第137話 絶対強者(1)アンラ


 黒髪の男は、異国の衣服を着た片眼鏡の女とともにアンラが創り出した真域テリトリーである最奥の間に足を踏み入れてくる。


(クソ! なぜこの領域に入れるッ!?)


 そもそも、この領域は他と空間的に断裂した場所にある。通常、扉を壊しても無人の部屋にしか行き着くことができない。それが、あっさりこの場所に到達してしまう。推測の域はでないが、多分、アンラの真域テリトリーと現世に横たわる次元の隙間自体を切り裂いて消滅させてしまったのだろう。


(バ、バケモノめっ!)


 間違いない。こいつは存在自体がイレギュラー。おそらく、あの絶対強者たる悪軍総大将と同じ種類の生き物だ。まともにやり合えば、アンラの敗北は必至。だが――。


(大丈夫さ! ここは僕の真域テリトリー! あいつの全能力値は雑魚レベルまで落ち込んでいるはず! これで敗北などあり得ないっ!)


 感覚でわかる。あいつら二柱ふたりは今アンラの真域テリトリーの中にいる。

 この真域テリトリーはアンラの有する最大の能力。一度この中に足を踏み入れたものは、そのルールに強制的に従わせることができる。アンラの此度、創造した真域テリトリーは『弱体化』。アンラの許可を得ないものを際限なく弱体化することができる。


(でも、この魂が泡立つような悪寒は、一体?)


 そんな不吉な思考を全力で振り払う。

 この真域テリトリーは、アンラの奥の手だ。この世の誰だろうと、真域テリトリー内にいる以上、奴らはムシケラ同然の力まであらゆる能力が落ち込んでいるはず。

現に先ほどとは異なり、黒髪の男からは全く強さを感じない。それはアンラの真域テリトリーの効果があったという証明でもある。要するに、もはや勝負は決したのだ。

 黒髪の男はアンラ、六大魔神、そして守護兵どもに視線を移し、


「やはり、こいつらからも大した力も感じぬ。強いていえば、その子供姿の魔物か。アスタ、まさかそいつがお前たちのいうこの世の圧倒的強者とでもいうつもりじゃあるまいな?」


 隣の片眼鏡の女に語気を強めて尋ねる。そう疑問を投げかける黒髪の男には、強い焦燥と同時にどこか諦めにも似た僅かな哀愁が漂っていた。

 隣の片眼鏡の女は、しばし黒髪の男を凝視していたが、大きく息を吐き出して、首を左右に大きく振って、


「いや、吾輩がいう絶対強者はどこにもいないのである。大方、二者ともマスターが攻め込むと同時に既にここを脱出した後のようである」


 そんな意味不明な妄言を述べる。


「脱出か。お前の結界を抜け出してか?」


 初めて黒髪の男の両眼が大きく見開かれ、強烈で異様な光を宿す。


「どうやら、あっさりすり抜けられたようであるな」

「……」


 黒髪の男はその言葉にしばし無言で床に視線を固定していたが、


「くはっ! くはっはははははっ!」


 堰を切ったように笑いだす。

 呆気にとられて眺めるアンラたちを尻目に、黒髪の男は左手で顔を抑えて、


「そうかっ! 結界を壊すのではなく、すりぬけられたか! アスタ、それは失態であったな!」


 さも可笑しそうに、弾むような声色で叫ぶ。


「そうであるな。それで、これら、どうするつもりであるか?」


 片眼鏡の女は六大魔神、そしてアンラに視線を移して黒髪の男に実に不愉快な確認をする。


「うーむ。そうだなぁ。この程度の木っ端魔物ばかりでは闘争どころか、お遊びにもなりそうもない。どうすべきなのだろうな」


 本心でこの六大将アンラとの戦いに微塵も意義を見出していないのだろう。黒髪の男からはアンラに対する戦意自体が欠片も存在してはいなかった。


『その不快な奴を殺しなよ』


 この最奥の間に控える六大魔神と守護兵どもに命を下す。


『御意に!』

『御心のままに!』

『我らが主神の命ならば!』


 六大魔神であるザルッチ、マナーフ、サウルたちは三者三様の返答をすると、黒髪の男を取り囲む。


『はっ!』


 守護兵どもも、円状となって黒髪の男と片眼鏡の女を各々の武器を構えて包囲する。

 この黒髪の男が常軌を逸した強さを有するのは認める。まともにやり合えば、アンラの敗北は必至ということも。

 だが、真の超常者同士の戦いはそんな単純な力関係で決するものではない。現に、奴らはアンラの創り出した真域テリトリーの中で六大魔神どころか、守護兵にすらも勝てぬ強度まで全能力が低下しているはず。先ほどとは違って黒髪の男は全く脅威に感じないのがその証拠だ。アンラのこの面子での敗北はありえない。そのはずだ!


「この実力差にもかかわらず、あるじのため、あえて向かってくるか。お前たち、中々いいぞ。ならば、私もそれに答えるとしよう」

『なーに、こいつ、気持ちわるぅ!』


 ザルッチが眉を顰めつつ、いくつもの手に鋭い爪を伸ばし、


『薄汚い鼠が、ここに足を踏み入れた事を後悔させてやるっ!』


 そんな向上を述べつつも、マナーフは右手に持つ杖を黒髪の男に向ける。刹那、マナーフの脳の頭部に、


『くぁ?』


 長い刀身が突き刺さる。血飛沫が舞い上がる中、黒髪の男が右手に持つ長い刀剣をマナーフの脳天に突き立てているのが認識できた。


『え?』

 

 ザルッチの幾つもの顔が同時に両眼を大きく見開きポカーンと半口を開けて、六大魔神でも筆頭の地位にあったマナーフのあっけない最後を眺めていた。直後――。


『がげっ!』


 ザルッチの脳天から垂直に長刀が突き刺さる。黒髪の男がザルッチの右肩に乗り、無造作に長刀を突き刺していた。


『うぁ……』


 ザルッチの肩から床に落下すると、刀剣を振って血糊を落としつつも黒髪の男はゆっくりと全身黒色でできた細身の悪神、サウルへと近づいていく。


『ああぁぁぁぁぁっーーーー!』


 サウルの複数ある目が揺れ動き、その口から何かが避けるような叫びが漏れる。

 アンラが一度瞬きをしたとき、黒髪の男はサウルの背後へといた。

 サウルの全身が中心から十文字に切り裂かれていく。


『ず、ずれるぅ?』


 サウルが分断されていく全身を必死に両手で押さえようとするが、バラバラと床に落下していく。

 天下の六大魔神が実にあっさり倒されてしまったという事実に、


『六大魔神様が……負けた……』


 守護兵の隊長が震え声を絞り出す。


『モ、モ、モンスターッ!』

『無理だ……あんなのに勝てっこねぇ!』

『そうです! 六大魔神様でさえ、手も足も出なかったバケモノに一介の守護兵の私たちにどうしろとッ!』


 己たちが置かれた危機的現実を明確に認識した守護兵たちは、当然のごとくパニック状態となり、次々に叫びだす。


『逃げろっ!』


 そして、遂に誰かの叫びとともにあるじであるアンラなど見向きもせず一目散で唯一の出口である大扉へと殺到する。

 

「またか……」


 黒髪の男が吐き捨てたとき、その姿は消失する。そして、大扉の前に佇み、長刀を振って血糊を落としていた。

 一呼吸遅れて、大扉に向かったはずの守護兵どもはすべからく細かな肉片となって床へと落下してしまうのだった。



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