第39話 剣の道 ジグニール

 ここはアメリア王国の最北西端にある密林地帯。ここの周辺は元獣人族の治める土地だったが、アメリア王国がそれを奪い支配した土地。

 この樹海はそのアメリア王国の奴らの支配区域の北側を覆うように広がる樹海。この樹海は方向感覚が著しく狂う。さらに毒の樹木や食虫植物など様々な凶悪な自然のトラップが存在する。

天下のグリトニル帝国ですらもこの樹海からのアメリア王国の侵攻を不可能と判断したくらいだ。普通の神経をしていれば、絶対に踏み込むべきではない死地。

 ならなぜ、ジグニールがこんな場所を彷徨っているかというと、軍を抜けたから。帝都への帰還中、書き置きを残してジグニールは隊を離れた。いや、もう恰好を付けるのは止めよう。要するに、ジグニールは脱走したのだ。

 あの黒髪の剣士に剣で負けた。完膚なきまでに敗北した。これが事実上、アルノルトに負けたときのように僅差の差での敗北ならどれほどよかっただろう。だが、現実は全く話にならず、子供扱いすらしてもらえなかった。多分、あの黒髪の男にとってジグニールなど、今まで雑魚とみなしてきたその辺の傭兵崩れどもと大差あるまい。

 世には上には上がいる。故に先の強者との魂が震える闘争のために日々の鍛錬を怠ってはならない。それは幼い頃から祖父に口が酸っぱくなるほど言い伝えられてきたこと。

 だが、同年代にも、いや祖父以外で帝国にも今の今までジグニールに剣術で勝てるものは存在しなかった。だから、今まで祖父の忠告を蔑ろにしてきた。祖父の反対を押し切って六騎将などというくだらない組織に所属してしまった。

 剣士として全てを手に入れた。そう滑稽なほど己惚れてしまっていたんだ。だが、いざ蓋を開けてみれば、ジグニールの剣術など子供だましに過ぎなかった。きっとジグニールは、最も剣士として大事なものすらも、忘れてしまっていたんだ。


「もう、戻れねぇよな」


 口から出た呟きに故郷には金輪際戻れない。その事実を認識し、心の臓が締め付けられる思いがする。

 現皇帝アムネス・ジ・グリトニルは冷徹だ。仮にも軍を脱走したのだ。ジグニールが逃亡したせいでガストレア家は下手をすれば取り潰しになる。それはわかっていた。祖父たちに多大な迷惑をかけてしまうことも。それでも今、帝国に戻ればジグニールは剣士として最も大切なものを失って、二度と剣を握れなくなる。そんな予感がしたのだ。

 だから、こんな何の得にもならない行為をしている。

 突如、高木の間から複数の黒色の塊が突進してくる。


『グオオオォォォッ!!』


 背後から右手を振り下ろしてくる熊に似た魔物の首を長剣で切り落とすと同時に、その返す刃で木々の枝の上から襲い掛かってくる巨大猿の脳天に突き立てる。

 刹那左足に鈍い痛みが走る。咄嗟に視線を落とすと大蛇がジグニールの左足首に噛みついていた。


「くそっ!」


 大蛇の頭部に剣を突き刺し、引き裂く。

 急いでナイフで噛まれた箇所を抉り、なけなしの酒と薬草を塗り付ける。

 しくじった。きっとあれは毒蛇。滑稽だ。本当に滑稽だ。あの程度の魔物にすら後れを取るようでよくもまあ今まで恥ずかしげもなく最強の剣士を名乗れたものだ。しょせん、ジグニールなど、その辺にありふれている三流剣士に過ぎん。

 霞む視界。汗も全身から溢れ出す。

これは麻痺毒か。ここで意識を失えばまず魔物の餌だ。ここは今までヌクヌクと生きていた場所ほど甘くはない。

 遂に全身の力が入らず、両膝をついて冷たい地面に仰向けに倒れる。


「くはは……」


 乾いた笑いが口から漏れる。軍を脱走しても結局、剣士にはなれず、ここで一人寂しくのたれ死ぬのか。


「それも仕方ないか」


 これは才があると己惚れて剣と向き合わなかったつけだ。こんな状況になって初めて理解した。剣の道とは己を錬磨する果てなき茨の道。そこに到達点などあるはずもないのだ。それはあの黒髪の男と戦って嫌っというほど思い知らされた。


「だけど、嫌だなぁ……頼むよ。剣の神様。もう一度だけ、俺にチャンスをくれッ!」


 左手で空を掴んだとき、ジグニールの意識は失われた。


            ◇◆◇◆◇◆

 

 瞼を開けると見慣れぬ天井が視界に入る。

 起き上がろうとするがピクリとも動かない。唯一動く首だけを動かすと、銀髪の獣人の童女の心配そうな顔が視界に入る。


「あ、気が付いた! お父さん、お母さん!」


 銀髪の獣人の童女は顔をパッと輝かせると、パタパタと騒く部屋を飛び出していく。

 しばらくして、髭面に金髪の巨漢の獣人と銀髪の獣人の女がともに入ってくる。

 

「お前は、アメリア人か?」


 金髪に巨漢の獣人は、有無を言わさぬ口調で尋ねてくる。チラリと己の状態を見ると、ベッドに縄で雁字搦めに括り付けられている。返答によっては、きっと命はないんだろうな。

 どうせ一度失った命だ。精々、足掻かせてもらうとしよう。


「いや、俺は帝国人だ」


 銀髪の女の顔が強張るがわかる。それはそうだ。帝国は他種族を侵略してのし上がった国。獣人族にしてみれば、敵以外の何ものでもないから。


「なぜ、この地に来た?」

 

 金髪巨漢の獣人はそんな返答に困る質問をしてくる。


「それは、なんとなくだな」

「なんとなく?」

「ああ、俺も祖国から追われる身だからさ。ようは逃げてここまで来たんだ」


 ようやく、少しだけ金髪巨漢の獣人と銀髪の女の顔から険が取れる。


「何をやって逃げている?」

「脱走だ。今までの自分のやっていることが嫌になっちまってな」

「それを証明できるか?」

「いんや、信じてもらうしかねぇよ」

「そうか……」


 金髪巨漢の男は、顎に手を当てていたが、


「わかった。面倒ごとは御免だ。傷が治ったらすぐ出て行け」

「あなた!」


 銀髪の女の焦燥たっぷりな声に、


「こいつの目は腐っちゃいない。大丈夫だ」


 そう述べると立ち上がって、銀髪の女と部屋を出て行ってしまう。


            ◇◆◇◆◇◆

 

 それから二週間、厠以外で部屋から出ないように指示を受けるだけで、特段拘束されるわけでもなく、過ごす。ジグニールの傷も大分癒えた。もう、動くこと自体には支障がない。


「それでね、それでね、もうすぐミュウを迎えに行くの」


 童女ミィヤは弾むような声でもう何度目かになる言葉を口にする。

 どうやら、先の戦争でアメリア王国軍に責められた際に故郷の街からミィヤとその妹は先に脱出させられた。ミィヤは直ぐに保護されたが、妹ミュウだけが王国人に捕まってしまったのだという。

 そして、アメリア王国の都市――バルセの奴隷商に売られた情報を掴んだところのようだ。


「それより、あんたら二人はよく逃げ切れたな?」


 金髪巨躯の獣人ガウスと銀髪の女ウルルを眺めながら、素朴な疑問を口にした。

 攻め込まれたのはアメリア王国でも有数な高位貴族の軍。その包囲網を突破するのは並大抵なことではなかったはずだ。


「もちろん、残ったものたちは死を覚悟していたさ。俺たちはある人に助けられたんだ」


 ガウスは遠い目をして噛み締めるように答える。


「ある人ってのは?」

「悪いがそれはいえん。だが、お前と同じ人族だといっておこう」


元々ガウスは口が堅い。漏らすことはあるまい。それにその情報はジグニールにとって大して重要ではない。別に構わんさ。


「俺を助けたのもそのせいか?」

「ああ、俺たちは人族全てが悪だとは思っちゃいない。それはあの戦場で十分に思い知った。なにせ、あの包囲を許したのは同族の醜い裏切りだしな」


 腐っているのはジグニールたち、人族だけではない。そういうことかもしれない。


「それで知り合いの人族の商人にミュウの身請けを要請した。直ぐにバルセの奴隷商と交渉し、無事保護してくれるはずさ」

「その知り合いってのは、あんたを助けた人間か?」

「ああ、あの人の部下だ。実のところ、この場所もその人の紹介だし、まったく頭が上がらんよ」

「そうか……」


 仮にもアメリア王国政府軍の包囲を切り抜けられるほどの手練れを抱える存在などこの世界でも限られている。おそらく――。

 突然の足音にジグニールの思考は遮られる。勢いよく扉が開かれると、


「商人の旦那が戻ってきた!」


村の獣人の若い男が叫ぶ。


「ほ、本当か!」


外に向けて走り出すガウス。ウルルとミィヤもそのあとを追うので、ジグニールも後に続く。

ガウス達の建物の前には、人盛りが出てきており、その中心には、形の良い髭を生やした紳士が佇んでいた。

紳士は姿勢を正すと、


「申し訳ない」


 ガウス達に頭を深く下げたのだった。



「ミュウが買われてしまったか……」


 がっくりと肩を落とすガウスに、真っ青な血の気の失うウルル。ミィヤは妹に会えないと知り、泣き出してしまった。


「ええ、どうやら一足遅かったようです」

「それで、誰に身請けされたんだ?」

「それが、奴隷商に尋ねても異常な拒絶反応を見せるだけでした。おそらく口止めでもされているんでしょう」

「心当たりはあるのか?」


 商人は首を左右にふると、


「ただ、尋ねた際のあの商人の尋常ではない怯えよう。大国の高位貴族か、もしくは王族か、あるいは裏社会のキングどもか……」


 最悪だ。一度身請けした者を、さらに身請けするのは相当な苦労だ。しかも、相手が高貴貴族や王族ならそもそも金銭では解決しない可能性すらでてきた。


「わかった。俺が探しに行こう」


 立ち上がるガウスに、


「やめておいた方がよろしかろう。貴方は目立ちすぎる。捕まれば処刑されますよ?」


 静かに諭すように口にする。


「だったら、どうすればいいというのだっ!?」


 声を荒げるガウスに、


「今、お嬢さんを身請けした者を部下たちに調査させています。今しばらくのお待ちを」


 やはり、穏やかに説得の言葉を口にする商人。


「すま……ない。少々、動転していた。色々動いてくれてありがとう」


 ガウスは商人に頭を下げた。噛み締めた下唇からは僅かに血が滲んでいた。


(まったく、俺は何を考えてんだろうな……)


 逃亡の身だというのに、こんな何の得にもならないようなことをしている。


「俺がそのミュウとやらを見つけて来てやるよ。少なくとも獣人のあんたよりはよほど動きやすいと思う」

「君は?」


 商人は品定めでもするように、ジグニールを眺め観る。


「ジグだ。その娘を保護するまで好きに使ってくれ」


 少しの間、商人は髭を掴んで考え込んでいたが、


「わかりました。当面は私の護衛ということでお願いします」


 神妙な顔で顎を引く。


「了解だ」

「いいのか、ジグ? お前も追われているんだろ?」

 

 ガウスが焦燥たっぷりな顔で尋ねてくる。


「へっ! 一度あんたに救われた身だしな。借りは利子を付けて返そうと思っていた。まったく問題ねぇよ」


 ガウスは顔をくしゃくしゃに歪めると、ジグニールに深く頭を下げて、


「娘を頼むッ!」

 

 懇願の言葉を絞り出したのだった。

 こうして、ジグニールに目的ができた。そして、この目的を遂げるために、ジグニールもカイ・ハイネマンという真正の怪物が紡ぐ物語に深く深く関わっていくことになるのである。


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