第50話 最後の情け ギルバート・ロト・アメリア

――――バベル北部の高級住宅街の個室


「無能とソムニの駆除の報告はまだ来ないのか?」


 アメリア王国第一王子ギルバート・ロト・アメリアは苛立ちを紛らわすかのように、足裏で床をリズムかるに叩きつつも、今や筆頭騎士となったどじょう髭の守護騎士に尋ねる。


「まだ報告は受けてませんが、ご心配召されるな。我らは前任の能無のうなし上級騎士どもとは違います故」


 姿勢を正しながら、自慢のどじょう髭を右の指でつまみながら答える守護騎士に、


「当然だ! 法外な金を払って雇ったんだ! 役に立ってもらわねば困る!」


 吐き捨てるように叫ぶギルバートに、守護騎士たちは無言で笑みを浮かべる。その佇まいにあるのは強烈な自信、そして命と誇りを贄にして栄光を勝ち取ってきたという自負があった。

 彼らはギルバートが高額の報酬を約して世界中から守護騎士としてスカウトした武芸者たち。ハンター、傭兵、そして裏社会の兵たち。一人一人が一騎当千の実力を有する猛者ぞろい。

 今までは騎士の中でも一定の武功を獲得している上級騎士のみを守護騎士としていた。だが、ソムニの未熟さや、無能にあっさりと敗北するタムリのあまりの不甲斐なさにその慣例を破り、現時点での実力を守護騎士採用の唯一の基準としたのだ。


「ええ、存分にお役に立ってお見せしましょう」

「口先ではなんとでもいえる。実際に役に立って見せろ!」

「ええ、そのつもりですとも」


 やはり、笑みを絶やさずどじょう髭を摘みながら顎を引く筆頭騎士。


「で、二匹を駆除したあとの処理は?」


 ギルバートは部屋の中心にあるひと際豪奢な椅子に腰を掛けると両眼を閉じて大きく息を吐いた後、問いかける。

 

「無能がトウコツを雇ってソムニを殺害。無能を殺しソムニの仇を打ったものの、トウコツと刺し違えてタムリは名誉の戦死。そのようなシナリオになるよう手配しています。

 役立たずとはいえ、殿下の前筆頭騎士が簡単に敗北してしまっては御身の顔に泥を塗る結果となりますからな」

「それでいい。だが、本当に問題ないんだな?」

「ええ、副学長殿からは無能は無事処理したと報告を受けています。ソムニとかいう哀れなお坊ちゃんの死体も確認したそうです」

「そうか……」

 

 ギルバートは椅子に座ると安堵のため大きく息を吐きだした。

 これで身の程知らずにも王族たるギルバートに不敬を働いた無能の屑を排除した。おまけに役立たずであったソムニとタムリの処理。次いでこの機会に無能な見習い騎士も駆除できた。ギルバートの守護騎士の大幅な戦力増強も図れたし、御の字というやつだろう。

 特に無能をロイヤルガードにしたローゼの花も明かせたのは大きい。

 王位選定戦では王族とロイヤルガードは頭と手足のような決して切り離せぬ関係だ。死んだから、すぐに変えてしまえるような性質のものではない。そのペナルティは相当大きい。少なくとも、王位選定戦において勝利することは限りなく零に近づく。


「これでローゼも脱落か」


 ギルバートが口端を上げたとき、耳を聾する炸裂音が鳴り響いて建物が大きく揺れ動く。


「な、何事だっ!?」


勢いよく席から立ちあがって叫ぶギルバートの叫び声に、先ほどとは一転神妙な顔でどじょう髭の男が部下である右頬にトカゲのタトゥーをした守護騎士に向けて顎をしゃくる。


「……」


 頬にトカゲのタトゥーをした守護騎士が腰からナイフを抜くと慎重に重心を低くしながら部屋の入口に近づいていき、扉に体を密着させて開けようとしたとき――


「ん?」


 扉に入るいくつもの基線に、トカゲのタトゥーをした守護騎士は眉を顰める。その直後、扉はその守護騎士もろとも破片状に分解されてしまう。


「各自臨戦態勢ッ! 王子を守れぇ!」


 どじょう髭の男が部屋全体に響き渡るような大声を上げると、守護騎士たちはギルバートを庇うように前面に移動し、各々の武器を抜き放つ。

 その跡形もなく分解された扉から、黒髪の少年が姿を現す。


「な、なぜ貴様がぁっ‼?」


 ギルバートの口から飛び出す驚愕の声。それもそうだ。異国の服を着た中肉中背の幼い子供のような外見。それは死んだと報告を受けたはずのカイ・ハイネマンだったのだから。


「殺せ」

 

 どじょう髭の男の静かな指示が飛び、赤色坊主頭の巨躯の騎士が凄まじい速度でカイ・ハイネマンに迫り、大剣で頸部を横なぎにする。

 大剣はカイ・ハイネマンの右手にもつ木刀によりあっさり弾かれ、次の瞬間、赤色坊主頭の男の全身は粉々の肉片となり果てた。


「ば、馬鹿な……」


 隣のどじょう髭の男が、そう声を絞り出す。


「馬鹿王子、大人しくついてこい。拒否は許さんから、抵抗しても無駄だぞ」


 カイ・ハイネマンはまるでどじょう髭の男など眼中にすらないとでもいうかのように、傲岸不遜な態度でそうギルバートにそう命じてくる。


「ふ、ふざけるなっ! 下級貴族の分際でっ! こいつを殺せっ!」


 周囲の守護騎士たちに命じるが、


「……」


 誰も微動だにせずに小刻みに震えるだけ。


「どうしたっ! 王子たる僕の命令だぞっ!」


 叱咤の声を上げるが、やはり誰もピクリとも動かない。


「無駄だぞ。その者たちの目は既に負け犬のそれだ」


 カイ・ハイネマンがそう独り言ちる中、


「何をしている! 早く殺せっ!」


 再度、喉が潰れんほどの大声で命じる。


「無理です……あれには絶対に勝てません」


 今まで憎たらしいほどの余裕があったどじょう髭の男がそう声を絞り出す。


「ふざけるなっ! 貴様らを雇うのにいくら払ったと思っているッ⁉」


 激高するギルバートにカイ・ハイネマンは鬱陶しそうに顔をしかめると、左手に持っていた布袋を投げてよこすと、


「ふむ。そうだな。まずは現状認識かもな。この布袋の中身を確認しろ。それは、お前が今回の策謀を頼んだ愚物のものだ」


 有無を言わさぬ口調で指示を出してくる。そのあまりに不敬な態度に腸が煮えくり返るような屈辱を感じて、


「貴様、この僕が誰だと――」


 声を張り上げるが、突如、視界が天上と地面を数回転して木製の床に顔面から激突する。


「ぎぐっ⁉」


 鼻に生じる熱、それが強烈な痛みだと気づいたとき、ギルバートは髪をカイ・ハイネマンに掴まれていた。

 

「ほら、ちゃんとお前の手で確認しろ。それはお前の愚かな行為が原因でこの世を去った男の末路だ」


 カイ・ハイネマンは恐ろしく冷たい目でそう命じてくると、ギルバートを布袋の前に放り投げる。


「ぼ、ぼぐを、だずげろっ!」


 上半身だけ起こして守護騎士たちに命じるが、やはり俯くばかりで動く者はいない。


「本当に学習能力のないやつだな」


 カイ・ハイネマンの呆れたようなセリフの直後、再度顔面に火花が散る。少し遅れて七転八倒の痛みが襲ってきた。

 

「もう一度いうその布袋を開けろ」

「ぶれいぼの――ぐへっ!」


 やはり、床に叩きつけられる顔面。その耐え難いに痛みに、


「わ、わがっだ! みるがらもうやべろ!」


 必死に拒絶の言葉を叫ぶ。掴まれた後髪がほどかれ勢いよく床につんのめり、眼前の布袋の中身を開く。そこから出てきたものを視界に入れて――。


「いひぃぃっ⁉」


 悲鳴を上げて床に放り投げる。床にゴロゴロを転がったものは、老人の頭部。というか見知った顔だ。それは、カイ・ハイネマンの駆除を頼んだはずのこのバベルの副学院長だ。

 そのカッと見開かれた両眼と、恐怖に歪んだ表情は、ギルバートからサーとを音を立てて血の気を引かせる。次いで、強烈な嘔吐感が幾度となく襲ってきて――。


「げぇっ!」


 床に吐しゃ物をぶちまけていた。


「この程度でショックなど受けるなよ。第一、お前はこの数十倍に及ぶ非道をすでに行ってきているはずだぞ?」


 涙を流して吐くギルバートを虫けらでも見るような目で見降ろしつつ、カイ・ハイネマンは凍り付くような声色で問いかけてくる。

 その疑問など一切答えることはできず、酸っぱいものがこみあげてきて口を押えて床に吐く。


「本当はな、お前もベルゼに処理させるつもりだったんだ。だが、お前のようなくずにも殺さないでくれ。そう懇願する危篤なものたちがいた。もちろん、国王やローゼではないぞ。身内が何を言っても私は決定を曲げるつもりはなかった」


 カイ・ハイネマンはそこで言葉を切ると背後を振り返り、


「例の場所に連れていけ」

 

 異国の衣服に片眼鏡をした美しい中性の容姿の女にそう命じる。


「了解である。で、こいつらはどうするつもりであるか?」

「こいつらかぁ……」

「うあ……」


 カイ・ハイネマンが視線を向けただけで、ギルバートの守護騎士たちは主人を放置し一目散に逃亡を図る。


「愚か者が。恥ずかしげもなく子供を殺そうとした馬鹿どもを、この私が逃がすわけあるまい」


 カイ・ハイネマンの姿が霞む。次の瞬間、扉に向かったはずの数人の騎士たちの首が飛び、糸の切れた人形のようにドシャと床に落下する。

 そして、扉の前で右手に真っ赤な血液に染まった木刀を持ちながら佇むカイ・ハイネマン。


「我らは降伏する」

「ダメだね。お前たちはやりすぎた。未熟な子供を手にかけようとした時点で、お前たちの運命は決まっている」

「くっ!」


 真っ青に血の気の引いた顔でどじょう髭の男は数歩後ずさろうとするが、


「最後の情けだ! 剣士として殺してやる。決死の覚悟でかかってこい!」


 カイ・ハイネマンがニィと口角を上げつつもそう叫ぶと、


「くそっ! くそっ! くそぉぉぉぉっ!」


 どじょう髭の男たちは無念さたっぷりの金切り声を上げると、カイ・ハイネマンに殺到する。カイ・ハイネマンは右手に持つ木刀をゆっくりと上段に構える。

 刹那、どじょう髭の男たちの全身に基線が走り抜け、バラバラの肉片となって床へ落ちる。

 室内に残ったのは――グシャグシャの原型すらも留めていない死体と大きな血の水たまり。


「ひいいぃぃぃッ‼」


 瞬きをする間もなく、今まで最強の騎士たちと思って雇った各界のつわものたちが、あっさり挽肉となってしまった事実に体中の血液が逆流するほどの恐怖が沸き上がり、喉の限りに金切り声を上げる。


――恐ろしい。


カイ・ハイネマンの正体不明の強さが!


 ――おぞましい!


 カイ・ハイネマンのまるで殺したことに何の感慨すらも覚えてない様相に!

 もはやギルバートにとってカイ・ハイネマンは人の皮を被った怪物にしか見えなかった。だから、逃げようとするが、腰に力が入らず尻もちをつく。


「後の処理はバベルにでも任せるとしよう」


 カイ・ハイネマンが誰にいうまでもなくそう呟いたとき、片眼鏡の女に後ろ襟首を掴まれる。次の瞬間、ギルバートの意識は暗転する。

 

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