第19話 私があなたにお仕えするまで・上
今回はセリエ視点となります
◆
……最初の記憶は、戦場で泥水をすすっていたこと。
親の記憶はない。
戦争で死んでしまったのか、魔獣に食い殺されてしまったのか、何も覚えていない。小さいころは、いつもおなかをすかせていて、誰かに食べ物を恵んでもらっていた。
何日も食べるものが無くて木の下でうずくまっていたのを、旦那様が拾ってくださった。
あの時に頂いた塩辛いハムとチーズと挟んだパンの味は今も忘れられない。
旦那様がどういう意図で私を拾ってくれたのかは、今となっては分からない。死にかけの犬の獣人なんて何の役に立つと思われたのだろう。
よくわからないけど、私はその日から旦那様のサヴォア家の下働きになった。
水を運んだり、屋敷を掃除したり、薪を割ったり、一日中働いた。
でも辛くはなかった。飢えることと独りぼっちになることに比べれば、そのくらいなんでもないことだった。
◆
旦那様のサヴォア家はガルフブルグ王国の4大公の一つ、ルノアール公につかえる下級貴族。
旦那様は高い忠誠心と戦場での指揮能力で公の信頼を得ておられた。
旦那様はいつも穏やかな方で、私を見るといつも笑ってくださった。
背の高い方で、笑いながら私を見下ろして頭を撫でてくださる時が好きだった。
奥様は物静かで美しく、いつも落ち着いた方だった。戦が続いて旦那様が屋敷を長く空けられても、屋敷にはいつも平和な空気が流れていた。
お二人には一人娘がおられた。
ユーカ・エリトレア・サヴォア様。使用人の中で年が一番近かったせいか、私とお嬢様はすぐ仲良くなった。
私にスロットの力があることが分かったのは12歳の時の事。
スロットホルダーにしか反応しないというスロットシートに私の能力が浮かんだ。
スロットシートはスロットという魔法や武器の特殊な才能を持つものが持った時にだけ、持ち主のスロットを教えてくれる紙のような魔道具だ。
私は嬉しかった。これでもっと旦那様とサヴォアの家のお役に立てる。
スロットを持つ者は少なくないが、探索者になったり戦場に出れるほどのスロットを持つものは200人に一人程度だ。私にその力が眠っていたことを感謝した。
攻防のスロットであれば旦那様の近くでお守りできたのだけど、私に与えられたのは魔法スロット、特殊スロット、回復スロットで旦那様の盾になれるようなものではなかった。
「神が与えてくださった力だ。感謝するんだぞ」
私は背が伸びて、旦那様からはもう見下ろされるようなことはなかったけど、変わらず頭を撫でてくださった。
旦那様のおそばにお仕えし、あちこちの戦いに参加した。
私にとっては平穏な時期だった。たとえ戦場であったとしても。
◆
あるとき、旦那様が指揮を執った戦争が痛み分けになった。
それ自体は珍しくはない。和平が結ばれ、いくばくかの領地と賠償金のやりとりがあった。
運命が一転したのはその直後。その戦争にはとある4大公に近い家の子弟が参戦していた。その者が討ち死にしたのだ。
取るに足らない局地戦のはずが、それで話が大きくなった。
幸せが崩れ去るのは一瞬だった。
その貴族が王に訴え出た。
ややこしい、私にはうかがい知れない力学が働いたらしく、旦那様は、ガルフブルグの未来を担う有能の士を愚かな采配で落命させた、という汚名を着せられた。
旦那様には死罪が科され、サヴォア家には多額の、私の見たこともない額の賠償金が課された。
明らかに異常な措置だった。
ルノアール公も旦那様のことを惜しんで奔走してくださったそうだが、最終的には王の言葉には逆らうことはできない。
賠償金のために家屋敷も領地も売られたがそれでも足りない。その場合は直系の血縁が奴隷に落とされる。
奥様とお嬢様。しかし二人を売ったところで賠償金には到底満たなかった。
あとから風の噂で聞いた。その貴族が言っていたこと。
妻と子が奴隷にされても何もできず、ただ処刑される苦しみを味わわせたかった、と。
旦那様は今まで見たこともない悲しい顔をされて刑場に連れていかれた。
最後は堂々とされていたがその胸の内はいかばかりだっただろうか。
◆
奥様とお嬢様が売られる日、私は奴隷商に私も奴隷として売るように申し出た。ただし一緒に、と。
私は自分の価値を分かっている。スロット持ち、しかも複数のスロットを持つ魔法使いは奴隷商にとっては高額な商品だ。
ただでそんな「商品」が増えるのだ。悪い話ではなかったはずだった。
でも3人一緒は拒否された。どちらかと行かなければいけない。でも……どちらかと、なんて選べるはずもなかった。
「ここまでしてくれなくてもいいのに……あなたは自由になれるのよ?」
私を見て、奥様が悲しげな顔で言われた。
でも。私が今いるのも、スロット使いとして一人前になれたのもすべてはサヴォア家があってこそなのだ。
旦那様に拾われなければ、私はあの木の下で誰にも知られないまま死んでいた。だから私が最後までお仕えするのは当然だ。
お二人を見捨てて、独りぼっちで生きていって……それになんの意味があるだろう。
「……ありがとう」
長い沈黙があって、奥様が私を抱き寄せてくださった。
「セリエ、この子と一緒に行ってあげて」
まっすぐな目で私を見て、奥様は言われた。
「私は大丈夫。でもこの子はまだ子供よ。
あなたは強い魔法使い。この子を守ってあげて。サヴォアの血を引く最後の子よ。頼むわね、セリエ」
奥様がいつも通りの落ち着いた目で私を見つめる。
永遠のお別れかもしれない。一秒でも長く、少しでも確かに奥様の顔を目に焼き付ける。
「……命に代えましても……お守りします」
お別れなんてしたくなかった。泣き叫びたかった。
でも私がそんなことをしてしまえば奥様の心を乱すだけだ。必死で涙をこらえて、いつも通りにお返事をした。
「ありがとう、セリエ」
「……時間だ」
奴隷商が言って奥様の肩に手を置いた。
「ユーカ、あなたは強い子。サヴォアの血を引く子として誇り高く生きてね。
一人にしてごめんなさい。許してね」
奥様がお嬢様をしっかり抱きしめて、向きなおった。
「さようなら」
「お母さま!どこへ行くの、お母さま!置いていかないで!」
お嬢様の声は今も耳にこびりついている。私はただ自分の耳をふさぐしかできなかった。あの時のような声を二度と上げさせはしない。
奥様は毅然として振り返らず行かれた。最後まで取り乱したりはされなかった。
……恐ろしくなかったはずはないのに。その先に待ち受けてるものがわからなかったはずはないのに。
誇り高い、永遠にお仕えするわが主。
奥様のその後はわからない。色々と噂を集めてみたけれど、ついぞわからなかった。
◆
私を買ったアルドという奴隷商は割と善人だった。
奴隷商というとイメージが悪いが、奴隷商の多くは|制約(コンストレイン)の能力を持っているものであって、必ずしも人でなし、というわけではない。
彼は私たちの売値を高くし、代わりに貸出値を低く、供託金を高く設定してくれた。
奴隷は、貸出されているうちに稼いだお金で自分を買い戻すことができる。貸出値が低ければ利用者も増え、自分を買い戻す可能性も高くなる。
買値が安ければ誰かに買われて、ばらばらにされてしまうかもしれないが高値の奴隷は手が出しにくい。
ただ、貸出値が安い、ということはつらいこともあった。
ガルフブルグでは探索すべき迷宮や遺跡は少なくなっていて、探索者がスロット使いを「正規の」目的のために雇うことは減ってきていた。
アルドは悪くない人間だったがこればかりはどうにもならない。
せめて優しく抱いてくれれば耐えられるけれど、娼館よりは安上がりとばかりに、私をそういう目的で借りる者にそんな慈悲は期待できない。
5人組に貸し出されて、四肢を押さえつけられて2日間昼夜問わず嬲られたときは涙が出た。
生き地獄だったが……私が死ねば次はお嬢様の番になってしまう。絶対に死ぬわけにはいかない。
薄汚れた私をお嬢様が髪をなでてくださって、ごめんね、と謝りながら一緒に泣いてくださった。お優しいわが主、必ずやお守りします。
少しずつ貯まっていく解放への積立金だけが支えだった。
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