第5話 隣席のクール系美少女は意外と照れ屋で、きっと優しい。
ホームルームが終わり、一限の授業が始まろうとしている。僕は心配そうにこちらへやって来た優月と少しだけ話した後、授業の準備を進めていた。今日の一限は現代文だ。
ホームルーム時、担任の教師は教壇に立つとこちらへ一度だけ視線を送った。しかしそれから僕については話題にせず、淡々といつも通りであろう朝の連絡が行われた。担任教師には今日から登校することを連絡していたため、配慮してくれたのだろう。
変化のない日常が進んでくれることが嬉しい。注目されること自体が、不登校にとっては毒なのだ。だから、そのさりげない配慮が身に染みるようだった。
一限の始まりを告げる鐘が鳴ると同時に教師が教室へ入ってくる。
このまま、何事もなく授業は進むのだろう。
そう思っていた時期が、僕にもあった――。
「えー、それでは数学の授業を始めます」
(……え!? 数学!? 一限は現代文じゃなかったのか!?)
情報源である幼馴染の方へと視線を向ける。すると優月は教室の真ん中あたりの席からこちらの方をこっそりと振り向いて「ごめんなさい!!」と迫真の合掌をしていた。
どうやら優月が間違って覚えていたらしい。……休み明けだから。だから、仕方ない。
しかし、それならどうするか。当然、数学の教科書は持ってきていない。引きこもりが置き勉などしているはずもない。
一通りペコペコと謝った優月は「こうするんだよ」とでも言うように、今度は隣の席の女の子に頭を下げ始めた。それから仲良さげに机をくっ付けて教科書を中央に置く。最後に、優月はもう一度こちらを見やるとグッと親指を立てた。
(って言われても、なぁ……)
確かに、その方法が確実なことは分かる。
授業が始まってしまった以上、他クラスに借りに行くこともできない。そもそも、借りられる相手などいないのだが。
そっと、隣の少女に視線だけを寄せる。
藍色がかった長い黒髪が美しい少女だ。今は教科書とノートをしっかりと開き、少し鋭い瞳で黒板を見つめている。
その姿からは、真面目な人間であることが窺えた。
しかし、そんな少女には先ほど無視されたばかり。話しかける勇気などあるはずもなかった。ましてや教科書を見せてもらうなど、無理に等しい。
隣人の助力を諦めて知り合ったばかりの金髪ギャル――
(それにしても、この席ってアイナの後ろ姿が……とくにうなじとか見えてヤバいんじゃ……って、そんなことは今どうでもいい!)
ぶんぶんと頭を振って邪心を振り払う。
そもそも、アイナに気づいてもらえても前後で教科書を見せてもらうわけにもいかないし迷惑だろう。教科書を見せ合えるほどの間柄かと言われればそれも微妙なところだ。
結局、答えはひとつだ。黙って、地蔵となるしかない
教師も不登校だった引きこもりにいきなりクラスの前で問題を解いてみろなんて言わないだろう。そこまで鬼ではあるまい。
よって、不登校明け一時間目からこれは本当にどうかと思うが黒板をただ眺めているとしよう。それが最善手だ。
そうと決まればひっそりと、教師はおろか誰にも注目されないように身を潜めよう。陰キャの引きこもりにとっては得意技に他ならない。
と、その時、「とんとん」と翡翠の肩が指で叩かれた。
「え?」
「しっ。声が大きい」
肩を叩いたのは、当然隣の少女だ。口元に人差し指を当てて「しーっ」とジェスチャーした彼女はそっと机をこちらに寄せた。
「な、なにを……?」
小さく呟く。
「ん」
ぶっきらぼうに教科書を真ん中へ配置する少女。身を少しだけ乗り出した少女の黒髪が視界をかすめた。
「見てもいいの……?」
「ん」
少女はこちらを見ずにこくりと頷く
「あ、ありがとう。えっと、……」
「桜庭」
「え?」
「
「そ、そっか。ありがとう、桜庭さん」
先ほどの優月を見習って頭を下げると、桜庭さんはまたこちらを見ずにこくんと頷いた。その横顔は少しだけ、ほんのりと色づいているように見えた。
(照れてる、のかな?)
もしかしたら照れ屋さんなのだろうか。それなら、一度は無視されてしまったのも納得がいくかもしれない。
「なに?」
視線に気づいた桜庭さんが小さく口を開く。
「いや、その……さっきは無視されたから……少し驚いてさ……」
「無視? ワタシが? いつ?」
「さっき、ホームルーム前だけど……」
「……あー、それって、聞こえてなかっただけよ。ワタシ、イヤホンしてたから」
桜庭さんは少し気まずそうに言う。
「え……ぜんぜん気づかなかった」
「まあ無理もないわ。有線とはいえワタシの場合は髪にほとんど隠れているし。……あなたもあまり余裕がなかったのでしょうし」
「そっか……無視じゃなかったんだ……よかったぁ」
それを知るだけでも、心がスッと軽くなる気がした。
「……クラスメイトを無視なんてそうそうしないわよ。さてはおバカね、あなた」
「バカって、そこまで言わなくても……」
「あ、……ご、ごめんなさい。言い過ぎたわ。無視みたいになってしまったのも、ワタシが悪かったわ」
「あ、いやそれなら僕だって」
ひかえめな挨拶がすぎた。気づかなくたって仕方ない。たった一度で諦めてしまったのだって、あまりにも心が弱かった。引きこもり根性が治っていない。
頭を下げた僕を見て、桜庭さんは少し複雑そうに笑ったように見えた。それから宙を見るようにしながら切れ切れに話す。
「……たぶん。たぶんだけれど。きっとね。あなたが思っているよりも、優しい人ってたくさんいるんだと思うわ。……だから、簡単にメソメソしないこと。そうすれば、世界は広がるわ」
「……そうだね」
素直に、僕は頷くことができた。それから桜庭さんは独り言のように呟く。
「……まぁ、ワタシはその中には含まれないだろうけれど」
「え? そんなことないよ。桜庭さんだって、優しいよ。照れ屋なのに僕なんかのために――――」
「な、なななな!? 照れ屋!? そ、そんなわけないでしょう!?」
途端に、桜庭さんが机をバンっと叩いて立ち上がらんばかりの勢いで叫ぶ。
「さ、桜庭さん!? 声が大きいって!」
「ん~? ゆいにゃ? どったん? あまっちにセクハラでもされたん?」
クラスの注目が集まると、近くのアイナが代表して問いかける。すると桜庭さんはサッと我に返ったように居住まいを正した。
「な、なんでもないわ。ごめんなさい」
その一言で、何事もなかったかのように授業が再開される。
しばらくすると、落ち着いたらしい桜庭さんがこちらを睨みつけてきた。
「ワタシは照れ屋なんかじゃないわ。勘違いしないで」
「う、うん。わかった」
照れ屋扱いされるのはお気に召さないらしい。禁句として覚えておこう。お隣さんとの交流は円滑に運ぶ必要がある。
「……それと、やっぱりワタシは優しくなんかないわ。さっきはああ言ったけど、でもちゃんとその目で見て、見極めることも必要よ。その人が本当に優しくて、あなたにとって本当に信用に値するのか。見境なしに人の優しさを決めつけるのは、おバカのすることだわ」
頑なに、桜庭さんは自分の優しさを否定する。それからまた、今度ははっきりとそっぽを向いた。
「だから、ワタシみたいな信用ならない女を頼らないで。……まぁ、席が隣だから……その……」
「え?」
「な、なんでもないわよっ」
我慢ならないと言うように桜庭さんは会話を打ち切る。
彼女の言葉には疑問ばかりが浮かんだ。よく知りもしない引きこもりにわざわざ教科書を見せてくれるというのは、優しさではないのだろうか。
それに、僕が彼女に助けられているのは事実だ。
「やっぱり優しいよ、桜庭さんは」
「……ふん」
桜庭さんは呆れたように少しだけ声を漏らす。彼女が再びこちらをみてくれることはなかった。
それでも、彼女が隣にいるこの席は居心地の悪いものではないように感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます