第7話 渋谷スクランブル交差点で探索者になることを決意する。
「まあ飲もう」
アーロンさんが戻ってくるとすぐに店員さんらしき男性が皿と瓶とグラスを運んできた。
机の上におかれたのは、見慣れたハムを厚く切って焼いたハムステーキと野菜のグリル。それに米のようなものにトマトソースっぽい赤いソースをかけたもの。そして赤ワインのボトルだった。
僕はあまり詳しくないけど、ラベルから見るにたぶんフランスかどこかのワインだろう。
グラスになみなみと注がれたワインをアーロンさんとリチャードが一気に飲み干した。レインさんは舐めるように少しずつ飲んでいる。僕も少しワインを口に含んだ。
「おいおい、スミト。ちょっとしけてんじゃねえのか?グッといこうや」
「お前さんの世界のというか、こっちの食べ物はうまいな」
このハムもワインも何処かのお店から勝手に持ち出してきたもんなんだろう。
泥棒、といいたいところだけど、本当にこの世界に元の住人が誰もいないんだからそれを咎める人もいない。そもそも僕も車泥棒だし。
ハムを一口かじるけど、これは僕にとっては食べなれた味だ。
ハムよりも、野菜をグリルにしたもののほうが興味深い。見たことのない葉野菜や巨大な玉ねぎのようなものだ。ハーブが効いて、嗅いだことがないけど、いいにおいがする。
生鮮食品はガルフブルグとやらから持ち込んでいる、ということなのだろう。
コメらしきものにかけられた赤いソースもトマトじゃなくて、むしろ少し甘みのある、味わったことのない味だった。
コメっぽいものも、さくっとした歯ごたえで、見た目は似ているけど、米じゃない。粒粒の芋みたいな感じだ。
しかし……異世界の味を渋谷で体験できるとは思わなかった。
「改めて自己紹介させてもらう。
俺はアーロン・フレッチャー。探索者だ。助けてもらって感謝する」
「俺はリチャード・メルケス。よろしくな」
「レイン・ラフェイントール、アーロン様の奴隷としてお仕え致しております。探索者です」
「だから、奴隷だなんて思うなといってるだろうが」
「ですが立場はわきまえませんと」
「まあいいじゃねぇか。お二人のアツアツぶりは分かったからよ」
リチャードが突っ込みを入れる。
奴隷がいる世界なのか。奴隷といえば、首輪とか手枷とかをつけられて……という悲惨なイメージを想像する。
そういう意味ではレインさんは奴隷って感じではないけど、立場的にはそういうことらしい。
「すまないな。話がそれた。
俺たちは探索者だ。迷宮とか古代の廃墟とか、そういうのに潜って古代の遺物とか宝物を取ってきたり、魔獣を狩ったりする、そういう仕事だ。
いまはこの塔の廃墟を探索中、ってわけさ」
やはりゲームとかで見かける冒険者的なもの、という感じで正しいようだ。
「僕は風戸澄人。よくわからないけど、この世界の住人です。
というかこの街は東京っていうんですよ。ここは渋谷駅前です」
「ほーう。これはシブヤエキマエってよむんだな」
駅の看板を指さして言う。
アーロンさんが興味深そうに文字を見ながら聞いてきた……ちょっと違ってる気もするけどまあいいか。
「おっと忘れる前に。これは今回の討伐でのお前の取り分だ」
机の上に紙束が置かれる。数字とよくわからない文様とハンコとサインが入っていた。
「2000エキュトの証文だ。アラクネのコアクリスタルの売値の4分の3だ」
「二つ質問していいですか?」
「なんでも聞いてくれていいぞ」
アーロンさんがワインを再びグラスになみなみとつぎ足しながら言う。
ついでに僕のグラスにも注いでくれた。
「まず、コアクリスタルって何です?」
「魔獣の核だな。あの透明な光の玉で、魔獣を倒すとあれが残される。
ガルフブルグではあれは魔力の源として使われているんでな。あれを取って帰ってくるのが俺たち探索者の主な飯の種だな」
魔物を狩って、それをエネルギー源にしているってことだろうか。
地球でも油を取るために動物を狩っていたとか、肉を取るために野生動物を狩っていたとかあるわけで、それに近いものと理解した。
「次に、2000エキュトってなんです?
お金なのはわかるんですけど、それはどのくらいの価値があるんですか」
一口に2000エキュトといわれても、それが高いのか高くないのかは分からない。
「どのくらいの価値、といわれてもなぁ」
「じゃあ、2000エキュトでこの辺りに宿を取って食事して、ってしたらどのくらい過ごせますか?」
こういう時は例えを使う方が話が早い。
「そうだな……20日くらいだな」
渋谷でホテル住まいして、3食をオール外食で済ませたら……1日15,000円と考えれば20日で30万円くらいか。1エキュト=150円ってところかな。
時給30万円といえば恐ろしく割がいいけど、命がけで戦った報酬としては安いような気もするし。どのくらいが相場なんだろうか。
「俺たちからすればここは見知らぬ異世界ではあるが、新天地でもある。ガルフブルグの迷宮や遺跡はあらかた攻略されちまってるからな。
正直言って、俺たち探索者としては今後どう生きるか、いろいろ難しかったんでな。そういう意味ではこの世界は有り難いよ」
「一人で取り残された僕としては何が何だかわからないんですけどね」
彼らから見れば東京は異世界なんだよな。
でも、よく考えれば僕にとってもそうだ。渋谷のスクランブル交差点をエルフとかドワーフとか獣人が闊歩し、自分以外この世界の人がいない東京。昨日までとは全然違う。僕にとっても十分に異世界だ。
異世界か……なんかゲームの中にいる気がして現実感がない。色々忘れたい気分になって僕もグラスをあおった。
◆
「これからどうする?」
適度に酒も回り皿も大体空いてきた。僕も酔いが回って頭がぼうっとしている。
レインさんはアーロンさんにもたれかかってうつらうつらと船をこぎはじめた。リチャードとアーロンさんはまだ元気だ。
「どうする、と言われても……帰るあてもないわけですし。どうしましょうかね」
正直言って戻る当てがまったくない。それどころか何が何だかわからない。今も夢だったらいいのに、と頭の隅で思っている。
この状況については、あの店の少年が唯一の手掛かりだけど、どこでどう会えるんだか見当もつかない。
戻りたいのか、と言われると何とも言えないけど、此処に居たいかと言われてもそれはそれでかなり困る。
「戻る当てがないんなら、じゃあお前、ここで探索者になれ」
「なんか飛躍してません?」
「お前は強い。お前が戦ってくれれば、探索や魔獣の討伐がより効率よくすすむだろう。
そうすれば死んだり怪我をする人間も減るかもしれん
それに、どうせ帰る当てもないんだろうが?」
「帰る当てがないってはっきりいいますねぇ。まあそうなんですけど」
当てがないと連呼されると流石にしんどい気分になる。
「でもそんな無茶せずに、例えばギルドの書記とかそういうのをやるとかいうのも合うと思うんですけど」
「バカなことをいうな。お前には力がある。強いものには戦う義務があると俺は思うぞ。
それが世界をいい方向に向けるんだ」
そう言ってアーロンさんが一口グラスに口をつける。
「世界が平和で争いなんてものが無ければそりゃいいと思うがな。
だがこの世界はそうじゃない。誰かが戦わないと戦う力がないものが泣くことになる。
神からスロットという才能を与えられた以上はそうするべきだと俺は思うがな」
なんとも志の高い考えだ。いわゆる冒険者ってのはもっと利己的なイメージだった。
「アーロン様、素敵です」
「当然のことだろう」
レインさんが酔ってとろんとした目でアーロンさんを見つめる
心なしかラブ光線が出ているように見えるが、当然のことを言っただけ、という風情のアーロンさんは気にする気もないようだ。
立場的には奴隷らしいけど、やはりあんまりそうは見えない。どっちかというと恋する女の子と、気持ちに気付かない堅物男のカップルという感じだ。
「バカなことを言うなってのは分かるがね。いちいちかてぇよ、アーロンの旦那」
黙って聞いていたリチャードがグラスをおいてこっちを指さした。
「スミト、お前だって男だろうが。この世界で成り上がるんなら強さ、これがすべてよ。
強くなって左手には金貨、右手にはかわいこちゃん、男なら目指すのはそれだろ。
お前くらいに強けりゃ選り取り見取りだぜ?書記とかやってる場合じゃねえよ」
こっちはカネと女の子、というある意味とても冒険者っぽい発言だ。
かなりキャラが違うっぽいけど、よくこの二人がパーティとして成立しているもんだと感心する。
「どうしましょうかねぇ」
「まあ考えておけ。ただ、一ついっておく。世界も人生も勝手に良くはなったりはしない。
良くするんだ、自分でな」
黙って事態が好転するのを待っていてもだめ、ということか。
そういえば、あの少年にいったことを思い出した。僕は世界を少しでも良くしたいと思ってた。
前にはできなかった、世界を少し良くすること。ここでならできるかもしれない。
……それに理想論は置いておくとしても。もし戻れないんなら、この世界でしばらく生きていくなら食い扶持くらいは稼がないといけないか。
もうどうにでもなれだ。
「やります。僕も探索者ってのになってみます」
「よし、いいぞスミト。よく決断した。一緒に戦って世界に名前を刻もうぜ」
「これからよろしくお願いします、スミト様」
「皆!聞いてくれ!新しい仲間だ!カザマスミトだ、仲良くしてやってくれ!」
アーロンさんが立ち上がってグラスを掲げた。
周りで飲んでいた人、エルフ、ドワーフ、獣人その他もろもろの人たちが大きな歓声を上げてグラスを掲げてくれる。
「おう、兄ちゃん、よろしくな」
僕より背が小さいドワーフが僕の背中をバチンと叩く。痛い。
「お前、変な服着てるな?どこの出身だ?」
オオカミのような大きめの耳としっぽをはやした背の高い獣人が酒のグラスを持って僕と肩を組んできた。僕の世界ではスーツは標準装備です。
「ねえボク、ちょっと細すぎるんじゃないのぉ?大丈夫かしら?」
お姉様っぽい雰囲気のエルフかハーフエルフが僕を見つめてくる。
見た目は僕より少し上って感じだけど、実際の年齢はどうかはわからない。ちょっとはだけた胸元からやわらかい双丘がのぞいていて、目のやり場に困る。
「探索者、カザマスミトに乾杯だ。これからもよろしく頼む」
アーロンさんがまた僕のグラスをワインで満たした。
……なるほど。勤務地は渋谷、肉体労働系、人のために働ける、ノルマは無いけど頑張れば稼げる、か。あの少年は嘘は言ってなかった。
ただ肝心なところはぼやかしていた、というだけで。
もしもう一度会う機会があれば、文句の一つでもいうことにしよう。
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