第129話 到底あり得ぬ現実

 今も不適な笑みを浮かべこちらを眺める黒髪の少年からは全く圧を感じない。ただの雑魚なのは間違いない。そのはずなのに、オセの野生の勘のようなものが、この場から全力で逃げろと叫んでいた。


『あれは天軍の刺客か?』


 側近の一柱ひとりが眉根を顰めながら疑問の声を上げると、


『馬鹿をいうなっ! あんないかにも弱そうな奴など見たこともないわっ!』

『ああ、あれからは羽虫程度の力も感じぬ。大方、この戦地に不運にもまぎれた原住民だろうさ』


 そうだ。やはり、改めてみても側近たちの言う通り、どこをどうみてもただの雑魚。取るに足らぬ存在だ。こんな些事よりも今はこの失態をどう乗り切るかが先決。


『とっととその虫を駆除しろ。オセ様の御前だぞ!』


 オセの側近が苛立ち気に叫ぶと、背後に直立不動で佇立していたオセ親衛隊の目を縫いつけ、歯茎が露出した悪神が醜悪に顔を歪めながら、オセに一礼し、


『オセ様、これをミンチにして我のペットの餌にして構いませんでしょうか?』


そう宣言してくる。


(――ッ⁉)


 突如、薄い刃物で背を撫でられるような戦慄が走り、全身をビクッと強張らせて周囲を見渡すが、黒髪の小僧以外誰も認められない。


(この私が、こんな下等なムシケラに怯えてるとッ!?)


 その事実に羞恥心が爆発し、


『構いません。好きになさいっ!』


 声を荒げて黒髪の小僧処分の命を下す。


『ありがたき幸せぇ』


 歯茎が露出した悪神はまるで黒髪の小僧の恐怖を楽しむかのようにゆっくりと指をバキバキと鳴らしながら歩いていく。


『地を這うムシケラぁ。貴様に我のペットの餌となる栄誉を与えてやる』


 快楽で顔を染めながらそう宣言する。


「ほう。それで?」

『耳、鼻、指、今からお前の全身を一つ一つ解体していく。むろん、悲鳴を上げても構わんぞぉ。貴様の無様に泣き叫ぶ姿が我の悦びだからなぁ!』


小僧の全身の各パーツに人差し指を向けながら、小僧にとって残酷極まりない台詞を吐く。


「そうかい」


 黒髪の小僧はやはり、大して興味がなさそうに返答する。その一つ一つの仕草は下等生物ひととは思えぬほど威風堂々としており、微塵もオセ達に対する恐怖等は感じられなかった。


『貴様、我が怖くないのか?』


 歯茎が露出した悪神はねめつけるように黒髪の小僧をその縫いつけられた目で睨みつけるように尋ねた。


「残念ながらな」


そう肩を竦めて即答する黒髪の小僧に、


を恐れぬか! まったく、だから下等生物は嫌なのだ! 弱いくせに鈍い! 全く存在自体が度し難い!』


 両手を強く握って憤慨の言葉を吐く歯茎が露出した悪神。


「その言葉、そっくり、そのまま、お前に返そう」


 黒髪の小僧は哀れな生物ものでも見るかのような視線をむけながら、歯茎が露出した悪神に返答する。

 その一貫した上から目線の態度に、目を縫いつけられた悪神の額にムクムクと太い青筋が張り、


『我のペットの餌にしようと思っておったが、気が変わったぁッ! 殺すのは止めだっ! 未来永劫、ありとあらゆる手段で生きたまま苦痛を与え続けてやるッ! 貴様だけではない! 貴様が守ろうとするすべてをなっ!』


 大声を張り上げ大気を震わせる。その刹那――。


『ほえッ!?』


その背後の空間が歪み、巨大な黒色の右手がニューと伸びると、歯茎が露出した悪神の頭部を鷲掴みにすると高く持ち上げた。


『我らの至高の御方を家畜だとぉぉぉぉっーーー! しか、しかも、よりにもよってくくく苦痛を与えるぅぅーー!? 貴様らぁぁぁ、この大逆が許せるかぁぁぁーーーッ!?』


 濃厚な黒色の霧を全身に纏った怪物がグルリと周囲を見渡し、空に咆哮しただけで、百戦錬磨のオセ親衛隊の十数体が後方へ吹き飛ばされる。どうにかその場に踏みとどまったオセと側近数柱を尻目に、


『『『『許せぬッ! 許さぬッ! 決して許容できぬぅーーーー!』』』』


 歯茎が露出した悪神の周囲をグルリと取り囲むように、怒号を上げつつ次々に出現する存在ども。

 その凄まじい憤怒の形相を浮かべて歯茎が露出した悪神を睥睨している存在どもを視界に入れて、


『は?』


 オセの口から出たのは素っ頓狂な疑問の声。当然だ。その全てがこの世にかつて名を知らしめた武闘派の悪邪の神々たちだったのだから。


『バ、バカなッ!? 貴方様がたは――』


 それが事実上、歯茎が露出した悪神の最後の言葉だった。地面から飛び出した真っ白な口のようなものが、黒色の怪物の右手から歯茎が露出した悪神を奪い取り、呑み込み咀嚼してしまう。


『ドレカヴァクッ! 抜け駆けをするなッ!』


 黒色の怪物が憎々し気に叫ぶと、真っ白の塊が地面の割れ目から湧き出ると、黒髪の小僧に跪く。


(今、ドレカヴァクと言ったのかっ!)


 ドレカヴァク中将――それは悪軍の中でも直大将を確実視されていた最恐とも称された悪神だ。一時期を境に表舞台から姿を消していた悪神がなぜ、ここの場にいる? いや、そんなことよりも――。


『御方様、御身に不敬を働いたこの下郎、この私に処分させていただきたく』


 ドレカヴァク中将の懇願の言葉に、


『ドレカヴァク、貴様ぁっ‼』

『ふーーーーざけんじゃねぇ! そのクズは儂の獲物たいッ!』

『寝ぼけたことを抜かすなッ! カスを八つ裂きにするのはこの俺様だぁ!』


 悪邪の神々が怒号を上げ、奴らから滲みだした濃厚なオーラが渦を成して上空に巻き上がる。その強烈なオーラが同心円状に吹き抜けていく。その悪質極まりないオーラにより、

大地には亀裂が生じ、あらゆるものを灰燼と変える。


『ぐひっ!』

『ひぃぃぃっ!?』


後方に吹き飛ばされたオセ親衛隊の数柱は迫るオーラに背を向けて逃げ出そうとするが抵抗空しく骨も残さず燃え上がり、溶解してしまう。


(ありえません……)


 いくら奴らが強者でもたかが闘気で一騎当千のつわもので構成されているオセ親衛隊を灰と化す? そんな真似、オセにだって不可能だ。つまり――つまりだ。あの神々の一体一体がオセ以上に――。


「ドレカヴァク、それと何か縁でもあるのか?」

『は! 恥ずべき過去ながら』

 

 ドレカヴァク中将の返答に黒髪の小僧は、興味深そうに眺めていたが、


「いいだろう。好きにしろ」

『ありがたき幸せ』


黒髪の小僧は他の悪邪たちをグルリと見渡すと、


『お前たちも、後始末、ご苦労だったな。感謝するよ」


 黒髪の小僧が労いの言葉をかける。途端、悪邪の神々の顔から一瞬で怒りが取れ、とびっきりの歓喜に塗り替えられて一斉に跪く。その先頭にいる怪物の黒霧が晴れて行き――。


『ギリメカラっ!』


 思わず声を張り上げていた。あれはマーラ様の眷属、ギリメカラ。潜在能力だけでは、悪軍でも屈指と言われていた邪神の一柱。奴があの悪質なダンジョンに封印されるまでは、こいつをいかに排除し、今の地位の安定を図るかを常に考えていた。


「ギリメカラ、それと知り合いか?」

『偉大なる御身よ。些事でございます』


 かつての同胞はオセを一瞥すらせず、ただそう返答する。


(そんな……馬鹿な……)


 ギリメカラはプライドがこの上なく高い。間違ってもマーラ様以外のものを御身などと口にしない。いや、ギリメカラだけじゃない。今も小僧に跪いているのは悪の中の悪。邪の中の邪。何ものにも従わず、何者にも媚びず、己が最強と信じるものども。元より、群れることはもちろん、他者に服従するなど考えられない。だからこそ、悪軍総大将の命により、駆逐されたと風の噂で聞いていた。それがたかが、ちっとも強そうもないあんな小僧に跪く。このあり得ぬ事態がひたすら信じられない。


(ともかく今はこの場の離脱が最優先ですっ!)


 ともかく、ドレカヴァク中将やギリメカラが裏切った以上、これは大将介入案件だ。もはやオセ一柱にどうにかできるレベルは超えている。粛正覚悟で二大将閣下に報告して対策を練るべきだ。二大将閣下とその直轄部隊ならば互角以上の戦いができよう。


(ここをどうやって脱出するかですが)


 敵にはギリメカラとドレカヴァク中将までもいるのだ。あれらに少将にすぎぬものどもでは抗うことはできぬ。軍全体の壊滅すらも視野にいれるべきだ。アスラ様から預かった軍による支援は期待しない方がよかろう。


(この者どもに足止めをさせましょうか?)


 オセの側近や親衛隊を横目で見るが、皆カタカタと震えるのみで戦意は完全に失っている。足止めにすらなりはしないだろう。だとすれば残された手段は一つ。

オセが右手の指をパチンと鳴らす。


『ぐぎっ⁉』

『げひひっ⁉』


 直後、残された側近と親衛隊たちの全身が急速に膨張し四方八方に破裂する。その破裂した側近と親衛隊の内部から発せられた真っ赤な糸が空をドーム状に覆っていく。

 あれはオセのとびっきりの拘束型の結界術。あの呪いならば、いくら奴らでも解呪にはそれなりの間がいるはず。

 赤色のドームから降る赤色の雨を視界の端に捕らえつつも、背後に数回跳躍して距離をとり、二大将閣下のいる宮殿へと走り出したのだった。


 ――こうしてオセは最悪の死神の怒りの導火線に火をつける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る