第112話 地獄の釜 オセ

 豹の顔に軍服を着た邪神、悪軍中将オセは、眼前に広がる数万の悪の軍勢を眺めながら、


『素晴らしいッ! 我らに勝利し得るものはこの世に存在しません!』


 両腕を上げて恍惚の声で未来に確実に訪れるであろう勝利の美酒に酔いしれる。

 此度、アスラ様から授かった悪の軍勢は5万。

 そのうち悪兵師団が2万5千、悪砲兵師団5千、悪騎兵師団5千、防衛師団5千、航空兵師団5千、特殊部隊4千これを将校千が率いている。

 元々、悪軍に所属するものは、例外なく各世界で悪の限りを尽くした強者。世界全体としては強者に属するのだ。一兵卒であってもこんなつまらぬこの世界ゲーム版上の竜種や幻想種など楽々屠ることができる。

 特に悪軍を統率する少尉以上の地位を有する悪軍将校の強度は桁がはずれている。一騎当千のこの世の最強の一角。それが此度、千も現界動員できた。しかも、大将閣下にお目通りが許される左官以上が数十柱すうじゅうにんも控えている。こんな強固な軍は天軍の六天神の率いる軍であろうとも、易々と粉砕するはずだ。

 もはや、此度のゲームの悪軍の勝利は動かない。あとは、いかに華麗に、非道に残酷に勝つか。それに尽きる。そして、勝利した暁には、この世界も悪の制圧範囲となり、悪の限りを尽くすことができる。


『むーん、滾りますねぇ』


 死、悪意、破壊、憎悪、己がこの世界をそんな絶望一色に染めている。そんな光景を想像するだけで、心底ゾクゾクする。


『進軍せよ!』


 腰から長剣を抜き去り、オセが大号令をかけて軍は進軍を開始する。


 進軍を開始して間もなく眼前に空間の軋みのようなものが生じる。


「ん?」

 

 フォルネウス中将との通信を途絶した天軍の輩だろうか? だとすれば、むしろ好都合。


「わざわざ死に来るとは殊勝な心掛け! 褒めてやりましょう!」


 大げさに声を張り上げたとき、その空間の軋みは数を増していく。そして、その軋みは黒色の霧が渦となって次第に大きく濃厚に形作られていく。


「大方、敵の術式でしょう。防衛師団、直ちに結界を張りなさい!」


 オセの命により、防衛師団五千が一斉に領域形成の術を詠唱し始める。

 ここまで大規模な術を展開するのだ。敵もそれなりにやるのだろう。おごった強者を徹底的に潰して敵の戦意を軒並み刈り取ってやる。それこそが悪。絶対者の振る舞いよ。


「全軍に戦闘態勢を取るように命じなさい!」


 隣のオセがそう叫び、全軍が一つの生物のように奴らを一匹残らず屠るのに最適な陣形を作り上げていく。

 やはり、いい。これはやめられない。オセの声一つでこの圧倒的な戦力が動き、敵を蹂躙し尽す。弱者を徹底的に踏みつぶすことがこの上なく好きなオセにはまさにこれはたまらない!


「オセ様、あの黒色の渦から何かでてきます!」


 総毛立つような顔色と目つきで隣に控える副官が報告してくる。


「あれは転移術ってわけですか! 天軍ごときがこの最強の悪の軍勢に真っ向勝負を挑むなど、笑止千万、目にもの見せてくれましょう!」


 オセは再度、右手に握る剣を高くつきあげると、声を張り上げる。

 そんなオセを尻目に、黒色の渦から次々に出現する存在たち。


「は?」


 オセの口から出たのは頓狂な声。さもありなん。出現した存在の一つ、一つから放たれる圧はオセと同格、それ以上だったのだから。


「馬鹿馬鹿しい!」


 絶対あり得ない考えを即座に否定する。悪軍中将であるオセはこの世の絶対者の一角。オセが土をつくものなど限られている。それがこれほどの数に及ぶなどこの世にないと言い切れる。というか、そんなものがあったら、もはやそんなもの誰に止めることができぬから。


「認識阻害、いや、敵側の威圧の効果を有する大規模術式ってわけですか。随分、小癪な手を使うものだ」


 確かに戦意を失った軍ほど脆いものはない。威圧により、敗北を認識させた上での制圧は理にはかなっている。だが、そんな小手先の作戦が通じるのはあくまで互いの力が拮抗している場合のみ。此度のように、実力に圧倒的な差がある場合に使用しても大して意味はない。


「やはり、そうでしたか。先ほどから鳥肌が止まらないのも、合点がいきました」

「うーむ、敵の術式も侮れぬ」


 副官や武官たちが次々に安堵の声を上げる中、黒渦からでてくる存在たちの数は千にも及んでいた。そして――。


「オ、オセ様!」


 副官がどこか焦燥を含んだ声を張り上げる。奴らの前方には不思議なコスチュームを着たバッタ男たち、数千が隊列を組んで出現していた。

 そしてその前に威風堂々と佇む金色の鎧姿の獅子顔の神。その神の姿にどこかオセは見覚えがあるような気がした。

 まあいい。どうせ、オセ達悪軍の勝利は揺るがない。圧倒的力で蹂躙し捕縛したのち拷問でもして聞き出せばいいさ。


「開戦です! 蹂躙なさい!」


 オセの掛け声とともに、戦いの火蓋は切って落とされる。

 

そして文字通り――地獄の釜の蓋は外ならぬ悪軍自身の手で開かれた。



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