三十七日目

朝。雨音で目が覚めた。

とは言っても、そんな大ぶりの雨ではなく、しとしとと言ったところだろうか?

にしても鮮明に雨の音が聞こえすぎている。

俺は不審に思い、部屋を見渡した。すると、ベランダの窓が開けっ放しだった。


「あ! やべっ……」


いつ死神が帰ってきてもいいようにと思い、開けていたのだ。


「今度から雨対策も考えないとな……」


幸いにも外しか濡れておらず、中までは水が浸透していなかった。


朝一に慌てたせいで疲れがどっと出てくる。

こんな憂鬱な日は仕事を休みたくなるが、理性を保ち、会社に行く支度をする。


「おはようございます……」


憂鬱の気分のまま出社したせいか、反動で体が重く感じ、体調不良に近いものを感じる。

急いで常備薬を飲んで何とか持ちこたえたが、内心早退を考えてしまっていた。


(ただでさえ迷惑かけてるのに早退したらダメだよな……)


早速仕事に取り掛かろうとした瞬間だった。後ろから女性社員の話し声が聞こえてきた。


「ねぇねぇ聞いた? 当馬さんの話! 昨日新人の人と帰ってたみたいじゃない!?」


「聞いた聞いたー! あの当馬さんが男の人と帰るなんて珍しいよね!」


(あの当馬さんってなんだよ。あの当馬さんって……)


「しかもその新人の人ってここの部署の人らしくて……どこかな? あ! あの人じゃない!? 後ろ姿の!」


「え!? ほんとに!? うわー真面目そうな人! お似合いじゃん!」


お似合いと言われ不覚にも少しドキッとした。

あの当馬さんと俺が!? お似合い!?

あんな美人と釣り合うはずがないと思っていたからお似合いという言葉にすごく引っかかった。


眼科行くのをおすすめしたかったが、とりあえず俺はもう少しだけ余韻に浸った。


「おはよう。どう?仕事の方は大丈夫?」


「うわぁっ!?」


突然声をかけられ椅子ごと倒れてしまった。

当馬さんだ。何かとよく見かける気がするなぁ……暇って言ったら怒られそうだから何も言わないでおこう。


「だ、大丈夫??」


「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」


さっきの噂話が気になって当馬さんを直視出来なかった。

いや? 待てよ? これ逆に脈アリに見えるんでは!?

そんなことを考えていたが、ふと我に返る。


「仕事の方は大丈夫そうです。ちょっと雨で憂鬱な気分になっていただけですので」


「そう? それならいいのだけれど……」


少し照れくさそうにして顔を隠す。そんな照れるようなこと言ったっけ? と思ったが、もしかしたら当馬さんはさっきの噂話を知っているのかもしれない。だから俺に対してこんなふうなのだろうか?


でも今は死神のことが気になりすぎてそれどころではなくなっていた。


(死神……ちゃんと飯食えてるかな……なんで帰ってこないんだ……)


もんもんと考えながら仕事をこなす。

今日の分の仕事が終わる頃には日も暮れ、先輩方もぞろぞろと帰宅している頃だった。


俺も帰りの支度をしていると当馬さんから話しかけられた。


「あ、ちょっと待って。帰る前にお願いがあるのだけれど……」


「どうしましたか?」


「今日の帰り付き合って欲しい場所があるの!」


どうやらずっと前にオープンしたアンティーク屋さんに行きたかったが、なかなか仕事が終わらずいつも閉店しているのだそう。今日は早く仕事が終わる日だったが、いざ一人で行こうとなると寂しかったらしい。


でも、今日こそ死神が帰ってきてるかもしれない。

その希望が捨てきれずにいた。


「いや、でもちょっと難しいです……すみません」


「そこをなんとかお願いできないかしら! ほんとに今日しかチャンスはないの! お願い!」


そこまでお願いされたら逆に断るのも悪い気がした。

今日だけ……なら。


「分かりました。今回だけですからね?」


「ありがとう! ずっと欲しかったものがあるのよね! ちょっとまっててね! 支度してくるわ」


そう言うと当馬さんはカバンを取りに戻り、数分後息を切らしながら戻ってきた。


「それじゃ行きましょうか!」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「これ可愛い〜! あ、これも素敵ね! ねぇねぇ! どっちがいいと思うかしら?」


「え? あーうーん……じゃあこっちの黒の方が俺は好きです」


「え? そう? じゃあ黒い方にしようかしら! ありがとう!今日ずっとメモ入れが欲しくて! 助かったわ! それじゃあお会計してくるわね」


そう言うと当馬さんは嬉しそうに会計に向かった。


会計が済むまで暇だったので少しだけ店内をうろつくことにした。


(男一人だとこういうところなかなか行かないから新鮮だな。)


職場でも使いやすそうなものはないかと思い、色々漁っていたらマグカップを見つけた。


(これって……)


前に死神が割ってしまったコップを思い出した。あれはガラス製だったが、これはプラスチックで出来ており、割れる心配はない。柄は、白地に黒猫が一匹座った姿が描かれているだけでシンプルで使い易い作りだった。


(これなら死神も喜んでくれるかな?)


「残り二点か……」


俺が悩んでいると後ろから会計を終えた当馬さんが話しかけてきた。


「へー! それ可愛いじゃない。いいと思うわよ。買うの?」


「うーん。まだちょっと悩んでまして……」


「そうなの? あれ? でもこれ残り少ないじゃないの! これも出会いだと思うわよ。これを逃したらもう二度と出会えないかもしれない」


そんなことを言われたら買うしかなくなってくるじゃないか……

俺は決心して、黒猫が書いてあるマグカップを二個買った。


いつ帰ってきてもいいように。

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