幼馴染来訪

 扉をガチャと開けると、そこには見知った顔が立っていた。

「メイジちゃ〜ん! 久しぶりぃ〜!!」

「……ふーこ!」

 踵を揃え玄関に立っていたのは、城間冬子しろま ふゆこだ。幼稚園時代からの腐れ縁で固結びされた相手だ。


 上品そうな灰色の帽子、揃いの灰色のローブから覗く赤のリボンタイ。紺と赤のチェックのスカート。……この服装には見覚えがある。数回袖を通したきりの私立英和魔法学院高等高校の制服姿だ。


 冬子――自分は「ふーこ」と呼んでいる――は私を見るなり、透き通ったガラス瓶のような薄水色の瞳をきらきらと輝かせた。まっさらな色素の薄い肌に薔薇色がふんわりと広がり、美貌に思わず目を奪われた。その美少女が、がばりと抱きついてきた。

 無駄に豊かな胸にもんぎゅもんぎゅと圧迫され、抗議の声をあげると、ようやくふーこはわたしを開放した。ゆるく波打つ金髪が視界を横切り、薔薇の甘い香りが鼻先に漂った。


「メイジちゃん、ひさしぶり〜」

「……来るなら前もって連絡してってば」

ふーこはにんまりと茶目っ気いっぱいの笑顔をうかべた。


「ね、メイジちゃん。おウチに上がっていい?」

「ヤダ。メンドクサイ。なんか気乗りしない」

「まあ、まあ、そんなことを言わないで。これを見たら、考えが変わるんじゃない? はい、じゃ〜ん」

 自前の陳腐な効果音にあわせて、大きめの紙袋を差し出してきた。中央にプリントされた水彩イラストは、何処かで見たことのある。薔薇を束ねたリースのイラスト、確かこれは、高級百貨店の……。

「高菱屋たかびしや……!!」

「メイジちゃんの好きそうなやつ持ってきたよ〜。ハイど〜ぞ♡」


 媚に媚た語尾記号の圧に押し負け、反射的に受け取ると、腕にズシリと重い。二重重ねの紙袋から発せられるセレブ重力に耐えきれず、渋々口を開く。

「……粗茶しか出ないけど」

「やった〜。おじゃましま〜す♡」

 空気をあえて読まない振る舞いで、ふーこがサササと小屋に入ってきた。



「あれ〜? 前に来たときと随分変わった〜?」

「そこ座ってて。お茶用意するから」

「わたし、メイジちゃんのお部屋、好きだな〜。落ち着く感じする〜」

 ふーこは年季の入った革張りソファにちょこんと腰掛け、大きな瞳をきょろきょろさせてリビングを見回した。私は奥のキッチンカウンターに紙袋をドサリと置き、マトリョーシカのように過剰包装された包みをむしり開ける。中から出てきたのは……代官山の地名をローマ字表記したお高いクッキー詰め合わせ! ドイツ語で書かれていて詳細は全く読めないけどハーブとか保存料にこだわってそうなソーセージ! 糸が巻いてあるタイプのでっかい塊ロースハム! それぞれが神々しくまばゆく発光するので、目が潰れないよう手をかざした。トカゲリーナのお陰で懐事情が多少よくなったとは言え、自分の稼ぎでは到底口にはいらない高価なものばかりだ。


 はたと、不意に現れた見覚えのあるキャンディ包みに、手が止まる。

(あ、これは、ふーこの手作りチーズケーキバーだ……)

中学の時、休み時間によく分けてもらったっけ。お菓子作りのことは良くわからないけど、甘さ控えめに作られていて、市販のどれよりも美味しく感じた。


「ふーこ」

「なあに?」

「……いつもありがとう」


 友人に改まってお礼を言うのは抵抗があって、若干ロボットみ溢れるイントネーションになってしまったけど、何とか言えた。ふーこはご満悦といった表情をわかりやすく顔面に貼り付けて、「お家に上げていただくんだから、お土産は当然だよ〜」と笑った。


 お察しの通り、ふーこはお金持ちのお家の子だ。豪邸に住み、冗談みたいな外車に送迎されている。私が朝ごはんにパサパサの食パンをかじっている時、ふーこは南国由来の瑞々しいフルーツをかじっているし、私が電車賃を節約しようと必死の形相でチャリを漕いでいる時、ふーこは健康維持のため自分専用のジムルームでエアロバイクを漕いでいるような生活を送っている。お金がたくさんあるくせに、お金の価値を良くわかってないように思う。クレジットカードという名の最強のマジックアイテムを使って、経済力という名の魔力を惜しみなく注ぎ、大量の差し入れを買ってくる。


(心からありがたいんだけど……)


 定期収入にありつける前、わたしは本気で食い詰めていたので、何度ふーこに救われたかわからない。ベーコン、ハムを始め、お歳暮の残りやらお中元の残りやら親戚からのおすそ分けやら……。とても感謝しているし、命の恩人の尊い施しを、薄っぺらな正義で咎ることは出来ないけれども……。


(この頂いたクッキー、一体一箱おいくらなのだろう)


勿論手元に置いたケータイで、ちょちょっとググれば秒で分かることだ。でも、具体的に金額を知ってしまえば、幼馴染に感じる感謝の質が歪みそうで怖い。


「……お茶。紅茶でいいんだよね」

「ありがとう〜。いただきます〜」

「ティーセットを探したけど、見つからなかったわ。これでごめんね」

 私はじーちゃんとばーちゃんが愛用していたであろう陶器のマグカップにティーバッグをひっかけて出した。貰った高貴なクッキーを添えれば、どんな粗茶だってごちそうだ。


「メイジちゃんは最近どう?」

「ん? ん〜……最近……」


 聞かれて最近の出来事を思い返す。残暑に茹で上がり、大半をベッドで過ごしていた、とは言いにくい。やっとこさ光熱費は滞納しなくなったし、ご飯が毎日二食は絶対食べれる様になった、とでも言おうか。といっても食事の準備は面倒くさいから、献立は偏っている。朝は食パンで昼は素麺ばかりだ。いやでも薬味は庭の家庭菜園でボーボーと野生化して生えてるしコスパは最高だし美味しいしやめられない……なんてふーこに洗いざらい話した所で、心配をかけるだけだ。


「えっと、依頼の方はぼちぼち増えてきてね、結構楽しくやってるよ」

「そっかあ。良かった〜。一人でちゃんと生活して、流石メイジちゃんだよ〜。すごいね〜!」

 ふーこは胸の前で小さく拍手をして、ほっとしたようにマグカップを持ち上げた。


「実はね、担任の先生からーー……」

 ピリリと体中に何か走り、こわばるのを感じた。『タンニンのセンセイ』という文字列に、懐かしさすら感じるその音の羅列に、学校という小さな檻の中に閉じ込められた囚人の気持ちが呼び起こされた。このあとに続くのは、嫌な話に違いないという強い確信がある。

「……ーー担任の先生から……、メイジちゃんの様子が心配だから、『様子を見てきて』って頼まれたの〜」

「ああ、そういうことか……」


 嫌な予感は杞憂だったらしい。ほっと胸をなでおろす。普段からふーことはLIMEでやりとりをしたりSNSで通知を鳴らし合っているのに、何故急に家に遊びに来たのだろう?と不思議に思っていたが、納得である。


 学校という組織は何かと過干渉だ。中学時代、学校のやり方に散々懲りていた私は、同じ轍を踏まぬよう予防線を張っていた。苦労して、『休校申請書』なる書類を作成・提出して、高校側も受理している。これで御役放免、なはずだったのに。ご様子うかがいの行動がまだあるとは。


「ごめんね。わたしも『メイジちゃんなら大丈夫だよ』って言ったんだよ? でもパパは、『学校側として手順は踏むべき』『きちんと書類にして残すのが大事』ってきかなくて」

「ああ……」

 ふーこの父君は、恐ろしいことに学校の理事長をやっている。娘可愛さに私立高校を買収した、日本で有数の頭のおかしい金持ちだ。

「そんなの、わざわざふーこに頼まなくても、先生がうちに電話すれば済む話じゃない?」

「担任の先生はメイジちゃんに何度も電話したって言ってたよ」

「oh……」

 私は斜め上の空中を眺めた。そういえば着信に学校の名前が残っている事があったかもしれない。その度、「食事中だしなぁ」とか、「二度寝で忙しいからなぁ」とか、色々理由をつけて無視していたのを思い出した。勿論、折返し連絡などするはずもない。私は苦笑いを浮かべて、話を変えた。


「ふーこの方はどうなの。その……学校、うまくやってる?」

「うん」


 マグカップを木目のサイドテーブルにことりと置いて、ふーこはにっこりと愛嬌のある笑顔を浮かべた。

「クラスの人たちみんな優しいし。魔法の勉強も楽しいよ」

「出た〜。ふーこの優等生面〜」


 人生で一度は言ってみたいセリフだ。勉強は、楽しい。みんな、優しい。コミュ障拗らせ人格ひねくれ世の中斜め見下ろしクオータービューな私には一生出てこないセリフ郡だ。心からの本心でそれを言ってのけるふーこを尊敬するけれど、称賛するほど人間が出来ていないので、茶化して笑う。全く、ふーこの視界で世界を見てみたいものだ。


「あ、でも、ちょっと困ったことは、ある、かも…」

 ふーこは珍しくトーンダウンした。目線を紅茶のカップに落とすと、金色の睫毛がブルートパーズの瞳に影を作った。

「生徒会の会長さん、メイジちゃん覚えてないかな」

「行ってない学校の生徒会会長なんて私が知る訳ないじゃん」と嫌味な言葉が喉元から飛び出そうになったとき、脳裏に一人の人物が浮かんだ。

「もしかして入学式で壇上で大騒ぎしてた人?」

 一人だけ思い当たった。恐らく学校に一人は必ず居る、奇行を奇行と思わない、他人の事情よりも自分のやりたいことを選ぶ人物だ。

「えっとね、自称、『勇者の末裔』っていう…」

「劇痛の」

 言い淀んだ言葉を勝手につなぐと、「そういう言い方は失礼だよ!」とふーこの突っ込みを受けた。

「はいはい。そのちょっと風変わりな勇者の末裔が、どうしたの?」

「……そう、その風変わりな会長が、『魔女狩り』たちと戦う為の『魔女狩り狩り』隊員を募集してて、私、今とても熱烈な勧誘を受けてて」

「まって何何何何何?」


 勢い良く気になるワードが駆け抜けて行って、何一つわからなかった。魔女狩り? 途中ガリガリ言ってたのは何だ? ガリガリ君梨味か? ふーこが「わたしもよく分からないんだけれど」と繋いだ。


「魔女ばっかりを狙う、いやがらせが流行ってるんだって。昔、似たようなので『親父狩り』とか『ボンタン狩り』っていうのがあったらしいんだけど知ってる?」

「知らない」

 中世に無実な女性が大量殺害されたという事件は、うっすら知っていたけれど、「いやがらせ」で済む話ではない。

「よね。パパが言ってたんだけど。カツアゲ……? 暴行や窃盗の標的にされてるんだって。それも若い魔法使いの女性を狙ってるの。だからみんなは『魔女狩り』って呼んでて」

「へえ〜、物騒だね」

「学校と生徒会でも『魔女狩り』の問題を重く捉えて、自衛自治、兼、対抗組織を学校に編成するんだって。クラスから何人か成績優秀な人を選出してるみたいなの」


 なるほど、話の先が見えて、私は笑ってしまった。ふーこはそのアンチ『魔女狩り』の隊員に選ばれたということだ。理事長の娘で品行方正で通ってるふーこが、空気を読む気がない自称勇者の生徒会会長にグイグイ勧誘されているのを想像して、何だか愉快な気分になってきた。


「そんで? どうすんの? ガリガリ隊の隊員になるの?」

「なる訳ないでしょ!」

「断って引き下がるタイプには見えなかったけどなあ、あの勇者サマは」

「そうなの〜〜あ〜〜どうしよう〜〜」

「どうやって断ってるの?」

「もう、単純に居留守をつかったり……今日なんて『メイジちゃんのお世話があるから忙しいんです!』て叫んで、走って逃げてきちゃった」

「なんじゃそりゃ」と私は笑って、紅茶を飲み干した。


(ま、元気そうでよかった)


 私が学校にいかなくなったときから少し心配していたのだ。私がいないクラスでも、ふーこが元気に学校に通えているなら、安心だ。




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