第28話 思惑

 バベル北部の【華の死都】エリア1


 振り下ろされるスキンヘッドの男の曲刀による猛攻。それを柳のように軽やかに受け流す金髪の少女。大剣を賢明に防ぐ可憐の少女だ。素人が見れば、圧倒的優位はスキンヘッドの男だと思うだろう。だが、常に主導権を握っているのは、金髪の少女ライラだった。


「くそっ! なぜ当たらねぇ!」


 そうは吐き捨ててはみたが、その理由はスキンヘッドの男、狂犬マッドハウンドが一番理解していた。純然たる自力の差。実戦、才能、全てがライラという少女に劣っていることの当然の帰結。

 そして遂にライラの長剣により、狂犬マッドハウンドの曲刀は弾かれ地面へ落ちる。


「終わりですわ!」


 首筋に突き付けられた長剣に狂犬マッドハウンドはしばし、ギリッと奥歯を噛み締めていたが、


「ああ、そうだな」


 口端を上げて、そう同意の言葉を口にする。


「お前、餓鬼に負けたのかよ! マジでだせぇな!」


 緑色のブカブカのハンチング帽を深く被り、同じく緑色のローブを着た小柄な男が、ソムニを引きずりながら木々の隙間から姿を現す。

狂犬マッドハウンドはそれには答えず、喉に突き付けられた剣を掴むと、


「お前は俺より強ぇ。だが、勝つのは――」


 右足でライラの腹部を蹴り上げる。

 吹き飛ばされながらも態勢を整えようとするライラに、地面に転がる曲刀を拾い上段に構えると地面を疾駆すると、


「俺だっ!」


 激昂しながら、力まかせに叩きつける。完全には長剣で受け流せず、ライラの身体は後方に放物線を描くように大きく飛ばされるも、どうにか着地する。しかし――。


「ほれ、これで形勢逆転だ。そこの坊ちゃんの命が惜しくば、剣を捨てろ」


 曲刀の刃がライラの首筋に当てられる。

 

「くっ!」


 悔しそうに下唇を噛み締めライラは長剣を地面に投げ捨てる。

狂犬マッドハウンドは顔を醜悪に歪めて、


「本来、お前のような餓鬼には興味がねぇが、強い女は別だ。特別にお前は俺の女にしてやる」

「丁重にお断りしますわ!」

「くはッ! そういうところだ! そういうところが気に入ったんだっ!」


 狂犬マッドハウンドは左手でポケットから首輪のようなものを取り出す。


「これは、奴隷専用の呪具だ。言葉どころか、行動すらも俺の命に逆らえんようになる」

「っ!」


 ライラは逃げようと後退りをしようとするが、曲刀の先により容易に阻まれる。


「心配するな。生涯、俺の奴隷として存分に不自由なく楽しませてやる!」


 狂犬マッドハウンドが左手首輪をライラの首につけようと彼女の首筋に触れようとしたとき、いつの間にか、現れた黒色長髪の男により狂犬マッドハウンドの左手首は掴まれてしまう。


「スカル、てめえ、何のつもりだ!?」


 憤怒の形相で顔を傾けて黒色長髪の男スカルの行為の意図を尋ねる狂犬マッドハウンド


「その女は連れて行く」

「あ⁉ ざけんな、この女を連れて行くことは依頼に入ってなかったはずだぞ!?」

「ああ、その通りだ。だが、どうやら、その女、ライラ・へルナーはカイ・ハイネマンの知り合いのようだ。彼女を囮に奴をおびき寄せる」


 カイ・ハイネマンとの言葉を聞いた途端、狂犬マッドハウンドから欲望が消失し、小さな舌打ちをすると、首輪をポケットに放り込んでしまう。


「カイ⁉ カイッをどうするつもりなのっ⁉」


 突如、ライラは壮絶に取り乱して叫ぶ。


「何でもギルバート王子様に不敬を働いたらしくてな。処分されるのさ」

「させるわけ――」


 必死の形相で叫ぶライラの首筋に黒色長髪の男が触れると、彼女は糸の切れた人形のようにぐったりと力を失う。


「彼女は私が預かる。構わないな?」

「はっ! 勝手にしろ! だが、報酬は――」

「わかっている。三等分だろ? 間違いなく守るさ。私がその二人を届けるから、お前たちは引き続きカイ・ハイネマンに接触して所定の位置まで誘導しろ」

「命令すんなっ!」


 狂犬マッドハウンドはそう叫ぶと、地面に唾を吐き、森の奥へと姿を消す。

 緑色のローブの男も肩を竦めると、ソムニを地面に置き、狂犬マッドハウンドの後に続く。



 二人が姿を消して暫くすると、


『ルーカス、貴様、どういうつもりだっ⁉』


 黒色のローブを着た黒色の骸骨が出現し、声を荒げて問いかける。


「ええ、お怒りの理由は十分にわかっていますよ、デイモス」


 スカルと呼ばれた黒色長髪の男は、その姿を老紳士へと変えつつも、先ほどの無感情なものから一転、親し気な声色で返答する。


『わかっている、だとっ!? ならなぜこんなあり得ぬ指示をした⁉ ライラ様はあの御方のお知り合い! この私がお守り申し上げているのだっ! それをあのような屑どもの行為を黙ってみていろとは、たとえギリメカラ様の命とはいえ、到底、了知し得ぬわッ!』


 デイモスは骨をカタカタと震わせながら、腹の底からの怒声を上げる。


「ライラ様に実害が及ぶことはありませんよ。例えどこの誰だろうとそれは我らが許しません」

『実害云々以前の問題だ! 御方様はライラ様をお守り申し上げるように私にご指示を下された! あの御方はこの私を信頼してくださったのだ! 一度特大級の不敬を働いたこの私をだっ! その信頼を貴様はあえて破れという! 納得のいく説明があるのだろうな⁉』


 パキパキと両手の指の骨を軋ませながら、窪んだ両方の眼窩の奥が怪しく紅に染まり、全身から血のように赤いオーラが湧き出てくる。

 返答次第ではたとえどこの誰だろうと、牙を剥く。その不退転の覚悟を持ってデイモスはルーカスに射殺すような視線を向け、その意を問う。


「もちろん、やらねばならないからです」

『だから、これ以上煙を巻くなといっとろうがっ! さっさとその理由を説明せいっ!』

「わかりませんか? この事件は一見馬鹿王子が画策しているようには取り繕われておりますが、裏にはバベル上層部の一派と中央教会がいます」

『それがどうしたっ⁉ たかが人間どもの雑魚勢力だろう。我らならば楽々駆除し得るはずだ!』

「ええ、それは否定しません。純粋に人間の勢力だけなら、我らが裏で動いて駆除すれば済むはずでした。ですがねぇ、あの者たちの裏にはどうやらギリメカラ様方と同類の存在がいるようなのです。つまり――」

『御方様に刃を向けるよう企んだ時点で、我らが勢力への宣戦布告となった。そう言いたいのか?』

「ええ、どこの誰だか知りませんがねぇ。よりにもよって、奴らはあの御方を殺そうとした! しかも、あんな下品でひ弱な人間どもを使ってです。これがどれほどの大罪か、貴方ならお分かりでしょう⁉」


 薄ら笑いを浮かべるルーカスの額に浮き出るいくつもの太い血管。そして口から漏れ出る怨嗟の声。


『おい、ルーカス!』

「特に、あの馬鹿王子! 上手く先導されたとはいえ、たかが一王国の王子ごときが、我らが神に正面切って唾を吐いた! よりにもよってご身内の方々にもです! ええ、とっくの昔に私の堪忍袋の緒はプッツン切れているんですよッ!」


 笑顔で捲し立てるその狂気じみた姿に、


『落ち着け、ルーカス!』


 若干引き気味にデイモスは落ち着かせるべく、両手を上下に振る。

 ルーカスは顔を左右に数回振ると、


「失礼、少々脱線してしまいました。ともかく、既に賽は投げられた以上、戦争は始まっているのです」


 そう静かに断言する。


『じゃが、それは、あの御方やライラ様を巻き込む理由にはなっておらんぞ!』

「あの御方を巻き込む? デイモス、それは認識違いです」

『どういうことだ?』


訝しげに尋ねるデイモスに、


「ギリメカラ様は仰いました。私達ごときゴミムシどもが気付くことを至高の御方おんかたが知らぬはずがないと。その言葉を耳にして正直、私は己の浅はかさに打ちのめされましたよ。私のこの信仰想いもまだまだなのだと!」


 恍惚の表情で両手を組んで説法するルーカス。


『要するに、この事件は全てあの御方の掌の上だと?』

「ええ、奴らがライラ様を囮にするという愚劣な行為に及ぶことも含めてね」

『ならば、私がライラ様の護衛を任されたのも?』

「当然、奴らの排除を正当化するための理由を欲していらしたのでしょう。貴方によるライラ様の護衛はイレギュラーの際の保険です。

本当に恐ろしい御方だ。我らの行動すらも全て読み切り、あえて不敬を働いた卑怯者のクズを表舞台に引きずりだそうとしているのですからっ!」


 両腕を広げてルーカスは、英雄を語る吟遊詩人のようにそのありもしない功績を得々と宣う。

 もちろん、カイにはそんなつもりは微塵もないし、信じる方がどうかしている。そのはずなのだが、デイモスはしばし、全身の骨をカタカタと震わせ、


『そ、そうであったか!』


得心がいったかのように大きく、そして何度も頷き叫ぶ。

そう。狂信者たちにとって全知によるカイの策謀は、既に限りなく真実になってしまっていた。


「計画はこの上なく順調です。あの御方が直々に愚者どもを駆逐し、制裁を加える。そうなれば、敵勢力を一掃できるし、我らの士気の向上も見込める。まさに至上の策! 身震いがしますよ!」

『私の憤りさえもあの御方の予想の範疇というわけか。確かにそれなら一連の不可解な事象に全て合点がいく。ならば、私は今後もライラ様に危害が及びそうになったとき、全力で抗えばよいのだなっ⁉』

「ええ、その通りです」


 ルーカスは大きく頷き、指をパチンとならす。突如、周囲が黒炎に包まれて、地面には右腕を失ったエッグが出現する。一呼吸後の黒炎は人の姿を形作った。

 

「その子供も避難させなさい」


 黒服と帽子を被った人形はエッグを担いで広場へ向けて駆けていく。

 そして、さらに黒炎は人型となり、右腕を失ったエッグの姿を形作る。


『そんなもの、どうするつもりだ?』

「もちろん、クズ共の下種っぷりを証明するのですよ」

『ルーカス、お前、とことんまで意地が悪いな?』


 半場呆れたように呟くデイモスに老紳士は、


「それ多分、正解です」

 

 口端を耳もとまで吊り上げて、人差し指を左右にふる。次の瞬間、ルーカスの全身を黒炎が包み、その姿は黒色長髪の剣士の姿になった。


「さて、行くとしますか」


 ライラを左腕に、ソムニとエッグの人形を右腕で抱える。

 そして、計画を次の段階へと進めるため、歩き出す。そう。己の信仰するあるじの願い実現のため。


 

 確かに本事件を仕組んだ者たちはルミネとローマンを狙ったことで史上最強の怪物の逆鱗に触れたのは確かだ。だが、それだけならまだ救いがあった。ライラ・へルナーが巻き込まれるまではまだ怪物にとって温和な方法で済ませるつもりだったのだから。

 しかし、狂信者たちは、その壮絶な思い込み信仰により、その小さかった炎にガソリンをぶちまけ、大炎へと昇華させてしまう。この場この時、怪物と黒幕の反目はまさに決定的となったのである。


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