六
乙橘先生の訃報は、新聞で知りました。
唯がアトリエに伺ってからたったひと月後のことでした。
画壇に華々しく迎えられ、つい先ごろもさる宮家から新築のご別邸に飾られる絵を注文されたばかりだとうかがっておりましたので、その報せには誰もが衝撃をうけました。
それは、身体が芯から凍えるような、雪の降り積もる日でした。いつものようにアトリエから散歩に出られたまま、乙橘先生は帰らぬ人となってしまわれたのです。
アトリエの裏山の、先生がお好きだった花が春になれば一面に咲くあたりに、ひっそりと倒れられていたのだそうです。寒い日に出掛けたきり、いつまでもお戻りにならない先生を心配し、捜しにいかれたお手伝いのテルさんが発見されたのです。
先生のアトリエは、母屋とは渡り廊下で繋がっていました。廊下の手すりは浅葱色のペンキで塗られ、木彫りの小鳥が何箇所かに取りつけられていました。そのアトリエはまるでそこだけが異空間のような趣で、海外からお取り寄せになった可愛らしい雑貨や食器、ウサギやねこの縫いぐるみ、外国語の絵本、宝石箱の上で人形がくるくる踊るオルゴオル、ご本人は甘いお菓子を召し上がらない方でしたのに、クッキーやチョコレートなどの美しい包装紙を収集した小箱、小花柄のハギレや押し花などもたくさんコレクションされていたそうです。
そのアトリエを抜け、水色のペンキで塗られた格子のドアを開けますと、裏山へと続く小径があるのです。ドアの外には、いつか童話の挿絵で見たような、見事な八重椿がございました。濃い桃色の花弁の中心に、鮮やかな黄色を誇らしげにのぞかせています。赤い椿、白い椿、とその生垣は美しい壁のように続き、絵本の中に迷い込んでゆくようでした。そしてその奥にある、真っ白な綿雪に隠された秘密の花園で、先生は息を引き取ってしまわれたのです。まるでご自身がその場所を選ばれたようだった、ということでした。
葬儀は先生のご希望で行わないとのことでしたが、唯がどうしても、荼毘に付される前に先生のご遺体に面会したいと申しましたので、アトリエに安置されていらした先生に会わせて頂くため、報道の当日に二人でうかがいました。テルさんは前の奥様である波留子さんさえいらっしゃらないのに、と快く迎えてくださいました。
昼間は画壇や財界から大勢の方がお悔やみにいらしたそうですが、ご家族のいらっしゃらない乙橘先生ですから、夜通しご一緒に過ごしてくださるのはテルさん一人だけなのだそうです。私は公隆さんがいらしたのかどうかが気になりましたが、唯がおりましたのでそのことはお聞きせずに、先生がお眠りになるベッドへと案内していただきました。
アトリエの中は、自分が来た日とほとんど同じ様子だと、唯は言いました。
「違うのは恭一さんが動かないことと、その周りに花がたくさんあることだ」
言いながら唯は先生の傍らに立ち、調度のいくつかを手にとって涙を流したあと、そっと先生の手を取り、生前に一番のお気に入りだとおっしゃっていた水紅色のお着物の袖を少し捲り、その櫻色に染まった美しい皮膚の色にしばらく眺め入っておりました。そして「せっかく友人になれたのに」と言葉を詰まらせ、いつまでも嗚咽しておりました。
テルさんは、先生が唯のことを「新しい親友」とお呼びになり、唯が訪れたあのみぞれの日以来とても楽しそうにしておられたと、話してくださいました。そして、アトリエに置かれた愛らしい数々の調度の中から、先生の形見として唯に何かお分けしたいと言ってくださったのですが、それらはみな、先生が幼い時分に亡くなられたお母様がお好きだったものだと聞いて、唯は辞退したのでした。
テルさんがお医者様に聞いたところでは、どなたにもお知らせではなかったのですが、先生は胸のご病気を患っていらしたそうです。
先生が描かれた公隆さんと先生のお姿は、先生の命の象徴だったのかもしれません。
公隆さんのその美しさ、つよさ、優しさ。
ご自分の余命がいくばくも残っていないとお知りになり、画布の上に生きた証を遺したいと願われたのではないでしょうか。
きっと先生は、公隆さんへの想いをご自分の胸の中で大切に育てられ、アトリエの裏山という心落ち着く美しい場所で、その想いを一番の高みへと引き上げながら病魔に手を引かれ、目を閉じられたのではないかと、私にはそう思えたのでした。
ところが唯は、自宅に戻る車の中でこう言い放ちました。
「恭一さんは自死だよ。あれは凍死だ。着物の袖から見えた肌がばら色に染まっていたもの。着物の下では、たぶん身体中のあちこちがああいう綺麗な色になっているんだ。病気にやられるのを待つなんて、だんだん弱って死んでいくのを待つなんて、きっと耐えられなかったんだ。だって恭一さんは美しいものが大好きだから……」
それきりドアに寄りかかり、窓外に視線を向けて唯は黙り込んでしまいました。日が落ちてから急激に気温が下がった路面は、すでに凍りはじめているようです。さくさくとシャーベットを崩すような音が、静かに走る車の下から聞こえてきます。あるいは優しいバクが、悲しい夢を食んでくれている音なのでしょうか。
私はお父様である佐倉伯爵に続き、乙橘先生というご友人を亡くされた公隆さんを想いました。そして軽井沢のホテルでのことも思い出しました。
唯があんなに乙橘先生を慕っていたとは意外でしたが、私には理解できない、素晴らしい魅力をお持ちの方だったのでしょうと、そんな方を亡くしたことがとても悲しく残念な気持ちであると同時に、私にも唯のことで知らないことができてしまったと、寂しさが募る帰り道でした。
そして、公隆さんとお会いする機会もないまま時は静かに流れ、唯は十五になっていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます