僕は御茶ノ水勤務のサラリーマンだったけど、渋谷で探索者として生きることに決めた

第159話 東京でのある日

 目覚まし時計の音が聞こえて飛び起きた。

 もう10時だ。久しぶりの我が家、といっても小さな国立のワンルームマンションだけど。

 カーテン越しに太陽の光が差し込んできていて、車の音や歩行者信号のサイレンや何かの店の宣伝文句が聞こえてくる。


管理者アドミニストレーター起動オン

 

 なんとなく言ってみるけど、もちろん電気はつかない。電灯からつるしたひもを引くと白い電気が点いた。

 懐かしい我が家。父さんが家賃を払っていてくれたおかげでここに戻ってこれた。



 結局あの後、オルドネス公の日食の門エクリプスゲートで東京に戻してもらうことにした。

 あくまで一度戻るだけだ。その後合流できるように念入りに打ち合わせをした。


 そして二人なら何とか出来る、と言う話だったから、どうしても東京に戻りたそうな衛人君を一緒に戻してもらった。

 

 元の世界に戻ってすぐに家に帰った。

 放任主義の父さんとは思えないほどに死ぬほど怒られ、母さんからは泣かれ、説明しろ、と言われた。


 ここまではもちろん予想していた。

 そして、ここは一緒に戻してもらった衛人君に話を合わせてもらった。


 不意に仕事が嫌になった。気づいたら海外に行っていた。

 アメリカで衛人君と会ってその後マネージャーみたいに彼と一緒に行動をしていた、と言う体で押し切った。


 衛人君も事故で死んだと思われていたわけだから話を合わせる人間は必要で、この点は僕等の利害は一致していた。


 テレビをつけると、にぎやかなワイドショーが流れて、キャスターたちが芸能人の誰かと誰かの熱愛報道の話を面白おかしくしていた。


 ベッドに寝転がる。

柔らかい布団、体の伸ばせる風呂、エアコン、自動車、普通に通じるスマホ、鉄道、インターネット。

 僅か一年ほどの間に世間は色々変わっていて、浦島太郎状態で数日間はネットに張り付いていた。


 ちょっとお腹がすいたらコンビニやレストランがいくらでもあって、暑ければエアコンをかければいい。

 水が飲みたければ水道をひねればいいし、汗をかいたらすぐに風呂が沸かせる。


 車を運転するたびに魔力を消費する必要もない。

 生活のために命がけで魔獣と戦う必要もない


 六本木にも行ってみた。

 ワイバーンに追われた六本木通りは賑やかな人並みにあふれていて道には車が行きかっていた。あの日のことが現実じゃなかったかのように感じる。

 何とも快適ですばらしくて、でも何か物足りない、そんな不思議な気分。


 籐司朗さんの息子さんの墓にお花を供えたり、衛人君のスポンサーへの説明に同席したり、いろいろとしているうちに日は飛ぶように過ぎて行って、すぐオルドネス公との約束の日が来た。



 こっちに戻ってから30日後、渋谷スクランブルで、というのがオルドネス公との待ち合わせだ。


 今日は衛人君も同行してくれた。

 一通りスポンサーや関係各位への説明も終わり無事にライダーに復帰できるらしい。よかったな。


「やっぱり行くのか?スミト先生」

「約束したからね」

「俺としちゃあ恩返しもしたいんだけどな」


 父さんには仕事で海外に戻らなければいけない、と言ってある。

 色々と思う所と言うか突っ込みどころもあっただろうけど、父さんは何も聞かずにいてくれた。

 

 代わりにほぼ毎日家に呼ばれて話したり、動画を撮られたりしたから何かを察してはいるんだろうけど。


「こっちの方が快適だぜ、残ろうとか思わないのかよ」

「まあそれはそうだけどね。でもさ」

「あんな可愛い子が待ってるんだもんな」


 衛人君がからかうような口調で言う。

 其れは否定しないけど、それだけじゃないとは思う。


 セリエのことをふと思った。

 確かにセリエは待っていてくれるだろう。戻れば喜んでくれるだろう。


 でも、時々考える。その気持ちは何なのだろう。

 僕は自分の為にセリエとユーカを助けた。セリエが僕に向けてくれる気持は、好意なんだろうか、それとも感謝を勘違いしているだけなのか、


 それはセリエを縛っているだけなんじゃないだろうか。

 その気持ちが小さな棘のように心の隅に刺さっている。


「ところでよ、何時ってのは決めてんのかい?」


 衛人君の明るい声で、益体もない考えを遮られた。考えていても仕方ないか。


「いや、そこまでは。ここで待ってるようにって言われただけだよ」


 時間通りに来れるほど、転移の精度は高くないらしい。


 周りはかなりの人混みだ。

 連絡する方法もないし、うろうろせずに一か所で待つ方がいいな。


「まあ仕方ないよな。ゆっくり待とうや、先生」


 そう言って衛人君が海外ビールの小瓶を差し出してくれる。


「ありがとう」


 受け取って一口飲むと、冷たいさわやかな炭酸がのどを抜けていった。



 時計を見ると午前3時。まだタクシーが走り回っているけど、人影はまばらになっていた。

 衛人君が買い足してくれたビールの空き瓶が足元に並んでいる。


 ネオンの広告だけが光っていて、時々酔っ払いの浮かれた笑い声が聞こえてきた。


 オルドネス公は姿を現さない。

 人であふれている時間なら兎も角。この時間ならすれ違いは無いはずだ。そもそもずっと僕はここを動いていない。


「本当に今日なのか、スミト先生」


「そのはずなんだよ」


 こっちに来てから30日後。11月20日。午後9時。QFRONTビルの前。

 メモも取ってオルドネス公と確かめあったから間違いない。


 スマホの時計はそろそろ4時に迫っている。始発がそろそろ動き出すようで、夜明かしした人達が駅の周りにまばらに集まってきていた。


 衛人君が眠そうに欠伸をする。

 結局夜明けまで待ったけど、オルドネス公は現れなかった。


 その次の日も。その次の日も。

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