第15話


それから1週間が過ぎた。

セインは城の中で、第一後継者としての立場を築きつつあった。


 父カイルが現王妃ジョセフィーヌとの婚約を破棄するまで、彼にはそれなりの人望があり、彼を慕うものを少なくなかった。しかし、娼婦上がりの成り上がり令嬢に熱を上げ、ジョセフィーヌとの婚約を解消、その態度が王族らしくなく、人々はカイルに対して失望した。

 それから十六年が経ち、現れた彼の息子ーーセイン。

 彼を城に迎えることを不満に思うものが多かったのだが、彼が姿を見せてから人々の印象は少しずつ変わり始めた。学問や剣術に懸命に打ち込む姿も好意的に見られ、彼には人望が集まり始めていた。


「フェンデル。お前はなんでそんなに強いんだ。本当に人か?」


 何度も剣を合わせているというのに、セインが近衛兵団長に勝つことはなかった。


「人ですよ」


 フェンデルは笑って剣を下ろした。


「さあ、稽古は終わりです。湯あみをしてゆっくり休んでください」

「もう終わりか。まだ日が落ちてないぞ」

「そんな時間まで稽古されてどうするのですか?また講義中に寝るつもりですか?」

「それは、あれは、ちょっと油断して」

「私がアルビスに小言を言われるのです」

「なんだ。お前もアルビスが苦手か」

「当然です」


 澄ました顔で答えられ、セインは笑う。


「笑われましたね。殿下」

「……」


 笑うつもりなどなかったのにと、彼は直ぐに笑みを押さえた。


 ーー僕は、あまりにもこの環境に慣れすぎた。……ぬるま湯のような。やるべき事から逃げて。


「殿下は幸せになるべきです。私はそのために力を貸しましょう。時期がくればおっしゃってください」

「フェンデル……」


 彼はセインから刃引きした剣を受け取る際に、小さい声で囁くと背を向ける。その後何事もなかったように、他の騎士たちに指示を飛ばしていた。


 ーー彼は裏切り者だ。魔の国に通じてる。なぜだ。近衛兵団長で、王の親友ともいわれている男だぞ。


 1週間もいれば、周りの人間関係も見えてくる。

 アルビスは代々王族の教育係であったが、王太子を怒らせて役目を追われた男だった。けれどもこの度、トールが田舎から呼び出し、カイルの教育係にした。

 フェンデルは、トールの幼馴染であり、彼の右腕として近衛兵団を指揮している男だ。騎士からも慕われている団長で、セインはなぜ彼が裏切るような真似をしているかわからなかった。

 けれどもそれを聞く勇気がなく、今に至る。


「殿下。部屋までお送りします」

「ああ、頼む」


 フェンデルは団長であり、常にセインについているわけにもいかない。なので、彼へ部屋に送り迎えするのは別の騎士だ。声を掛けられ返事をすると、セインは騎士の後を追い部屋に戻った。



 ☆


「じゃあ、また来るよ」

「うん」


 セインは危なげなく窓から姿を消す。

 心配することはないとわかっているのに、メルヒは窓から彼が無事に下に降りたことを確認した。彼も彼女が見ていることを知っているので、見上げると手を振る。

 それに振り返してから、メルヒは窓から離れた。

 こうしてセインが訪れるようになってから10日ほどが経った。

 誰にも気づかれないまま、またメルヒも王妃にすら話すこともなく逢瀬は続いている。

 初めは、メルヒの過去の事ばかりを話そうとしていたセインだったが、彼女が頭痛を訴えるとそれをやめた。そして彼は1日城でどうやって過ごしているのか、そのことを話すようになった。メルヒも合わせるように自身の城での生活を語り、他愛のない話を二人はしていた。

 

 --このままじゃいけない。


 頭のどこかで誰かがそんなことを言っている気がしたが、メルヒは無視をし続けていた。


「なんだ?」


 ベッドに戻ろうと歩いていると、彼女はある物が落ちていることに気がつく。それはセインが身に着けていた犬の留め金だった。黒い耳に同色の鼻、肌の色は茶色だ。


「……痛い」


 留め金を拾って、その犬の顔をじっくりと見つめると頭痛がした。


 『なんだ。それは?』

 『みて、メルヒに似てるでしょ?』

 

 『マントをつけてみたんだ。カッコイイ?』


  金髪の少年が無邪気な笑顔をメルヒへ見せる。


 『君に名前をつけてあげるよ。メルヒ。気に入った?』


  セインと同じ顔。すこし大人びていて物腰が柔らかい男がメルヒの頭を撫でる。


「カイル……。セイン……、私は!」


 メルヒは頭を抱えるとその場に座り込む。


「……なんで、私は!」


 叫びたくなる衝動を必死に堪え、彼女は口を押えた。

 蘇るのは彼女の記憶。

 無くした記憶がゆっくりとメルヒを浸食していく。

 体を震わせながら、彼女の姿は徐々に変化していった。

 

「思い出した。すべて」


 口から出るのは同じ声。

 だけど、その姿は完全に犬そのものになっていた。

 体を拘束するドレスを引きちぎり、自由になった彼女は窓から夜空を見上げる。

 雲が空を覆い、月も星もその姿をすべて隠され、真っ黒な闇が世界を支配していた。


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