第23話 邪神の暗躍
【世界魔導院バベル】の最上階
バベルの塔の最上階の学院長室には十数人の男女と一匹の白色の霊獣が投影魔法により眼前に映し出された悪夢のような光景を眺めていた。
そして、王冠を被った蠅の怪物が出現してすぐ、その映像はぷっつりと切断される。
「これ以上は……ご勘弁ください……」
投影魔法を行使していたとんがり帽子に、紺色のローブを着用した耳の長い金髪の女性が、震え声で懇願の言葉を絞り出す。そして、直後、地面に這いつくばって、涙を流しながら何度も何度も嘔吐してしまっていた。
彼女は統括学院長最側近の調査部部長クロエ。遠隔監視系の魔法に関しては世界でも一、二を争う実力者。普段憎たらしいほど冷静な彼女のこうも取り乱した姿に皆唖然と見守る中、
『だ、だから言ったんじゃ! これ以上、
白色の霊獣――コウマがヒステリックに取り乱した声で、捲し立てる。
「クロエ部長、彼が召喚したあの蠅の化物は、そんなにマズイ生き物だったのですか?」
目の細い黒ローブの男、シグマ・ロックエルが今も涙を流しているクロエの背中を摩りながら、途惑いがちにも誰もが覚える疑問を口にする。
『ぬ、ぬしら、あれを見てわからんかったのかっ⁉』
しばし、コウマはまるで信じられない生き物でも見るかのような目でシグマを凝視していたが、直ぐに頭を抱えて、
『おしまいじゃ……おしまいじゃ……妾たちはもうおしまいじゃ』
視線をぐるぐると彷徨わせながら、壮絶に取り乱すコウマを尻目に、
「心配いりませんよ、コウマ、仮に彼が私たちのこの行為に気付いていたとしても、彼はその程度の事でこちらに敵意を向けはしません。ねぇ、ラルフ?」
イネア学院長が隣に佇む赤色のローブに身を包んだ小柄だが筋肉質な男、ラルフ・エクセルに尋ねる。
「ええ、あくまで貴方が暗躍した結果、受験生の少年少女に犠牲が出なければという条件付きですがね」
ラルフは仏頂面でそっけなく答え、その姿にこの場にいる一同が喉を鳴らす。
ラルフにとってイネア学院長は過去の教師にして育ての親。故に通常、このような無礼極まりない態度をとることはない。それほど、今のラルフが猛烈に憤り覚えていることは、明らかだったのだ。
「これは純然たる興味なんですがね、もし、受験生たちに犠牲が出たらどうなるんですか?」
統括学院長派の青髪の青年が顎に手を当てて興味深そうにラルフに尋ねる。
「破滅じゃろうな。カイは確かに我ら人のルールで生きておる。だが、それはあくまで相手が不法を犯すまでのこと。一度、人の道に外れた外道はカイの流儀に従い、粉々に砕かれる。あの哀れな男のようにな」
ラルフのこの言葉に、
『嫌じゃ! 愚かな人間どもが勝手に策謀したこと! 妾は無関係じゃ!』
唾を飛ばして捲し立てるコウマ。彼女のあまりの必死の形相にやはり、顔を見合せる一同。
「私にはどうしても彼がただの少年にしか見えません。確かに、あの蠅の怪物は強そうには見えましたが、我らバベルと張り合えるとはとても思えませんね」
困惑気味の青髪青年の言葉は、この場の大半の意見を代弁していた。
「鈍い人間は、いつもおめでたいわね……」
ようやく落ち着いた調査部長クロエが、口の周りに付いた唾液を拭いながら呟く。
「クロエ様、それはどういう意味ですか?」
ムッとして聞き返す青髪青年に、クロエは立ち上がると、
「張り合うですってっ!? あれらと私たちがッ⁉ 無理ぃ! 無理ッ! 絶対に無理よッ! あれは怪物、いえ、もっと大きな何か! あんたは、空に浮かぶ太陽や星と喧嘩して勝てるっての? あれと戦うっていうのは、そういうことよ!」
血走った眼を向けつつも声を張り上げる。そして、悪鬼の形相でイネア統括学院長を睨みつけて、
「イネア様、
条件付きの三行半を叩きつけた。最側近の離反宣言に、皆ただ事態を飲み込めずにいる中、
「大丈夫。心配いらない。私はそう言ったはずです」
やはり、イネア学院長は微笑を浮かべながらいつものように冷静に語るのみ。
「儂がこの場にいたとしても無駄ですぞ。儂の存在で許されるとしたら、先ほど覗き見をしていた程度のこと。我らが学院としてのルールを明確に犯せば、カイは一切の躊躇なくこの世界からの駆除を実行します」
ラルフが念を押すが、
「既に話はついております。そうですよね? ギリメカラ様?」
イネア学院長は席を立ち上がると姿勢を正し、窓付近に視線を固定して、語り掛ける。
刹那、出現する鼻の長い怪物。その全身から湧き出る濃厚な闇色のオーラにより、大気がミシリッと震え、壁に亀裂が走る。
そして、怪物の三つの真っ赤な眼光がギロリと室内を見渡した途端、統括学院長以外の全員が床に這いつくばる。
同時に、次々に生じる三体の異形の者たち。彼らのある者は空中を漂い、ある者は天井に立つ、もうあるものは尊大に学院長の机の上に腰を下ろしていた。
まさに鉄火場のような生きた心地がしない状況の中、鼻の長い怪物は両腕を広げ、
『我らは渇望する! 我らの至高の
我らは渇望する! 我らが至高の
我らは渇望する! 我らが至高の
称えよ! 我らが崇敬の
称えよ! 我らが至上の父を!
称えよ! 我らが絶対の神を!』
大気を震わせる大声を張り上げる。
誰も顔を上げる事すら叶わない。皆、この鼻の長い怪物たちがどういう存在か、本能で理解していたのだと思う。
ただ、カチカチと歯が嚙み合わさる音だけがシュールに部屋に反響していた。
「わざわざお越しいただき、心より感謝いたします」
イネア学院長は右手を胸に当てて、恭しく一礼する。
『進行具合は?』
「試験に紛れ込んだ帝国の六騎将を含め、実技試験の全ての調整は済んでおります」
『あとの処理は任せる』
鼻の長い怪物は満足そうに頷くと、煙のようにその姿を消失させる。他の三体の異形たちもいつの間にか跡形もなく消えていた。
平穏を取り戻した室内で、
――死人のような青白い顔で蹲り震える者。
――無意識に我慢していた息をしようとするが、上手くいかず這いつくばったまま何度も咳き込む者。
――血走った目で爪をガチガチと血がにじむまで噛みながらもブツブツと念仏のような独り言を呟く目の細い黒ローブの男。
――口から泡を吹いて目を回している白色犬科の霊獣。
三者三様の様相を示す中、
「イネア様、貴方が心配はいらないと判断した理由は、これですかな?」
ラルフのどこか疲れたような問いに、
「ええ、彼らの描いたシナリオから逸脱しない限り、この件でカイ・ハイネマンと私たちが反目することはありません。もちろん、これ以上の詮索は百害あって一利なし。止めておくべきでしょうけども」
イネアは軽く頷き断言する。
「それが……無難でしょうな」
近くの椅子に腰を掛けるとラルフは大きく息を吐いて、そう答えた。
「これから私たちは深く考えず、カイ・ハイネマンを全力でサポートすればよいのです。
さあ、そろそろ、事態が動く頃です。広場へ向かいますよ」
満面の笑みで両手を叩いて皆を促す。
まるでピクニックにでも行くかのような陽気な態度のイネア学院長にクロエは頬をヒクヒクさせつつ、
「イネア様、貴方は骨の髄までイカレてる」
しみじみとこの場の誰もが覚えていた感想を述べたのだった。
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