第46話

 車中で僕達に会話は無かった。そもそも話題も無ければ、僕と匡香は無駄話をするには離れ過ぎた関係だった。先生は何処かに電話をかけていて、口を出すのも忍びない。どうあっても、無音が続くばかりだった。

 暇を持て余していると、車が停止する。


「自分用に日用品を買ってきなさい。暫くは外出しないつもりで買っておくと良い」


 先生はそうして、匡香に財布を放り投げた。外に見えるのは別荘に一番近いショッピングモールだった。匡香はコートのフードを深く被り、車のドアを開ける。入り込んだ日差しと湿気混じりの熱は、彼女の風貌を不審者たらしめている。


「コート、脱いでいっても良いんだぞ」

「部屋着でうろつくようなところじゃないでしょ」


 何言ってんのよ、と、先生の助言を一蹴し、彼女は自動ドアの奥へと消えていく。平日の昼、商業施設としては閑散としているが、人は多い。特にフードコートや食品売り場は、外からでも分かる程に、婦人層が多く見られた。

 外を眺めるうち、先生は駐車場へと車体を移動させる。夏の日射を避けるため、屋内へとゆっくり、ゆっくり、先生はアクセルを踏んだ。


「先生」


 僕が呼び止める頃には、車体はエレベーターのすぐ傍を陣取っていた。


「何だ」

「匡香、この場所わかってないと思いますけど」

「連絡すれば良いだろ」

「先生」

「何だよ……」

「僕達、突然飛び出して来たのでスマホ持ってません」


 残念なことに、僕達は手荷物の一つも持ち合わせていない。その主な原因たる先生は、あ、と、間の抜けた声を上げていた。


「……七竈、フード被れ」

「僕も行くんですか」


 先生は助手席に会った鍵だのを全て懐に仕舞うと、車外に出た。そうして、後部座席のドアを開けた。


「今のお前を一人には出来ないだろう」


 腕を取られ、暑気の中へと引き摺り出される。日差しが失われているだけマシではあった。ただ、ある筈のない目線を遮るように、僕はフードを被った。


「私から離れるなよ」

「混みあっているわけじゃないんですし、大丈夫ですよ」

「どうだか」

「先生、僕のこと餓鬼か何かだと思ってますよね」

「少なくとも姿はそう見えるぞ」


 そう言って、先生は僕の頭を抑えつけ、より深くフードで僕の顔を隠した。視界はいつもより狭い。足元を見る。先生の革靴は明らかにくたびれていた。コツコツ進む足取りも、心なしか重いように思う。

 エレベーターに乗り込むと、僕達に会話は無かった。途中、二人ほど、小さな空間に婦人方が乗り合わせた。彼女らは時々、僕の顔を覗きこもうとしては、ひそひそと小さく口を合わせていた。礼節を欠く彼女らに、僕は背を向ける。そうしているうちに、婦人服売り場のあるフロアへと辿り着く。婦人たちもぞろとエレベーターの扉から外へと出た。僕は切れた視線の隙間を抜けた。化粧品の吐き気を催す甘い匂いと、パステルカラーのマネキンが、階層の主だった客層を示していた。


「買い物があるとすれば、この辺りか」


 先生はフロアガイドを指でなぞっていた。ショッピングモールというだけあって、その面積は広く、女一人を探すには手間取るだろうと予想できた。


「彼女の好みなんかわからないか」

「僕がですか」

「義理とはいえ、お前の妹だろう」

「血が繋がっててもわかりませんよ。あんな天邪鬼」


 僕の不毛な返答に、先生は頭を抱えていた。今の所僕は正しい事しか言っていない。ただ、予測はあった。


「他人の金を借りているんです。出来るだけ安く済ませようという常識は持ち合わせてますよ」


 そうやって、僕の指は格安ブランドを示す。先生は首を鳴らしつつ、僕の袖を引いた。

 若者向けの店が並ぶ中、その店は特にシンプルで、セール中という札が目立っていた。隣接する薬局も、よく聞くプチプラという化粧品類を扱っていて、客層の固定を狙っているらしかった。


「アイツはごちゃごちゃした服を着ないですし、スカートは履かないんで」


 店内で先生を先導する折、そう言葉が漏れた。匡香とは約三年を共にした仲だ。ある程度の趣味は読める。ただ、それでも、ジーンズとスポーティなジャンルの棚に、彼女は見受けられなかった。

 仕方がない、と、僕は意を決して下着売り場に足を向けた。と、目線の端に、覚えのあるコートを見る。


「匡香」


 僕が囁くと、それは足を止めた。


「えっ、何でいんのよ」


 間の抜けた声を、彼女は少々明るい顔で言った。フードは被っていなかった。ただ、その腕には数着の可愛らしいワンピースが収まっていた。


「お前に車の駐車場所を確認してなかったから」


 あ、そう。と、匡香は僕から目を反らす。その眼は何かを邪魔でもされたような、落胆を示していた。


「早く済ませろ。複数人待たせてるんだぞ」

「わかったから、どっか行っててよ」

「何でだよ」


 僕が問うと、彼女は我慢の限界を超えた様子で、良いから、と、僕の背を押した。振り返れば、何故か先生がいない。背の高い商品だなの間を、匡香に押されながら進む。終始、周囲を見て先生を探す。

 と、ぬるりとした気配が僕の頬を撫でる。これには覚えがあった。僕はすぐに足を止めて、そちらに目を向けた。


「先生、と――――」


 そこには確かに、先生がいた。そして、もう一人。僕はその巨躯の泣き出しそうな顔を見上げた。


「――――小清水」

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