第5話 だれもいない新宿で途方に暮れる。

 いつもと変わらない東京。

 でも、あれ、ちょっと待て。確かさっきまで終電のことを考えていたはずだ。あわてて腕時計を見ても夜1時を指している。

 なのに、なんで太陽が出てるんだろう?おかしい。


 しかし、周りを改めてみてみると、それ以上におかしなことがあった。最初は気づかなかったけど、すぐに気づいた。

 人がだれもいない。目の前の車も動いていない。

 音もしない。車のエンジン音も、音楽も、人の話し声も、歩行者用の信号の電子音も。


 日の照り方から推測するに夕方5時くらいだ。そもそも深夜であっても人が居ないなんてことがない新宿で、この時間に誰も人が居ないなんてことはあり得ない。

 路上の車、デパートのショウウインドウ、信号機、街路樹、車道の車、何もかもがそのままで、まるで人間だけを削除したかのようだった。


 見た目はいつもの新宿なのに、動く者もおらず、音もしない。

 あまりにも奇妙な光景。巨大な伊勢丹やビル群が急に寒々しく見えた。まるで深い谷底に置き去りにされたようだ。


「これは……どういうこと?」


 1人で呆然としている僕の横で、アーロン氏たちは安どのため息をついている。


「助かった。地上に出ればとりあえず一安心だ」

「しかし旦那、地下にいすぎたから全然今の場所が分かんねぇぜ。どうやって帰るんだ?」

「一時はどうなるかと思いましたけど、無事でよかったです」


 そっちは安心しているようだけど、僕はもう現状がさっぱりわからない。これは夢なのか?


「えーと、アーロンさん?」

「なんだ?」


 僕が呼びかけるとアーロン氏がこっちを向いてくれた。


「ちょっと僕をひっぱたいてくれません?」

「何言ってんだ?」


「いや、これ夢かな、と思って」


 こういう時は一発叩いてもらうのが定番だろう。


「よくわからんな。叩けというなら叩くが……ほんとにいいのか?」

「いいです。死なない程度にお願いします」


 怪訝そうな顔をしつつアーロンさんが手をあげる。


「本当にいいのか?」

「いいです」


「行くぞ?」

「いつでもどうぞ」


 夢なら覚めてほしい。現実なら明確に現実と確定してほしい。

 一瞬の後に頬に強烈な衝撃が走り、目の前に星が飛び散った。


「げほぉ!!」


 吹き飛ばされ僕は地面に転がった。叩かれたところと、倒れてアスファルトに叩きつけられたところ、どちらもとても痛い。

 火をつけられたように痛む頬を押さえつつ、どうやら夢じゃなさそうだ、と認めざるを得なかった。


「おい、大丈夫かよ?旦那、もう少し手加減しろって」


 リチャード氏が手を貸してくれて、立ち上がった。


「どうしたんだ、おい。おかしな奴だな。叩かれたいなんて聞いたことないぜ?」

「いや、すんません。ちょっと考えさせてください」


 何を言っているのかわからない、という顔でリチャード氏が僕を見る。

 まだ頬と地面に擦った肘や膝が痛む。僕が持っているこの変な銃剣も、さっき会ったモンスターも、誰も居ない新宿も夢じゃないってことか。

 でも、疑問は次に移る。これが現実だとして、今なにがおきてるんだろう?


 頭を抱えている僕を無視して、3人が何か話している。


「なんとかディグレアまで帰らないとな」

「だがずっと地下を走ってきたからな、どこにいるんだか分かんねぇぜ?」

「あの線路までいければ帰れると思うんですけど……」


「なあ、スミト?お前はこの辺に詳しいようだが。

この辺で……そうだな、鉱山の荷運び車トロッコの線路みたいなのが敷いてある橋の上をしらないか?」


 アーロンさんが聞いてきた。

 橋の上の線路……何のことかと考えて何となくわかった。多分山手線の高架だ。


「わかりますけど?」

「それは助かる。そこまで案内してくれないか?お前もディグレアから来たんだろう?一度帰らないか?」


「ディグレア?」

「お前もガルフブルグの探索者だろう?ソロは危ないし一度戻るのも悪くないと思うぜ」


 ガルフブルグ?


「ガルフブルグってなんですか?」

「お前もガルフブルグから来た探索者だろ?」


「僕はここの住人ですよ、正確には新宿じゃなくて立川ですけど。ガルフブルグって何です?」


 アーロン氏と僕は頭に?マークを付けたままお互い見つめあう。

 しばらく見つめ合ったあと、アーロンさんが沈黙を破った。


「……もしかして、いや、まさか……お前……この塔の廃墟の元の住人か?」

「元の住人てなんですか?というか一体どういうことなんです。貴方たちは誰?ガルフブルグって何です?」


 僕の質問にアーロンさんが口元を押さえて何か考え込んだ。しばらく沈黙が続き、アーロンさんが口を開いた。


「なるほど。そういうことか。信じられないことだが、なんとなくわかったよ。

まあ話せば長くなる。俺たちと一緒にディグレアまで行こう。悪いようにはしない。それは保証する」


 保証する、と言われても、初対面の人から言われても何の保証にもならない。


「聞け。このあたりには人はいない。さっきみたいな魔獣が出てくることはあるがな。

さっきのを見る限りお前は強いとは思うが、1人では生き延びられんぞ」


 確かにあたりには人の気配はない。さっきから僕らの話声と風の音と鳥の鳴き声くらいしかしない。

 またあんなのが出てきたら、次は勝てるかっていわれるとわからない。というか、あんなのがまた現れるって?


「お前は俺たちを助けてくれた。この恩は必ず返す。一緒に来るんだ」

「どこへ行くんですか?」


「ディグレアだ。俺たち探索者の拠点になっている。

犬の像があるところだ。お前が本当にこの世界に元からいたんなら、こういう字を書いた建物がある場所だな。

わかるか?」


 地面に剣先で書かれたのは、渋谷、STARBUCKS、だった。渋谷、スターバックス、そして犬の像か。

 ハチ公前、スクランブル交差点前のスターバックス。


「俺たちはそこから線路伝いに此処まで歩いたんだ。とりあえず線路まで行けば帰れる。線路まで案内してくれ」


 なるほど。

 彼らは渋谷から新宿まで山手線の線路を歩いてきたわけだ。道路を歩くよりは道に迷いにくいだろう。


 何が何だかわからないけど、ついていく以外に選択の余地はないようだ。

 でも渋谷まで歩くのはできれば避けたい。前に歩いたことがあるけど、かなり遠かった記憶がある。


「じゃあ僕が送っていきますよ。というか渋谷まで歩くのなんてめんどくさいですし」


 線路を歩いて渋谷までなんて面倒なことをしなくても、周りを見ればそこらに誰も乗っていない車があるのだ。オーナーには申し訳ないがちょっと拝借しよう。


 ただ、問題は車が動くんだろうか、ということだ。

 手近なハイブリッド車のドアを開けてみると、最近はやりのスマートキーの車だ。試しにエンジンスタートボタンを押してみるがエンジンはかからない。

 やっぱ無理か。キーがついてる車ならいけるか?と思ったら突然頭の中にメッセージが浮かんだ。文字を直接頭の中に送り込まれたかのような感覚だ。


第三階層グレードスリー 管理者アドミニストレーターの権限が行使できます。使用しますか?

>YES/NO


 なんだこりゃ?

 確か、管理者アドミニストレーターは勝手にスロット連結されて取ったスキルだったと思うけど。


「……YESで」


 答えると、体からふっと力が抜けるような感覚がした。

 そして一瞬の間をおいてエンジンが始動した。液晶のインパネにスピードメーターが浮き上がり、オーディオから軽快にポップスが流れ始める。

 何が何だかわからないけど、これが管理者アドミニストレーターとやらの効果なんだろうか。


 まあでも動くならそれに越したことはない。あまりにもあらゆるものが非現実的すぎて、この位はまあいいや、という気分になる。

 ドアを開けてアーロンさんたちに呼びかけた。


「乗ってください」

「なんだ、これ?これはお前の魔法の道具か何かか?」


「乗り物ですよ。馬車みたいなもんです」


 キーもなしに動かせる理由は僕にもよくわからないけど。


「いいから乗って。シートベルト締めて」

「しーとべると?なんだ、それは?」


「その席の後ろにあるでしょ。それを引っ張ってここにつなぐんです」


 運転席側で見本を見せる。この場でシートベルトを締めましょう、なんて交通ルールを守る意味があるのかは分からないけど。

 助手席にはアーロン氏が乗ってくるけど、背が大きいので窮屈そうだ。後ろにはリチャード氏が乗り込んでくる。


「私も乗ってよろしいんでしょうか?」


 レイン嬢が意味が分からない質問をしてくる。


「乗っちゃダメな理由なんてあります?」

「しかしあたしは……」


「いいから早く乗れ。スミトがいいと言ってくれているだろう」

「はい……では失礼します」


 レイン嬢が乗り込んできた。オーディオはうるさかったのでボリュームを下げる。

 カーナビのボタンを押したが反応がなかった。


>>第三階層グレードスリーの権限範囲外です


 またもや頭の中にメッセージが浮かぶ。よく分からないけど使えないってことらしい。

 まあいい。都心を車で走ったことはあまりないけど、青看板を見ながら行けば渋谷までなら何とかなるだろう。


「全員乗りましたね?じゃあ行きます」


 少し不安だったけど、アクセルを踏むと普段通り車が発進した。

 信号もなく、まわりの車は止まったままだ。邪魔な車をすり抜けるようにして運転する。


「おい、なんだこりゃ。どうやって動いてるんだ?魔法か?」


 リチャード氏がバックシートから驚いたような声を上げる。


「すごいな。今まで乗ったどんな馬車よりも滑らかだ」

「伝え聞く魔法のじゅうたんのようですね」


 この場合車が動いている、というべきなのか。あの管理者アドミニストレーターとかいうスキルで動いているんなら魔法的な何かで動いている、というべきだろうか。

 誰もいない新宿の街を、どこの人とも知れない人を乗せて渋谷に向かって車を走らせている。まだ頭がこんがらがったままだった。


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