魔女裁判

 翌日の私は、朝から上機嫌だった。ささやかなことではあるけれど、お友達の恋愛のお手伝いをした自分が誇らしく、うれしい気持ちになった。


 高見さんが心から笑ってくれたの思い出すたびに、しみじみと「やってよかったなあ」と胸の中がホカホカと暖かくなって、口元がひとりでに釣り上がる。髪を梳かしても自然と鼻歌が飛び出すし、鏡の中には満ち足りた顔の自分が写っていた。家族にも「何かいいことがあったの?」と聞かれるくらい、私はすっかり浮かれていた。


 おまじないと言っても魔法とは一ミリも関係ないことだ。ただ町中をウロウロするだけの根気の作業で、その作業員が自分である必然性も専門性ない。それでも、迷っている友達の背中を押せた。頼ってくれた気持ちを、ちゃんと形にして返すことが出来た。

(背中を押せた……役に立てた……)

 自分の得意分野で、誰かの助けになれたという実績は、こんなにも嬉しいものだったのか。

(大伝じーちゃんも、こんな気持ちなのかな)

 魔法で人を助けることを生業にしているじーちゃんを思った。魔法の依頼をこなした達成感とは、こういうものなのかもしれないと思った。自分が少しだけ、ましな人間になれたような気がして、胸の中がほこほこと――手にずっしり重たい中華まんみたいに――暖かくてしょうがない。


 一緒に登校したふーこにも、昨日あった出来事を事細かに話した。猫探しが難航したことや、成功報酬の肉まんの味は格別だった事、そして恋する乙女である高見さんがとても可愛かった事を、身振り手振りを交えて力説した。

 ふーこは「わたしも行きたかった〜!」と大いに悔しがって、ピアノの習い事を辞めると言い出した。次の機会があれば、必ず一緒に行くと約束を取り付けられて、教室前で別れた。いつものように隣のクラスに向かうふーこを見送って、私は教室の引き戸に手をかけた。


 この時までは、いつもの光景、いつもの日常だった。

 ドア一枚が隔てた、境界線。

 思えば、世界が反転したのは、この瞬間。

 冷たい取っ手を引くと、教室中の視線が、自分に注がれたのだった。







「……?」

 朝のHR前のこの時間、いつもならわいわいと他愛もない雑談をしている面々が、ピタリと会話をやめた。静まり返って、一斉に自分を眺めている。

(……何だ……?)

 私は事態が飲み込めず、しかし異常さだけは感じ取って、慎重に一歩を踏み出した。静寂が支配する教室を不思議に思いながら、居心地の悪いのをなんとかやりすごし、自分の席までたどり着く。椅子を引く音が異様に響いた。


 やがてヒソヒソと、小声のざわめきが広まっていった。隣の席の女の子が、なぜか緊張したように固く背を伸ばしている。耐えきれず、私は隣の席に身を乗り出し、こそっと聞いた。

「……あの……、何かあったの……?」

 隣の子は、ビクリと大げさに震えた。またクラス中のささやき声がピタリと止んだ。彼女が何を言うのか、みんなが注目してるのが肌で分かった。

「あの、あのね……、た、高見さんが……」

「……高見さん……?」

 意外な名前が飛び出して、ちらりと視線を高見さんの席に投げた。三年生になって引退した今も、時々は部活動の朝練を監督するとかで、早めに登校してる彼女の席は、空席だった。代わりに彼女の友人たちが、その空席の周りを取り囲んでいる。彼女らはみな、高見さんのバレー仲間のようだった。長身由来の長い腕を大仰に組み、こちらを睨んで、言った。


「高見、事故にあったんだよ。交通事故」

「えっ」

 頭の中で何度も何度も繰り返し再生した、高見さんの笑顔が一瞬で消えた気がした。事故。交通事故。高見さんが。

 空席が、急激に意味を持ちはじめた。昨日一緒に過ごした高見さんが、あの後……?


「そ、それで…高見さんは!」

「昨日の深夜、救急車に運ばれて。手術したって。命に別状はないって」

「あ、あぁ……、そうなんだ……」

 ほっと肩から力が抜けた気がした。一瞬のうちに最悪のケースを想像していた自分には「命に別状はない」という言葉は十二分に有り難い情報だった。

「良かった……」

「『良かった』? ねえ今『良かった』って言った?」

 バレー部のグループの中で、ひときわ背の高い女の子が声を荒げた。


「あのさあ、私、ちゃんと高見から聞いてたんだよね。昨日あんたが何したか」

「『何』って……何」

「昨日、高見、あんたに手伝ってもらうって言ってた。おまじないの事。全部聞いてた。私は止めたんだよ。そんな魔法とかおまじないとか、胡散臭うさんくさいに関わるの、辞めなって」

「……胡散臭い?」

 捨て置けないワードだ。どうやらこの高見さんのお友達――たしか取駒とりごままきさんと言ったっけ。まともに会話を交わしたことはない――は魔法に嫌悪感のある人間のようだ。彼女はショートカットの短い黒髪を揺すって、悲痛な声で訴えた。

「でもあの子、『できることは何でもしたい』って、『四方山よもやまさんは大丈夫』って振り切って……! 馬鹿な高見……!」

「……」

 やけに芝居がかった言い回しと抑揚だった。この取駒さんとかいう人は、自分の置かれた状況に酔っているようだった。過剰演出がぷんと鼻につく。

 いや、過剰演出と言い切るのは可哀想なのかもしれない。取駒とかいう人の目尻は赤く、既にひと泣きした跡があった。おそらく、高見さんの入院や手術のことが心配で、不安で、涙した跡のようだった。

(でも、それで八つ当たりされても……)

 不安を攻撃に変えて発散すると、楽になるのは分かる。でもそれをぶつけて許されるのはスポーツだけだろう。『胡散臭い』なんて言われて、完全に貰い事故だ。……などと、冷めた目で取駒さんを眺めれば、取駒さんも負けじとこちらを睨み返してきた。

「あんたのせいだ」

「……!?」

「受験を控えたこの大切な時期に! 後輩の面倒だってみてた高見が! どうしてこんな目にあわなきゃいけないんだ! ぜんぶあんたのせいだ!」

「なんで高見さんの事故が、私のせいになるの……!」

 黙って聞いていれば、好き勝手なことをほざく。もう黙ってはいられない。言いがかりがすぎるだろう。


「確かに昨日、高見さんと二人で放課後、一緒に街の方まで行って、少し……その、……遊んだよ。でも夕方には解散したし、その後のことは知らない。それがなんで私のせいになるわけ? 言いがかりは辞めてくれないかな」


「呪ったんでしょ」

「……!? はあ……?」

「あんたが、高見を、呪ったんだ!」


 またしても聞き捨てならない言葉がさらに飛び出した。

 私は呆れて、口が自然に開いていくのを止められなかった。この取駒とか言うのは、本気でそんなことを主張しているのか。


(呪いだって……? 私が、高見さんを……?)

 信じられない。突飛すぎる。

(私が魔力持ちだから……)

 外見の“いじり”はもう慣れた。魔力持ちへの偏見も、受け入れはしないけれど、慣れている。魔力持ちは人数が少ないし、大抵のひとは未知の異種にどう接していいか戸惑うものだ。でも、話はそれとは違う。

(やってもいない事を、やったと言われるのは受け入れられない)

 よりにもよって、呪いなんて!


「できるわけがない」

「ハッ、どーだか」

 挑発を露骨にぶつけられ、私は立ち上がる。床を擦る椅子の音が教室中に響き、周囲がどよめき、取駒は一瞬たじろいだ。隣にふーこがいれば、「やめなよメイジちゃん」と止めに入るだろう。だけれど、幸いなことに、ふーこは隣のクラスだ。私は、この喧嘩は絶対に負けられないものだと直感で感じ取った。心の奥の奥の、正義感に着火したのだ。


「取駒さんは、どうやって《呪い》をかけるか知ってるの?」

「知るわけがないじゃない。私は魔法使いじゃない」

「知らないよね。普通は知らない。私も知らない。知りようがない。普通はそう」

 本屋に売っている魔法関連書籍だって、ごくわずかだ。暗殺術を教えるTVや本がないように、普通に生きていれば、人の生死に関わる《呪い》なんかに詳しくなりようがない。


「私も『普通』だから。そんなの、できるわけない」

「魔力持ちが何言ったって説得力ない!」

「魔力持ちが何かも知らないくせに!」

 取駒の熱量をそのまま返すように怒鳴ると、チリチリと全身の毛が逆立つような感覚した。ああ、頭に血がのぼっている。脳裏に、喧嘩で魔力を暴走させてしまった過去の失敗がチラついた。両親が頭を下げる背中を、思い出す。感情を抑えないと、クラスの人たちを怖がらせてしまう。すうはあ、と大きく息をついて、主張を端的に、絞り出すように言った。

「とにかく、私は、呪ってない」

「なら、証拠見せろよ!」

 彼女が口を開くたびに、どかどかと苛立ちが積もっていく。何だこいつ。何なんだこいつ。


「なんで私がご丁寧に証拠を出してやらなきゃいけないわけ。おかしいでしょう。『呪い』だなんて言いがかりつけてきたのはそっちなんだから、自分で証明してみせろよ!」

 クラスがザワッとした。怒りと共に魔力が漏れているのかもしれないが、もうこいつをやり込めるなら、どうなっても構わない。取駒は言葉につまり、顔を真っ赤にしている。クラスの誰かが先生を呼びに教室を飛び出した。


「〜〜〜証拠? 証拠なら、ある」

 取駒は、劣勢を取り返す勢いで、ガンと机を叩いた。

「高見は『不幸』になったことが、何よりの証拠じゃん! 交通事故なんて! 幸運のおまじないをした直後に!? ありえない!」

「っ……それは……」

 反射的に声を出したけれど、情けないことに、続く言葉がみつからない。


 猫のしっぽのおまじないでは、幸運は訪れない。自分には分かりきったことだ。それを今教室で、丁寧に説明したとして、一体誰が聞くだろう。偏見で目が曇りきっている彼女たちが、自分の話を聞いてくれるわけがない。

「どうせ高見の人望を妬んで呪ったんだろ!」

「違う、高見さんとは普通に友達だった」

「あんたには魔力持ちの友達しかいないだろ、あのへらへらした、城間とかいう」

「ふーこは関係ないだろ!!」

「じゃあなんで高見が事故に合わなきゃいけないんだよ!」

「……それは……。事故は、不幸な偶然だよ。幸運のおまじないは、効果がなかった」

「効果!? 効果って、幸運の効果!? 正反対じゃん!! 告白も失敗して、そのあと事故ったんだよ!!?」

「……!? 高見さん、告白もしたの!?」

「白々しい演技、すんな!!」

 取駒は椅子を蹴り上げた。


(告白を、その日に……?)

 私達が解散した後、その足で相手に会いに……? しかも、失敗?


 確かに、《幸運の鍵しっぽ》を触った直後、高見さんはすごく喜んでいた。パッと前向きに、笑顔になった。すっかり興奮していた。……浮かれきっていた、とも言える。それに、「善は急げ」「今すぐ試す」と言っていた……。

(……もしかして)

 高見さんは、「おまじないの効果があるうちに、実行しよう」とか考えたのかも知れない。効果の期限については、雑誌の記事にも記載がなかったし、私も何も説明しなかった。

(だって……)

 効果の期限なんてものは、ない。これ以上、友達に嘘を重ねたくなかった。でもきっと、当事者の高見さんは分からないなりに、自分で考えた。「善は急げ」の彼女特有のポジティブマインドで、すぐさま行動に移したんだ。思いを寄せる相手の元に走って、告白して、……玉砕して、そして失意の中、不注意で、事故に……?


(なんて不運な……)

 でも、この不幸も、昨日のおまじないとは無関係だ。告白に失敗して事故にあった、それ以上でもそれ以下でもない。運なんてものは、そう簡単に、操作できるものではないのだ。


 私が口元を抑えて考えていると、取駒がワッと急に泣き出した。

「高見が、かわいそうだよぉ……」

 バレー部仲間は取駒を優しく抱きとめ、「良く言ったね」などと彼女を讃えた。取駒は取駒で、「怖かったよぉ……」などと非難がましく喚くのが教室に響いた。

(……なんだそれ……)

 お腹いっぱいに茶番を見せつけられた気分だ。「胡散臭い」だの「呪い」だの……証拠もない偏見で、こちらに言いがかりをふっかけてきた挙げ句、友情の美談でラッピングされ会話を遮断された。……完全にヤラレ損だ。

 しかし泣き出した女子供を相手に追撃する気にもなれない。もやもやしたまま着席しようとした時、後方から男子の声がした。


「四方山が証明すればいいと思いまーす」

「は?」

 声の主は全くの部外者だった。複数人の男子グループである。泣いた取駒の援護射撃のつもりなんだろう。まわりの男子も「そうだそうだ」と野次を、届くか届かないかの声量で、投げつけてくる。どうも流れが、気持ちの悪い方に向かっている気がする。


「四方山が呪ってない証拠を出せよ」

 私はこれ以上、無理解の輩とは口を利きたくない気持ちでいっぱいで、それでもなんとか気持ちをなだめて、絞り出すように返答を見繕う。

「そういうのを『悪魔の証明』ていうんだよ……やっていない証明は誰にもできない」

「うわ、『悪魔』だって……黒魔術で召喚するんじゃね?」

 茶化すような声音で投げかけられたフレーズ。冷えかけた頭が再沸騰しかけた。もうひと勝負しなくてはならないのかと、その男子を睨みつけたその時、おそろしいことに、《黒魔術》のワードで、ドッとクラスが一斉に笑った。

 

(あ……)

 私は瞬時に理解した。理解して、黙って着席した。


 あの取駒のお涙頂戴の友情茶番は、茶番では済まなかったらしい。彼女は涙ひとつで、正義のポジションを獲得し、クラスを味方につけた。

 美談丸出しの友情パワーで、私に悪役のポジションを擦り付けた。


 私は、隣の席の女の子を見た。視線に気が付いたその子は、目線は合わせず一層身を縮め、石のように硬直した。「関わらないで」のサインだ。

(……あっち側に、つくんだ……)

 絶望というのは、眼前の色を言うのだろう。昨日までは何でもないような事を話していた仲だったのに。教科書のページ数を教え合ったり、先生の癖についての軽口を叩いたり……。昨日まで向けられていた笑顔は、夢のようにあっさりと消えた。

 悪役に味方をするやつなんて、いない。正義は愉悦で優勢で、揺るがない安全地帯だ。幼い頃から、自分もよく知っている。

 でも、だからといって、簡単に飲み込めるわけじゃない。


(どうして、誰も「やっていない」と言ってくれないの)

(どうして、「この流れはおかしい」と疑ってくれないの?)


 早い話、クラスの子に「四方山さんはそんなことしないよ」と反論が上がるほど、自分には信頼がなかった。人望もなかったということなのだろう。築き上げてきたものが、足りなかった。


(ああ……)


 「魔女こいつならやりかねない」と、思われていた。


(ああ……これは……)

 中々、痛いな……。

 どうしようもない分厚い壁が、立ちふさがっているのを感じた。



 担任教師がクラスに駆けつけたときは、“裁判”は全て終わっていた。

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