われないだけじゃんねえ」


そう呟いたのは、佐藤さとう美子みこ

私のクラスでは、五月グループと私ことゴウちゃんグループに分かれている。何かあるごとに衝突するのだ。



ふと、私を見つめるような視線を感じた。

——松川まつがわ悠里ゆうりくん。眼鏡をかけていて、成績はいつもトップ。一匹オオカミで、特定の友達を作らない。いつも不思議な雰囲気をまとっている。

私は密かに、松川のことが気になっていた。でもこんなこと言ったら、『ゴウちゃんらしくない』とか言われるのだ。



私が見つめ返すとすぐに視線を逸らし、教室を出て行った。



「ま、いいや。私行くね!」

「ゴウちゃんガンバー!上から応援してるよ!」


私は体操ズボンに履き替えて、教室を出て行った。



急いで靴を履き替えようと、階段を駆け下りようとした。

けど。


「——で、ぶっちゃけどうよ、ゴウちゃんは」

「ははっ!女子には見えねえよ!オトコトモダチって感じだな!」


この声‥‥‥上杉と片岡かたおか


「しかも下の名前、『和歌』だろ?似合わねー!」


‥‥‥悔しかった。自分の名前をバカにされたこと。ゴウちゃん、それが嫌だと言えない自分も、悔しかった。

気がついたら私は、引き換えして階段を駆け上がっていった。



3階へ続く踊り場までやってきた。乱れた息を整えながら、少しずつ気持ちを落ち着ける。


「はは‥‥‥。馬鹿だなあ、私って」


そう呟きながら階段に腰掛ける。


「――合田和歌。どうして、嫌なことを嫌だと言えない?」


声のしたほうを見ると、階段を上がりながらそう言う、松川だった。


「ゴウちゃんというあだ名が嫌なのならば、そういえばいいじゃないか。川畑さんや、他のみんなには分かってもらえないかもしれないが、僕は絶対にゴウちゃんなんて呼ばない」


松川って、こんなにしゃべるんだ。少し驚いた。


「でもそんなこと、私が言えるわけないじゃない‥‥‥」


絞り出したような声は、少しかすれ、みっともないほどに震えていた。


「やってみなきゃわからない。僕は合田さんが」

「なんでそんなこと言えるのよ!!」


気がつけば、松川に向かって怒鳴っていた。


「そりゃ言えるよ。だって他人事だもの。松川には関係ないもんね。でも私にとっては他人事なんかじゃない。だからそんな簡単に言えない。実際何度も言おうと思った。でも一度も言えなかった‥‥‥」


幼稚園のときには少なくとも、自分の気持ちを伝えられる子供だったのに——。



『わかってよんでね』

『さつきちゃん、わたしはわかだよ』

『わたし、おとこじゃないもん‥‥‥』——



「僕は、絶対に他人事なんか言わない。それに、合田さん以外には、きっとこんなことなんて言わない」



松川の瞳はキラリと光り、とてもきれいで、少し見とれてしまう。



「だって僕は」


そう言いながら、かけていた眼鏡をゆっくりと外す。

その顔には、どことなく見覚えがあった。


「ゆう、くん‥‥‥?」


私の初恋の相手であり、幼稚園以来一度もあっていなかった、ゆうくんこと、悠里くんだった。



「和歌ちゃんのことが、今でも変わらず大好きだから」



あの頃のまま、記憶の中のゆうくんと同じ笑顔で、笑った。


「ゆうくん‥‥‥」


気恥ずかしいような、嬉しいような、そんな色んな感情がごっちゃ混ぜになる。私はその感情を振り払うようにゆうくんに飛びついた。



「私もゆうくんのことが、ずっとずっと大好きだった!」



ゆうくんはその言葉を聞くと、安心したように優しく笑って、私をギュッと抱きしめてくれた。


「僕は和歌ちゃんを信じてる。大丈夫だよ、きっと言える。時間はかかるかもしれないけど、きっとわかってもらえるよ」


ゆうくんに言われると、心から安心する。

ううん、わかってもらえなくたっていい。他でもない君にそう言ってもらえるのであれば——。

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