第16話

「何が起こってるんだ?」


 最初に部屋に足を踏み入れたのは、セインだった。所々に返り血を浴びておりその息も荒い。

 メルヒは犬型のまま、舌を出して呼吸を整えていた。その口の周りには血が付き、その全身を覆う黒い毛も光沢を無くし、汚れている。

 ラギルの長い耳には血痕がつき、服にも。両手に構えた小剣には血糊がべったりついていた。

 バイゼルだけはなぜか綺麗なままだったが、表情には疲労の色が濃かった。


 呆然とするセイン達の前で、血にぬれた王妃が立っており、床には王の躯が転がっていた。その傍には宰相が控えている。


「セイン殿下!王妃が血迷いました。王を殺してしまったのです!」


 宰相ステファンが王妃を糾弾する。

 それは、セインたちを防ごうと駆け付けた騎士たちの耳にも届いた。


「私が人の国の王となり、魔族を殲滅します。そうして平和を築くのです」


 大人しそうな王妃はどこに行ったのか、壮絶な笑みを浮かべジョセフィーヌは宣言する。


「何を!」


 セインは呆気にとられていたが、先に動いたのはメルヒだった。


「させるか!」


 彼を追い越して、王妃に襲い掛かろうとしたが、彼女の前に透明な防御壁のようなものができており、逆に弾き飛ばされた。


「メルヒ!」


 悲鳴を上げて床に叩きつけられたメルヒにセインは駆け寄る。

 

「ラギル、やるぞ!」

「はい!」


 その間にバイゼルとラギルが攻撃をしかける。

 バイゼルは手のひらの魔法陣を使い風を起こし、ラギルも同様に手のひらから炎を生み出す。

 炎と風が混ざり合いジョセフィーヌに襲い掛かる。

 けれども、それをも防御壁によって消されてしまった。


「あなたたちには、伝言を頼みましょうか。ザイネルへ。首を貰いに行くので待っていてくださいと」


 次の攻撃に移ろうとする前に、王妃がバイゼルとラギルへ手をかざす。

 するとあの時のように二人の姿が消えた。


「くそっ。敵わないのか!」


 メルヒがゆっくりと体を起こす隣で、セインは簡単にあしらわれてしまったラギル達を見ていて、絶望感に駆られる。


「二人とも、時が来るまで眠りなさい」


 抗うことができない睡魔が二人に襲い掛かる。


「ち、」

「な」


 メルヒは必死に抵抗しようとして、セインも剣を構えてジョセフィーヌを睨む。けれどもそれだけだった。意識は深い闇に落とされ、そのまま床に倒れ伏した。

 謁見の間は奇妙な静けさに包まれていた。


 王は王妃によって殺され、その王妃は魔族殲滅を宣言する。騎士たちは圧倒的な王妃の魔法を目に動けずにいた。床は王の血によって赤く染められ、真っ赤に染まったドレスを身に着けた王妃は凄惨な微笑みを湛えている。


「騎士たち。何をしているのだ?王妃を捉えよ!」


 宰相が騎士たちに命を下す。


「騎士よ。私が新王です。従うべき主は誰か、わかっていますね」


 その命に被せるようにジョセフィーヌが軽やかに言葉を紡ぐ。


「わ、私の王はトール陛下だ!」


 騎士たちは動揺し、数名の者が王妃を捕縛しようと動く。


「残念ですね」


 けれども、王妃は手を動かし、その者たちを消してしまった。正確には転移させていたのだが、一瞬で目の前から消えるので消されたようにしか見えなかった。

 恐怖に駆られた騎士たちは抵抗をやめ、頭を垂れ始める。


「よい判断です。反逆者のステファンを捉えなさい」


 ジョセフィーヌが命を下し、騎士たちは動く。

 王の躯がそのまま床にさらされているのを目にして、目を伏せる者、唇を噛みしめる者、大半がそのような者達であったが、彼らができるのはそれだけだった。

 命令通りにステファンを捕縛し、その場から連れ去る。


「残りの者は城に残った魔族の殲滅を。フェンデルは捉えるように」

「はい!」


 恐れをなして動けずにいる騎士たちに王妃が命を出して、呪縛が解けたように騎士たちは部屋から出て行く。

 

「……私は私の願いを全うさせる。リグレージュ様のために」


 ジョセフィーヌは気絶したメルヒに己の外衣を羽織らせた後、その隣のセインを一瞥する。それからトールの躯へ近づき腰を下ろした。

 すでに血は固まり始め、その体は冷たく、人形のようだった。

 彼女はその躯を抱き、名を呼ぶ。


「トール様……」


 出会った時からトールはジョセフィーヌに優しかった。

 けれども彼女の婚約者は第二王子であり、彼女はただカイルを見続けていた。美しく聡明な第二王子、王太子よりも王に相応しいと言われていた。ジョセフィーヌはそんな彼に理想的な婚約者となるべく努力を続け、常に完璧でいようとあり続けた。

 第三王子であるトールは誰にも期待されていなかった。けれども、彼は人知れず努力を続けていた。彼女はトールの苦労を理解しており、彼も彼女の苦労を理解していた。

 カイルがミエルに熱を上げジョセフィーヌを顧みなくなった時、トールは彼女を支え続けた。ミエルの策略で誹謗を受ける彼女を慰めたのもトールだ。

 そうして遂にミエルを糾弾して、ジョセフィーヌの潔白を証明した。その結果、カイルとミエルは城を追い出された。

 罪悪感に苛まれながらも、トールによって救われた。

 彼と婚約した頃、ジョセフィーヌに力が受け継がれた。

 それは彼女の家が抱えている秘密が引き継がれる時で、どのようなものかは誰も語ってくれなかった。母が亡くなる寸前に、彼女は呼ばれ記憶と力を託された。

 そのとたん、彼女はすべてを知ってしまった。

 リグレージュの思いも。


 ジョセフィーヌはトールを愛するようになっていた。

 それは嘘ではない。

 彼自身最後まで信じてくれなかったが、彼女の気持ちはトールだけに向いていた。

 ただリグレージュの記憶が彼女を邪魔した。

 リグレージュが愛した人と同じ顔をもつカイルとセイン、そしてリグレージュ自身と同じ容姿のメルヒ。それらの想いがジョセフィーヌに苦しみを与えた。


「トール様……」


 このようなことは望んでもいなかった。

 彼女は、ジョセフィーヌはこのようなことは望んでいなかったのだ。

 

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