第138話 絶対的強者(2)アンラ

黒髪の男による勝負にすらならない蹂躙劇が終わり、最奥の間は眷属たちの無数の屍が横たわっていた。


(今……どうやった?)


 このアンラをして奴の動きの大部分が認識できなかった。少なくとも今の最後の動きはこれっぽちも見えなかった。気が付いたら配下の守護兵どもがバラバラの肉片となっていたのだ。視覚誤認系の能力か? いや、ここはアンラの真域テリトリー内。ここに一度でも足を踏み入れれば、いかなる特殊能力であっても失効する。何より、ゴミムシレベルに低下した奴が六大魔神と守護兵をあっさり屠ったことの理由の説明がつかない。

 奴は悪軍総大将クラス。だから、これが能力制限されていない状態ならばまだ理解できる。だが、ここはアンラの真域テリトリー内。奴の力はゴミクズレベルまで落ちてしかるべきだ。なのに、アンラが全く認識できぬ動きに、六大魔神と守護兵どもがあっさり皆殺しになったという事実。これが意味するところは――。


(ぼ、僕の真域テリトリーの効果がキャンセルされているのかッ!?)


 いや、そもそも真域テリトリーは世界との契約であり、理論上破れるようにはできてはいない。一度、その領域に引き込めばその条件に発動者のアンラであっても拘束される。此度アンラの出した条件は、『侵入者の全能力値を数千分の一にまで低下させるのと引き換えに、アンラの本質に根差した【爆食爆変】以外の攻撃手段を禁じる』というものである。アンラの数万にも及ぶ主な攻撃の手段の実行停止を対価としている以上、効果は必ずある。何より、今の黒髪の男からは大した力を感じない。守護兵はともかく、六大魔神には勝利できるはずがないのだ。だったら、なぜ眷属どもはあっさり皆殺しになった?


(いや、今はこいつからできる限り、離れることが先決だッ!)


 首を左右に振って今も頭に渦巻くいくつもの疑問を振り払う。

 どのみち、ここで指を咥えてみているような状況ではない。こいつは、世界に生まれた至上最悪の厄災。此度、悪軍はこの真正の怪物に深く関与してしまった。一歩、進む道を誤れば悪軍という組織がこの世から消滅しかねない。早急に悪軍本部に戻り、この怪物の対応策を考えねばならない。そのためにもこいつから是が非でも逃れなければならぬ。


(やってやるさっ!)


 鳩尾みぞおち の奥に鈍痛を感じながら、背後に抜け穴の異空間を生成し、その先にゲートを顕現させる。

 あそこまで行けば、少なくともこの悪夢のような世界から離脱できる。行き先を指定せずのゲートによる世界渡りには多少の危険が伴うが、こんな怪物のいる世界よりは、この世のどこだろうと、パラダイスだ。まさに背後に跳躍しようとしたとき、


「無駄だ。お前の力量では私から逃れられんよ」


 黒髪の男のその無常な声とともに、その姿が消失する。突如、アンラの視界は高速で天井と床を幾度も移り変わる。

 背中から床に叩きつけられたことに気付いたとき、黒髪の男がアンラに向けて足を振り下ろすのを認識する。

 途轍もない衝撃が腹部に走り、己の肉体の中の魂がグチャグチャにシェイクされるような錯覚を覚える。焼けるような腹部から発生した熱さ。それが、強烈な痛みであると理解したとき、アンラを見下ろす黒髪の男と視線が合致する。その猛禽類のごとき刺すような視線に貫かれて、


『ひっ!?』


 アンラの口から出たのは小さな悲鳴だった。

 今確信した。こいつは全く能力制限などされちゃいない。少なくとも真域テリトリーの内の効果はキャンセルされている。でも、どうやって? これが世界との契約である以上、これは絶対の法則。この世のいかなるものでもその拘束から逃れられない。そういう性質のもののはずなのだ。納得がいかない不条理に、


『なぜ、僕の真域テリトリーの効果がないっ!!?』


 疑問の言葉を喉の限りで叫んでいた。

 

「うん? アスタ、お前、こいつの言っている意味、わかるか?」


 黒髪の男は眉を顰めると肩越しに振り返ると、背後の片眼鏡の女、アスタに問いかける。


「おそらく、今もこの空間全体に展開されている能力制限の効果のことである」

「能力制限ねぇ……そんなもの気づきもしなかったぞ」


 黒髪の男はグルリと最奥の間を見渡しながら、独り言ちる。


「それを本心で仰っているところがマスターの恐ろしいところである。ここの領域の効果は弱体化。本来の能力を数千分の一まで引き下げる奇跡の御業。それが世界との契約である以上、何人もその法則から逃れることはできない。それはマスターや吾輩たちとて同じ。能力はきっちりと制限されているはずである」

『――ッ⁉』

 今、この片眼鏡の女は何と口にした!? この黒髪の男がアンラの弱体化の能力受けているといわなかったか!? 


(馬鹿馬鹿しい! そんなはずがあるかっ!)


 必死に最悪の現実を振り払う。もし、それが真実なら、全能力を数千分の一まで削減してもアンラはまだこの黒髪の男の足元にも及ばないことを意味する。外ならぬこの六大将のアンラ・マンユがだ。


(ありえない! ありえるはずがない!)


 そうだ。そんな理不尽なバケモノ。この世に存在するはずがない。いや、存在してはならない!

 しかし、もし――もしだ。このアスタとかいう片眼鏡の女の言が正しければ、先ほど感じたこの化け物からゴミクズの強ささえ感じない理由にも朧気ながらに予測がつく。それはよく、アンラたち超越者を目前にしたとき下等生物共に頻繁に起こる現象。強すぎる力を長く浴び続けることは時に肉体や魂にとって有害である。その有害事象から己の肉体と魂を守るべく本来必要な危機感知機能を全て遮断してしまうことがあるのだ。アンラが今この黒髪の男の強さを認識できないのも、そう考えれば全ての辻褄が合ってしまう。

 だが、それは一般の人や魔物のような下等生物のみに起こる現象。それをアンラに起こす。仮にそんなふざけた現象を成しうるとしたら、黒髪の男の強さはどれほどのものだろうか。

 だからこそ、わからない。


『おまえ、一体誰だ?』


 強烈な疑問によりアンラは尋ねてしまっていた。


「私か? 確かに、自己紹介は必要だろうな。私はカイ・ハイネマン。一介の剣士さ」

『そんなこと、聞いてはいない! お前はどこの神話体系の神だっ!?』


 自らカイ・ハイネマンと名乗った怪物は、うんざりしたように、大きな溜息を吐くと、


「お前もそんな妄言を吐く口か。魔物特有の妄想好きな時期か、それとも、私の配下同様、根っからのよくわからん空想の世界に生きているのか。まあ、ともかくだ。生憎私は生まれも育ちも人間だぞ」


 そんな荒唐無稽の妄言を口にしやがった。


『ふざけるなっ! お前のような化け物が人間風情であってたまるかっ!』

 

 どうにか震える声でそう叫んでいた。たかが人ごときの不完全な下等生物にこのアンラがここまで恐怖を感じている。そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。


「吾輩もそれには激しく同意するのである」


 片眼鏡の女、アスタがしみじみとそう口にする。

 カイ・ハイネマンは踏みつけているアンラを見下ろしながら、


「で、どうするね? さっきも言った通り、お前たちではこの私からは逃れられんし、この地で好き勝手放題暴れたお前たちを私は生かして帰す気はこれっぽっちもない。つまりだ。お前の道は二つ。ここで私と戦って死ぬか、それとも自害でもするかの二択」


 アンラにとって最悪の二択を突きつけてくる。


「マスター、吾輩、それら悪軍とは少々因縁があるのである。此度のそれの処理、吾輩に委ねていただけないであるか?」


 アスタは胸に手を当ててカイ・ハイネマンにそう進言する。


「お前が、こいつとねぇ……」


 カイ・ハイネマンは暫し見下ろしていたが、


「いいだろう」


 了承の言葉を述べると長刀を上段に構えて、振り下ろす。

 凄まじい爆風とともに最奥の間に一筋の線が走り、それらはアンラの真域テリトリーごとマユラ悪宮殿全体の建物を二つに切り裂いていく。

アンラの発動した真域テリトリーは跡形もなく消滅してしまっていた。


「これでその能力制限とやらも効果があるまい」

「では?」

「ああ、アスタ、思いっきりやれ。ただし、これはお前とそいつの闘争。私は勝敗が付くまで助けたりはしない。それでいいな?」

「望むところである」


 カイ・ハイネマンは口角を吊り上げるとアンラから離れ、右腕を高く挙げる。そして――。


「尋常に勝負せよ」

 

 右腕を振り下ろして狂い切った闘争の鐘を鳴らした。


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