数カ月ぶりの教室

 すう、はあ。すう、はあ。

 息を吸って、息を吐く。単純な動作に意識を集中して、恐怖を追いやる。


(逃げるな)

 冷たい引き戸の金具。緊張で温度をなくした指先が、震える。

(決めたんだ、勇気を出すって)

 他人を断罪することで愉悦を覚える、人間という動物に囲まれた世界。クソみたいな伏線回収に溢れ、共感されない痛みが人の数だけ転がる世界。それでも、それでも。自分には、学びが必要なのだ。


 日常と非日常を分け隔てる戸を、自らの手で。

 ガラリ。と引き戸を開けた。

 視線は無遠慮に異分子の自分に集まって、ザクザクと刺さった。



 なるべく誰にも目を合わせないように、瞳のレンズを絞る。ぼんやりした視界から自分の席を探し出して、なんとか着席した。耳元で爆ぜる心音がうるさい。震える手で引き出しにふれる。最後に通った当時のままの状態で、文房具が詰まっていた。ザワザワと見慣れない同級生がざわめく。時々、『事件』『前の学校』『書き込み』という単語が聞こえてくるたび、胸が痛む。どうやら噂は風化していないようだった。その証拠に遠巻きに眺めるだけで、誰も話しかけようとしなかった。

 一分一秒が長く、針のむしろに座らされている気持ちだ。

(早く授業、始まってくれ……)

 そうすれば、この痛みを和らげられる。


 どれくらいの間、筆記用具をいじって気まずさをやり過ごしただろうか。


 ガラリと音を立てて、教壇側の扉が勢いよく開いた。担任教師であることを期待した。が、立っていたのは、背の高い、風変わりな髪色の女子生徒だった。青髪のショートカットをアシンメトリーに片方だけ長めに伸ばしたボーイッシュなヘアスタイルだ。目が覚めるような真夏の青空色の髪に、炎のような鮮烈な赤毛がメッシュのように混じっている。自分も赤毛だが、あれほど鮮やかで目に眩しい色ではない。短く改造したスカートから、にゅんと健康的な長い足が伸びている。

(この人、どっかで見たことがあるな……)

 そう思った時、その生徒がクラスの奥まで通る凛とした声で吠えた。


「僕は2年B組の結城愛鈴ゆうきあいりだ。気軽に勇者アベルと呼んでくれたまえ」

 クラスがざわっとしたと思えば、キャーという黄色い声援が女子たちから上がった。周りを見渡すと、最早誰も自分の事を見ていない。どうやら、かなりの人望があるらしかった。


「さて、噂の『四方山よもやまメイジ』は登校しているか――ああ、赤毛で翠目。話に聞いた通りだ、君だね」


 ぎょっとした。見知らぬ生徒が脈絡なく自分の名を呼んだのだ。大きく見開かれた瞳は必要以上に自信に満ち溢れ、大きな星が輝いている。……しかもその瞳は髪色と同じく、赤と青のオッドアイである。一度見たら忘れない、強烈な外観だ。そして、その外観で思い出した。


(この人、『自称勇者』の激痛生徒会長だ)


「……四方山メイジは私ですけど」

 この日は人生で一番目立ちたくない日であったのに、強制的に衆目を浴びる羽目になっている。立ち上がった私を見つけた彼女はニコリと口角を上げて、ツカツカと席までやってきた。近くで見ると、長身なのがよく分かる。ぴんと芯が通ったような姿勢の良さは武道経験者を思わせた。


「再登校早々で悪いが、君には《魔女狩り》の容疑が掛かっていてね」

「はあ!? 《魔女狩り》……?」

 私がオウム返しに言い返すと、クラス全体が大きくどよめいた。

「なあに、まだ『容疑』だよ。僕は寛大で包容力のあるタイプの人間であるから、犯罪者扱いはしないよ。さあ、同行願おうか」

 結城愛鈴――勇者アベルと名乗ったか。頭がおかしい――が長い腕を広げて移動を促した。

「……警察ごっこですか? 私、授業が受けたくて、復帰したんですけど」

「勉学への意欲が高いのは実に結構なことだ! 若者は大いに学ばねばならないからね! しかし、僕らとしても、生徒の身の安全は勉学よりも優先させたい所でね」


 アベルはちらりと横を見た。目線の先の、隣の席に座っていた黒髪ポニーテールの女生徒がガタリと立ち上がった。

「会長」

「そうか、しのぶも同じクラスだったのか。奇遇だね」

「どうします? 縄か何かで拘束しますか?」

 耳に馴染みのないイントネーションだった。この学校には寮生活をしている地方出身者がいることを思い出す。関西弁に近いようだが、京都や大阪の言葉とも絶妙に違うイントネーションだ。

 

「君は終始物騒だなあ。四方山君が暴れるように見えるかい?」

 また、オッドアイと目があった。理解不能の会話劇をどこまで真剣に取り合っていいか分からず、戸惑う。不名誉な容疑を掛けられて、話を聞きたいと言うらしい。

 容疑。話。どちらも嫌な予感しかしない。

「……わかりました。不本意ですけど、帰ってくれそうにないし……どこへ行けばいんですか」

「もちろん、僕の根城……」

 アベルは、芝居がかった動きで、観衆にアピールするように大きく手をひろげる。

「生徒会室さ」

 クラスの女生徒がキャーと、甘ったるい声をあげた。

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