第4話 前席のギャル聖女は抱きしめる。
「お~みんな相変わらずじゃねえ。ゆりちはヘラってるし村上はキモい! 平常運転だぁね~。え、あたし? あたしはチビたちの世話してばっかだったしなぁ~。若い子のおもち肌と触れ合って相乗効果であたしもお肌つるつる? みたいな? なはは~♪」
金髪の少女は教室中を回りながらクラスメイトみんなと一言二言くらいずつ言葉をかわしていく。いかにもな適当口調でぺらぺらと喋っているがその様子はとても楽しそうで、教室全体のテンションが一段上がったように見えた。
十中八九、このクラスの中心人物なのだろう。
僕にとっては苦手意識のある容姿だった。嫌な記憶が脳裏によみがえる。できることなら、あまり関わり合いにはなりたくない。なるべくなら目を付けられないようにしたいところだ。
しかし人生上手くいかないもので。残酷なもので。神さまはあざ笑うかのように、望んだ未来を用意してはくれない。
金髪の少女はストッと、慣れた様子で空席だった僕の前席に腰かける。それは大胆でありながらも綺麗な所作が窺えるような、そんな座り方だった。
言葉を選ばないならば、汚くない。ギャルビッチっぽくない。ちゃんと女の子らしくも、気品を残したお行儀の良さ。僕の中にあった固定観念と少しだけズレる。
近くで見ると、彼女もまた文句なしの美少女であるように見えた。ただ、その派手な金髪や、ピアス、ネイルなど見るとどうしても好ましくは思えない。
ふと、横を向いた彼女と視線が交差した。
反射的に顔を逸らす。今はもう、誰とも話しくないのだ。隣席の少女によってライフはもう赤ゲージまで削られていた。
「もしかして、あまっち?」
彼女はまるで知り合いに話しかけるみたいに大きな瞳を瞬かせる。
それからこちらには聞こえないくらいに小さく、「……そっか」と呟いた。かすかに聞こえたその声はいやに優しい。こっちまでもしかしたら知人だったのかと思ってしまうくらいに。
状況がイマイチ掴めない。
しかし次の瞬間、もっとよく分からないことが起こった。
「え……?」
ふわっと、少女が僕を抱きしめたのだ。今朝を思い出すような状況。
幼馴染よりは控えめな気がするその胸元。制服越しだからというのもあるかもしれない。全く違うのは、その香り。柑橘系の爽やかで優しい香りだ。
「あの……その、な、なんですか、これ……」
「いいからいいから。このまま美少女の抱擁を楽しみたまえ。ダイジョーブダイジョーブ。何も怖くないぞ?」
優しい声音が耳元で響く。小さな手のひらが頭を柔らかく撫でているのが分かる。動揺していたはずなのに。心が癒されていくかのようだった。抜け出そうという気にもなれない。
「よしよし。頑張ったね」
「……っ」
その言葉に、心が一瞬跳ねた。
「頑張った頑張った」
しばらく、慈しむかのようにそう囁きながら少女は僕の頭を撫で続けた。その手はとても柔らかくて、心地よかった。
数分後。僕を離して少女は言う。
「……落ち着いたかい? もうつらたんじゃない?」
「え……あ、はい。大丈夫……です」
「それはよかった」
なはは、と少女は笑う。その笑い声は先ほどまでよりもいくらか子供っぽく感じた。その笑みのまま、少女は続ける。
「なんかね、あまっちの顔見たら身体が自然と動いちまったぜい。イヤじゃなかった?」
「いや、まぁ……べつにイヤでは……」
イヤどころか……救われた気がしてしまった。それはいきなりの無視で挫けかけた心が洗われるかのようで。抱きしめられたかったとかは言わないけれど、優月の姿を探してしまったのはそういうことだったのだと思う。
目の前の少女は、顔を見ただけで僕の心理状態を見抜いたとでも言うのだろうか。
最初はからかわれているのではないかという考えも頭をよぎった。過去の光景が頭の中を駆け巡った。けれど抱きしめられて。その温もりを感じた今となってはそんなことを思えるはずもない。
その温もりに、これ以上ないほどの気遣いを感じてしまったのだ。
心の距離というのは少しずつ縮まることもあれば、彼女が今したように一瞬にして詰めてしまうこともあるらしい。
僕の返答に、少女はふむふむと頷く。
「そかそか。それでは、おまけにもう一度」
「え」
今一度、少女に抱き留められた。その香りも身体を包んでゆく。
「あまっち」
ひときわ優しい声。そのよく分からないニックネームも、自然と受け入れてしまっている。
「……登校してくれて、あんがとね。ずっと空席であたしも寂しかったんだぞ~?」
「さみ、しい……?」
「そうだぞ~? クラスメイトが一人足りないなんて、それは悲しくて、寂しいことなのだよ」
僕がいなくて、悲しい? 寂しい? 一度も会ったことがないのに?
なんで、僕なんかを気にするんだ。他のクラスメイトは誰一人、僕に話しかけようとしなかったのに。無視さえされたのに。
でも抱きしめられると、心が解きほぐされてしまう。この子は信用できるのだと、警戒心をといてしまっている。
この子はあいつらとは違うんだ。
言葉以上に、行動で。理屈以上に、心で。そう思えた。
(こんな子がいるんだな……)
引きこもっていては一生気づかなかったこと。
世界のみんながみんな、こうであればいいのにな。自然とそんな感情が芽生えた。
頭をあげようとすると、少女はすぐにその手を緩めてくれた。彼女と対面する。ああ、まずい。涙が零れそうになった。それをこらえつつ、気恥ずかしくて仕方ないが少女と目を合わせる。
「……その……ごめん。今まで登校しなくて」
僕が言うと、少女は苦笑いを浮かべた。きっと謝罪を求めたわけではなくて。こんな言葉は必要なかったのだろう。
しかしそれから、少女はまるで聖女のように微笑む。
「いーよ」
ギャルっぽい見た目とその笑みは実にアンバランスで、少しだけおかしい。でもそんな些末なことよりもずっと、魅力的に思える笑みだった。
「あと、ありがとう」
「どういたしまして、だぞ?」
謝罪と、感謝。どちらも精一杯の心を込めた。
逃げ出したくさえなっていたのに。今はもう、この教室に居てもいいような気がした。
その後、少女はようやくの自己紹介を始める。
「あたし、アイナ。
「聖ヶ丘、さん?」
「のんのん」
「え?」
「アイナでいいって~。聖ヶ丘って長いし言いにくいっしょ? それに~」
アイナはにやりと口元をつりあげる。
「あたしたち、抱き合った仲じゃん?」
「いや抱き合ってはないから!?」
あくまで抱かれただけだ。
「お、いいツッコミ。その調子で敬語ももうやめね?」
「え……、う、うん。わかった」
「よろしい。素直な子は可愛いぞ? これからよろしく頼むぞよ。後席の相棒くん」
金髪の少女―――改めアイナは完璧なウィンクを披露する。それは元気な、お調子者っぽい表情だ。溌溂とした振る舞いと、その中にある気遣い、慈しみ。それが彼女がこのクラスの中心だと感じる由縁なのだと思う。
ほどなくして、気を見計らったかのようにホームルームを知らせる鐘が校舎に鳴り響いた。
前途多難な一日が始まる。
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