九
支度を終えられた公隆さんは、白布の上でしばらく瞑想するように目を閉じておられました。ひとつ大きく息をつかれたあと、ゆっくりとその瞳を開かれました。長い睫毛の黒い瞳は、初めてお会いした日と少しもお変わりなく、静謐な美しさを湛えておりました。
短刀に伸びる公隆さんの白い手。美しい指。その手で公隆さんは唯にたくさんのことを教えてくださいました。ピアノ、ヴァイオリン、テニス、乗馬…。
公隆さんの前に横たわる短刀は、ベルギー王室御用達の刃物職人に作らせたものだということで、波留子さんのご自慢の品でした。公隆さんは、その短刀の柄に近い部分に畳んだ奉書紙を巻きつけ、しばらく刃をじっと見つめたあと、静かにもとの場所に置かれました。そしてまぶたを閉じて息を整え、ゆっくりと白いシャツのお腹の辺りをわずかにはだけ、正座の膝を少し開かれました。細く息を吸い込んでから、つま先を立てて踵で座骨を支えるようにして胸を張り、姿勢を固定されたのちに、ふたたび短刀をその手に取られました。
男性たちも、この期に及んでようやく公隆さんが本気だと気付いたようでした。しかし、どなたも「誰か止めろ」などと小さくおっしゃるばかりで、波留子さんの耳にも、公隆さんの耳にも届きません。
誰もが息を呑み、公隆さんを見つめておりました。
普通ではないことが起こっているこの場でしたが、隣の大広間では気付いていらっしゃらない大勢の方たちがダンスをお続けになっているはずです。生演奏のワルツが途切れることなく聞こえてまいります。それはとても美しい旋律で、目の前の光景から現実感を奪い、まるでお芝居を見ているようでした。
短刀の先を左の脇腹に当てた公隆さんは、一通り会場を見渡したあと、目を閉じてそっと押し込みました。少し前かがみになり、ふぅっと息をついてそのままの姿勢で止まっておられます。刃は、公隆さんのお腹にゆるゆると潜り込み、その冷たさは公隆さんの体温に温められ命が宿ったように輝きだしました。
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