十三日目
緊張してなかなか寝られなかった。
今日、俺は退職届を提出しに行こうと決断した。
本当は絶対に行きたくない。もう二度とあの人たちと顔を合わせたくなかった。
これで最後と思うと自然と勇気が出てくる。
俺はカバンに入った退職届を何度も確認すると家を出る支度をする。
「いってきます」
会社へと続く通勤路が曲がりくねっている錯覚(さっかく)に陥(おちい)る。
俺の精神が会社に行きたくない故にこんな幻覚を見せているのだろうか。
会社に着いた俺は約束した場所に向かう。昨日、係長に連絡しそこで退職届を渡す手筈になっている。
着いた時には既に係長が椅子に座って待っていた。
「お待たせして申し訳ございません。今お時間よろしいでしょうか?」
「あー全然大丈夫。座って座って」
目の前の椅子に座るように促され、俺は対面するように座った。
電話で会社を辞めることを伝えたいと予め相談していた。何かあったら相談してと言われていたが、初めの相談が辞職とは悲しい話だ。
係長は神妙(しんみょう)な面持(おもも)ちで口を開いた。
「昨日急に電話もらって……」
「あ……遅くの時間にすみません。休まれていましたよね」
「あーいや別に構わないんだけど……なんで辞めたいと思ったの?」
俺は言葉につっかえた。なんて言えばいいんだろうか?
いじめを受けました。だと我慢しろって言われるだろうし
もう精神的に辛くてと言ったら心が弱いと言われるのかな?
俺は言いかけて辞める。言葉を飲み込んで胸の中が言葉で詰まって苦しい。
やっとの事で言葉を絞り出した。
「本日をもって辞めさせて頂きたいと思います」
「……ゆっくりでいいから理由を教えて貰えないかな?」
「実は……」
いじめを受けていたこと。
病院にも行ったらストレスだと診断されたこと。
毎日会社に行くことを考えたら鬱になること。
事細かに説明をした。説明する途中に思い出し、胸が苦しくなり涙が込み上げてきた。
「そうか……気づいてあげられなくてごめんな。私の不注意だ。本当にすまないことをした」
係長は深々と頭を下げて謝る。係長は別に悪くない。俺が早めに相談しなかったせいだ……
「いえ……俺が相談しなかったのが悪いので係長は悪くありません」
「とはいえな……私は君に過度な期待をしていたのかもしれないな」
「え?」
突然なんのことかわからず係長の顔を見上げると、優しく泣きそうな顔で俺を見つめていた。
目頭が熱くなるのを感じ、目をそらす。
「私は君がここに来た時からこの人なら私の求めている働きをしてくれる! と感じていたのだ。実際に君は私の想像以上の働きをして何度も驚かされたよ。その都度君に私の仕事を手伝って欲しいと思っていてね……」
「君の書類をまとめる力は才能だと思う。私も君の書類を何度か読ませてもらって感動したよ。読みやすくまとめてある文章。大事な箇所にマーカーを色分けをしたり、わかりにくい箇所は付箋で事細かに説明が書いてある……すごく几帳面で。私も見習いたいと思っていたよ……」
「………」
「一緒に仕事したかったな……君から学ぶことも多いだろうに……もうちょっとだけ残ることを前向きに考えてくれないか? 私は君の仕事がしたい…他の人ではダメなんだ。几帳面で真面目な君と」
係長は泣きながら俺の肩を優しく叩いた。涙が溢れてくる。
「係長……」
「もうちょっと真剣に考えて欲しい……」
係長の背中は弱々しく。俺は係長を攻めた言い方をしてしまったのかと思い、後悔をしていた。
カバンに手を伸ばすとファイルの先で指を刺した。チクッとした痛みで我に返り、封筒を見つめる。
そこには渡せていない退職届が綺麗にファイリングしたままカバンの中に入っていた。
やばい。忘れてた。
今日はもう時間も時間なので係長は取り合ってくれないらしく。
俺はその日仕事をしに来た訳では無いので、会社の人に見つからないようにこっそり裏口から会社をあとにする。
家に帰ると係長に電話をし、明日渡したいものがあること。何時が都合いいかを聞いた。
明日会う予約を取り付けるとひと安心し、カバンとスーツを脱ぎ捨てる。
「おかえりー! 今日帰ってくるのはやいね? どうしたの?」
「あー……ただいま……なぁ死神に言いたいことがあるんだけど……聞いてくれるか?」
俺は昨日死神に言われたことをよく考えて、退職することにしたことと、今日退職届を出そうとしたが、話が長引いてしまい渡せなかったことを話した。
「また明日。出しに行こうと思う。今度はしっかり確実に……」
「……うん! それがいいね! じゃあ今日のご飯は勝負に勝てるようにカツ丼にしちゃおうか!」
台所の上に豚肉と卵が並べられていた。これを食べて明日頑張ろう。
完成したカツ丼はこれみよがしにてんこ盛りだった。俺はヤケ食いして明日のための準備をした。
次は絶対受け取ってもらうんだ。
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