朝なんて来なければいい
チュンチュンと雀の声が朝を告げる。
カーテンからはうっすらと日が透け、今日も一日が始まるんだと自覚し絶望する。
目覚め、体を起こすと鉛のように重い。まるで自分の体ではないようだ。
違和感を覚えのろのろと居間に行き、母に体調不良を伝える。
「なんか体重くて、頭も痛い」
「えっ⁉ 風邪? 熱計ってみて」
そうして熱を計ると、微熱があった。
「どうする? 今日は休むの?」
「……うん」
(ヤッター! 今日は家にいられる!)
(……でも、練習進んじゃうかな。 でも体調が悪いんだから仕方ないよね)
ほんの少し休んでしまったことに罪悪感を覚えたけど、実際に体調が悪いのだから責められる理由はないと自分に言い聞かす。
(今頃部活始まる頃だなぁ……)
体を休ませながらも、一日中時計を気にしていた。
学校にいる一日はとても長いけど、家で過ごす時間はあっという間に感じた。
家の外から声が聞こえ、帰宅時間になったことを知る。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴り、幼稚園からの幼なじみの千佳ちゃんが翌日の時間割と学校プリントを届けてくれた。
千佳ちゃんも幼稚園からの幼なじみだったけど、道場さんとは違い幼稚園当時からずっと変わらないペースで親交がある友だちだった。
「サル大丈夫?」
「……うん、ちょっと微熱があって頭が痛かっただけだから……明日は行けると思う」
「お大事にね」
「ありがとうね」
千佳ちゃんが持ってきてくれた時間割を眺めながら、学校の殺伐とした雰囲気や、部活のことが頭を過る。
(明日は行かないと…)
そして、日が沈み夜になると明日は行かなくてはいけないというプレッシャーが急激に襲ってきた。
脳裏には、清原の顔が浮かぶ。
(なんで昨日は休んだんだって怒られたらどうしよう)
体調不良だと言っても、清原のことだから「這ってでも出てこい」「甘ったれるな」とか言うのが目に見えていた。
あのサングラスの奥の人を憎んだような目つきを思い出して、身震いする。
(明日も体調が悪かったら、部活……ついていけるかな)
無理なくやれればそれで良かった。
けれど、それが通用しない世界だったから困るのだ。
朝が怖い。
目覚めたくない。
でも頑張らなきゃいけない。
こうして休んだ日の穏やかな一日は瞬く間に終わっていった。
翌朝再び朝が来たことを知り、起き抜けから気が滅入る。
体を起こすと、やはり調子が悪いように感じた。
「お母さん熱計る……」
「まだ良くないの?」
「うん……」
「病院行った方がいいね」
熱を計るとやはり微熱があり、重怠さを感じた。
「とりあえず、今日も休むって連絡すればいいの?」
「…………うん」
行かなくてはいけないという気持ちはあるけれど、体調が悪く無理をして行っても迷惑をかけてしまうかもしれないという不安があった。
今日のところは、かかりつけ医に診察しに行くというところで自分を納得させることにした。
病院へ行き風邪かと思っていた私に、予想外の診断内容が告げられた。
「自律神経失調症ですね」
全く聞き覚えのない名前だった。
自律神経失調症とは、ストレスが原因で自律神経のバランスが崩れてしまい、身体に様々な症状が現れる症状の病気だということだ。
(こんなに体調が悪いのがストレスからきてるの?)
ストレスの病気と聞いたら、急にまた自分の気持ちが弱いことを確認させられたようで辛くなった。でも、これで部活を辞める理由になるかもしれないと思ったら、安心材料にもなった。
けれど、本当に大変だったのはそこからだった。
私は学校へ行くことが出来なくなったのだ。
朝になると体調が悪くなり、遅刻、保健室登校、欠席を繰り返すようになった。
“今日こそ行かなくては”と思ってはいるものの、朝になりいざ登校しようとすると急激な吐き気や腹痛に襲われ、動けなくなるという状態を繰り返していたからだ。
その症状は、昼、夕方、夜とだんだんと良くなり、朝になると再び悪化するというサイクルだった。
世間体を気にする母は、娘が突然こんな状態になってしまったことを素直に受け入れられなかった。
毎朝私を無理やり引っ張ってでも登校させようと押し問答が始まる。
「行きなさいっ!」
「行こうとすると、気分が悪くなるから無理って言ってるでしょ!」
「調子が悪いのは朝だけでしょ!」
「別に仮病を使ってるんじゃなくて、朝だけ急に悪くなるの!」
自律神経失調症と言われたところで、中々理解出来るわけではない。
かく言う私も、親に心配をかけたくないと我慢していた段階はとうに超え、もうそんなことを考える余裕すらなくなっていた。
自分を殺してしまわないように、守ることで精一杯だった。
道場さんが学校に来れなくなった時、体調不良以外の理由が想像が出来なかった自分と同じように、今まで普通に出来ていたことが突然出来なくなることが受け入れられないのだと思う。
私自身も、もちろんそんな風になってしまった自分を受け止められてはいない。
あまりにも体調不良を訴える私に、セカンドオピニオンとして市立病院で精密検査も受けた。
当時壊れてしまっていた私は、余命宣告されるような重篤な病気で今すぐにこの世から消え去りたいとすら思っていた。
結果的に、この検査から有名な精神科医の先生がいる病院を紹介されることになった。
私が学校に行けなくなってから、タコちゃんや千佳ちゃん、バレー部のメンバーが忙しい合間を縫って様子を見に来てくれていた。
学校の話は聞いてもほとんど頭に入ってこなかったけど、一緒に部屋で本を読んだり友だちの近況など聞いて過ごした。
ある日バレー部の友だちに言われた言葉に、私は自分自身がしたことの大きさに気付かされることになる。
「サル! 待ってるから早く学校においでよ」
……そう、私がいつか悪気なく道場さんに言った言葉だ。
実際私に言った友だちも、当時の私同様何の他意もないだろう。
でも、この言葉の破壊力は凄まじかった。
行きたくても行けない、行きたくなくて行かないのではない。
だからそんなに簡単に、学校へおいでなんて言わないで。
どうしたら分かったもらえるだろう。
どうして分かってもらえないんだろう。
この時、私と友だちの生きている世界が大きく離れてしまったことを実感した。
と同時に、道場さんの顔が脳裏に浮かぶ。
あの時、私が言ってしまった言葉で道場さんを追い詰めてしまったかもしれない。
そんなことにも気付かず、無責任な善意を押し付けてしまった自分に気付く。
「道場さん……ゴメンね」
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