第146話 憧れの真の王 アスラ

(ぐっ! 出鱈目すぎるっ)


 あの王冠を被った巨大な蠅の怪物。あれから発せられる常軌を逸した圧に、今にも飛びそうな意識をアスラはどうにか繋ぎとめていた。もちろん、アスラだけではない。辛うじて生存していた配下どもは白目をむいて意識を失ってしまっている。

 伝え聞いていた容姿とも合致する。あれが、史上最強の厄災、ベルゼバブだ。


『左様でございまちゅ。あれがアスラでちゅ』


 王冠を被った二足歩行の巨大蠅が跪いたまま、その複眼でギョロとアスラを一瞥しつつも、黒髪の人間の少年の問に返答する。直後――。


『『『御方様っ‼』』』


 傲岸不遜な態度でいかなるものにも屈せぬと信じていたブーンブン、ウジコ、Pプリンセス・フライは人にしか見えぬ黒髪の子供に、あっさり跪いて首を垂れた。そして、それは今も配下どもを襲っていた蠅の怪物どもも同じ。敵であるアスラたちなど歯牙にもかけず、一斉に恭しく跪く。


(どういうことだっ!?)


 ベルゼバブの子たち、ブーンブン、ウジコ、Pプリンセス・フライはまさに、アスラにとって、まごうことなき厄災だった。その三者が子供に思えるほど、目の前の王冠を被った蠅の神から発せられる圧力は常軌を逸している。だが、ここまでは別にそこまで奇異ではない。なにせ、奴の子だけでも手も足もでなかったのだ。

 その本体であるベルゼバブの強度はもはや改めて考えるまでもない。どうしても納得ができないのは、あのベルゼバブたちが跪く黒髪の子供。あれからはゴミほどの力をも感じぬ。アスラにとって撫でれば壊れるような脆弱な人間。そんな超絶雑魚に絶望の象徴のようなベルゼバブが従属する。それがひたすら信じられない。


「余興は終わりだ」


 黒髪の子供は静かにこの一方的な戦の終了を宣言すると、ベルゼバブが立ち上がり、Pプリンセス・フライら、ベルゼバブの子らや蠅の怪物どももそれに倣い、アスラたちを一斉に遠巻きに取り囲む。奴らの表情は先ほどまでのふざけた様相とは一転、運命にとりくむかのように真剣そのものであり、アスラたちをその複眼で睨みつけてくる。


(俺は終わるのか……)


 そう内心で呟いたら、己でも不思議なほどすんなりと敗北を受け入れていた。

 そうだ。そもそも、この黒髪の男がどこの誰だろうと、意味はない。アスラよりも圧倒的強者であるベルゼバブが、この黒髪の男の意思に従ってアスラを殺そうとしている以上、もはや態勢は決している。しかも、敵は一切のおごりや余裕を捨てて全身全霊でアスラを滅ぼそうとしているのだ。例え逃げに徹したとしてもどうにもなりそうにもなかった。


「抵抗すらせずに、敗北を受け入れるか。今のこいつには奴の想いを受け取る資格はない。これも致し方なしか……」

 

 どこか寂しそうに黒髪の男がボソリと意味不明な台詞を呟くと、アスラに背を向ける。それを合図に、


『……』


 ベルゼバブが無言で右手に持つステッキのようなものの先をアスラへ向ける。アスラを睥睨するブーンブン、ウジコ、Pプリンセス・フライの全身から濃厚な黒色の闘気が沸き上がり、上空で渦を為す。

その闘気が吹き荒れることにより、部屋の床や壁にミシリッと亀裂が入る。


(さっきは、まったく本気じゃなかったってわけか……)


 おそらくアスラたちにとっては命懸けだった先ほどの戦闘などただのお遊び。本気になるに値しないただの戯れにすぎなかったんだろう。

 戦意どころか、情けなさや、屈辱すらも覚えることすらない。ただ、己の敗北を受け入れて脱力し、瞼を固く閉じたとき――。


小童わっぱがぁっ! 簡単に諦めるでないわっ!』


 アスラの義兄弟の叫びとともに、アスラの頬に右拳が突き刺さる。無様に床を転がると、胸倉を掴まれる。眼前にはぼろ雑巾のような様子の前鬼がまさに悪鬼のごとき形相でアスラを睨みつけていた。


『ぜ、前鬼?』


 その意を尋ねるが、


『貴様は誰だっ⁉ 言ってみろ!?』

 

 前鬼は怒鳴り声で一目瞭然のことを尋ねてくる。


『お前、何を言って――』

『貴様は我らが王、アスラではなかったのかっ!? 我らの前で天下をとる! そう大言壮語を吐いたのは偽りだったと抜かすつもりぁっ!』

『……』


この状況でのあまりの前鬼の憤激に、茫然となり何も答えられないでいると、


『この際だから言わしてもらおう! 最近の貴様は最悪じゃ! 何が六大将じゃ! 何が真の悪じゃ! 単に己よりも圧倒的に弱いものにしか拳を振るえぬ卑怯ものではないかっ! 真の鬼の王の名が聞いてあきれるわいっ!』


 かつてに交わした口調で前鬼はそう捲し立てるが、片膝を付いて血反吐を吐く。


『お、おい、前鬼?』


 肩を掴もうとするアスラの右手を前鬼は振り払うと、


『おい、小童わっぱっ! 儂らが腐りきったお前に今の今まで付いてきたのは、こんな無様な姿を見るためかっ! 断じて違うわいっ! せめて、散り際くらい、かつての貴様らしく格好くらいつけてみせろっ!』

 

 アスラの胸に右拳を充てると、空気を震わせる大音声を上げる。


『真の鬼の王か……そういや、昔、そんな青くせぇこと言っていた気がするな……』


 かつてひたすら戦いに明け暮れていたアスラは今よりずっと弱かったが、その代わり、他のどんな鬼よりも野心があった。それが変わったのは多分、あの悪の総大将に完膚なきまでに敗北してその魂を握られて幕下になってから。あれ以来、真の悪がアスラの全てであり、目指す目標となった。

 ――微塵も興味などなかった人などという下等種を食うようになった。

 ――下等種が喚きながら、悲痛と絶望の中で死んでいく様を楽しむようになった。

 真の悪になるために我武者羅に悪道を直走ってきたのだ。

 だが、改めて考えればそれは全てただの誤魔化しだ。闘争すらできぬただの下等種の肉などいくら喰らっても美味いわけがない。下等種をいたぶってもそんなものに愉悦を感じるわけがない。そう思いこもうとしていただけだ。アスラはそういうタイプの鬼ではない。

 何より、あれだけ闘争しかなかった過去のアスラならば強者との闘争は喉から手が出る程の渇望。少なくとも、強者に囲まれただけで戦意をあっさり消失させるなど考えられない。

 そうだな。確かに、


『弱いものにしか拳を振るえぬ卑怯者か……』


 前鬼の言う通りだ。今のアスラはマジで最悪だ。情けなくて、どうしょうもないくらい吐き気がする。かつてのアスラは己が遂げるべき目標があったはず。


(そうだ。なぜ、俺は忘れちまっていたんだ?)


 この世は所詮、弱肉強食。力はより強い力によりねじ伏せられる。それは真理であり、絶対の法則であり、この世のあらゆる存在に適用される。

 ただし、この世にはその中でただ一つの例外がある。それが、その絶対のはずの法則の埒外にある唯一の存在。すなわち、この世の最強の真の王。あらゆる強さの先にある絶対不可侵の存在。

 ――何ものよりも強く、

 ――何ものよりも我儘で、

 ――何ものよりも覇道を謳い、

 ――何ものよりも自由で、

 ――何ものよりも王らしい。

 そんな善と悪、両者の間でずっと語り継がれている至上にして至高の存在。アスラは強烈に憧れ、焦がれていたんだ。


『貴様、まだっ――』


 激高する前鬼を右手で制止して、


『いや、もう大丈夫だ。悪かった。思い出した』


 アスラの面が不敵な笑みへと変わっているのを自覚する。もちろん、かつての純真無垢に闘争に明け暮れた頃の自分には戻れまい。それでも、そうあり続けるよう虚勢を張ることくらいできそうな気がしていたのだ。


『やっぱ、兄貴はこうじゃなくちゃなぁ!』


 後鬼が瀕死の状態でアスラの背中を叩き、歓喜の声を上げて、構えをとる。

 アスラが愛刀を構えて腹下に力を入れたとき、


『ふん! 雑魚がどれほど抗おうと所詮雑魚! 今まで私たちに成す術がなかったことを忘れましたか!』


 憤りを含んだPプリンセス・フライの声が周囲の建物を震わせて、一歩足を踏みだしたとき、


「私がやろう」


 先程まで背を向けていた黒髪の男が、不適な笑みを浮かべながらもそう宣言する。


『し、しかし、御方様ぁ――』


 Pプリンセス・フライが翻意を促そうとするが、


『御方様の命でちゅ。従うでちゅ』


 ベルゼバブが複眼でギョロッと一睨みすると、


『……』


Pプリンセス・フライは慌てて姿勢を出して、恭しく一礼する。


「名乗れ」


 黒髪の男は長刀の刀身を肩に担ぐと、端的に言葉を発する。


『六大将、いや、鬼王きおう、アスラ! いざ尋常に勝負しろ!』

『アスラ様の第一の家臣、前鬼!』

『第二の家臣、後鬼!』


 各々が名乗りを上げる。

 黒髪の男は口端を吊り上げると、


「私はカイ・ハイネマン。剣士だ。お前たちを私の敵と認めよう」


 端的にそう宣言した直後、奴の雰囲気は一変し、この世で最強の怪物は本領の一端を垣間見せる。

 

 ――それは、アスラがかつて生涯を賭して探し求めていた、史上最強の存在たる戦の王の姿だった。






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