聖女運用記録:第二王都ゼイアレンテ奪還作戦
ガルトゥイルの機密会議室は、何度訪れても気分が沈む。
重苦しく、陰鬱な空気が立ち込めているように思う。
奥の壁に刻まれている、五つの剣と一つの門を象った、鉄の彫刻がそれに追い打ちをかけてくるようだ。
(せめてもうちょっと、華やかにはできなかったのかね?)
と、リュフェン・カウロンは思う。
あの彫刻が、窓のない機密会議室を、さらに閉鎖的な空間に仕上げているのは間違いない。
これではニヴレンヌがついてきたがらないのも頷ける。もっとも、彼女がそう願ったとしても、この場所には同席を許可されるはずもない。
ここに《女神》は立ち入ることができない。
純粋に聖騎士団長だけで行われる、機密会議のための部屋だった。
これは《女神》に関する情報を、たとえ聖騎士団長であったとしても、互いに容易には明かさないという慣習によるものだ。
しかし、ニヴレンヌはそんなもの知ったことではないとばかりに、他の《女神》と交流を持ちたがる。
「だって、おかしいよ」
と、彼女はいつも言っている。
「あたしたちは姉妹みたいなものなのに。なんで仲良くしちゃいけないの? 絶対おかしい。昔の記憶はあんまり残ってないから、もっと他の《女神》と遊びたい!」
――だ、そうだ。
実のところ、リュフェンも似たような意見だ。
互いの《女神》の能力を秘匿することに、あまり意味は感じられない。むしろ本来は、連携を難しくする要因でしかないはずだ。
それにも関わらず、こういう慣習があるというのは――
(よほどの秘密主義者が考えたのか、身内に裏切り者が出ることを恐れていたのか)
いずれにせよ、窮屈なことだ。
さらに窮屈に感じるのは、こうした遠慮のない意見を交わす相手が、聖騎士団の中にいないということだ。
ザイロ・フォルバーツがいなくなって、もう何年が過ぎただろう。
あの男に何があって、あんなことになってしまったのか、いまでも考えるときがある。絶対に何か理由があるはずなのだ。それは――
「――リュフェン・カウロン」
不意に、名前を呼ばれた。
リュフェンは気づかないうちに閉じていたまぶたを開く。重苦しい機密会議室。陰鬱な彫刻。大きなだけの会議卓。
そこに、自分以外の人間は三名いた。
いずれも聖騎士団長だった。
「カウロン第六聖騎士団長。私の話を聞いていたか?」
そう尋ねているのは、初老の女性だった。
髪には白いものが混じっているが、いまだにその体の頑健さは失われておらず、背筋を伸ばしているとその辺の男よりも長身に見えた。
「まさか寝ていたわけではあるまいな」
第三聖騎士団長。メーヴィカ・リージャー。
未来を予知する《女神》に仕える、紛れもなく歴戦の軍人。
「起きていましたよ、もちろん」
リュフェン・カウロンは彼女に対して頭を下げる。
この厳粛な気配の女性に対しては、どうも苦手意識を覚える。もっとも、どの聖騎士団長だろうが、リュフェンはおおむね苦手だった。
「ただ、少し考え事をしていまして」
「……でしたら、どうぞ議題について言ってご覧なさい」
また、別の声がした。
見事なほどの金色の髪をした女。こちらはまだ若い。確か自分よりも年は下だったはずだ。聖騎士団長としては一番の新入りということになる。
しかし、この態度は、どうもからかわれているようだ。静謐で真面目な顔つきでありながら、目が笑っている。
「そのくらい答えられるでしょう、考え事をしていたというのなら。それとも何も関係のない事象について考えていたと言いたいの?」
彼女は、第四聖騎士団長。サベッテ・フィズバラー。
気象を支配する《女神》を従える、武装神官から引き抜かれた英才。
「いやいや、そんなわけないでしょう。ええ。議題ですね。それは――」
リュフェンは言葉を考えるふりをしながら、頭をかきむしった。
こういうときは、馬鹿であることを隠さないに限る。
「申し訳ない。やっぱり寝ていたようです。俺は根が怠け者なんでしょうね、気づいたらまぶたまで勝手に怠けようとするんですよ」
「何の言い訳にもなっていませんね」
サベッテは一言で切って捨てた。やはり、この詰問を楽しんでいる。
このサベッテという女の性格は手に負えないところがある。彼女の《女神》はよほど苦労しているように思う。
「これは問題ね、カウロン聖騎士団長。あとで反省文書でも提出する? それとも、罰として――」
「聖女計画の、話だ」
会議室の隅で、そう言葉を発したのは、黒衣の男だった。
唐突な発言であるように聞こえた。いつものことだ。ひどく痩せているように見える、顔色の悪い男。
まるで埋葬人のように陰気な――軍人で葬儀屋も兼業しているとは抜け目ないやつだ、と、かつてそんな風に言った男もいた。しかも本人に向かって。あのときはリュフェンも思わず笑ってしまった。
「聖女計画が正式に認定され、実戦に配備されることになった。その運用についての意見を求められている」
この男もまた、聖騎士だ。
第十聖騎士団長、グィオ・ダン・キルバ。
兵器を呼び出す《女神》を運用する、旧キーオ諸島王国の貴族出身――だという。
「……すでに聖女は完成した。計画を撤回することは、もはやできない。宰相と、総帥の認可が下りた」
グィオは陰鬱な声で、ささやくように述べる。
まるでため息をそのまま声にしたようだ。
「私はこの計画自体に反対だった。……ただの少女を……戦略級兵器に変えるのは、危険性の方が大きすぎる」
その計画の概要は、リュフェンも当然知っている。
死亡したセネルヴァの《女神》としての力を移植する。右腕と右目。それで扉を見る力と、それを開く鍵の力を、一人の人間に持たせるという計画。
その人間は、特殊な聖痕を持った者だ。選ばれた存在。
『調和』の聖痕によって、他者を侵食し、自分の一部に変えてしまう力を持つ者。
ただでさえ珍しい聖痕保有者の中でも、さらに貴重な聖痕だった。
特別中の特別。
そういう少女を、連合行政室は見つけ出していた。名前は――たしか、ユリサ・キダフレニーだったか。
確かにグィオが言う通り、ごく普通の、南部の農村で生まれ育った少女だという。
「消極的ね、第十聖騎士団長。私は計画に賛成ですよ」
サベッテの声には、どこか歌うように話す。
自分の優秀さを微塵も疑っていないような、そういう響きがある。
「聖女とその力がどれほど役に立つかは未知数だけど、この防戦一方の戦況を変え、行政室、神殿、軍部が一体となる中心になってくれるなら歓迎よ。象徴としてのお飾りでも結構です。攻勢に移るきっかけになれば、それでいい」
極論だとは思うが、一理はある。
軍部の意見は一致している――防衛ではなく、大規模で集中的な攻勢計画を立てるべきと。
その後押しをするのに、行政室や神殿、貴族からの支持を集めるために、聖女が役に立ってくれるなら、それだけで意味がある。
もちろん聖女本人に、実際に戦略級の力があれば申し分ない。
「戦力を集中させて、敵の中枢を叩く。そうでなければ何も終わらないわ」
「……だが、第三次魔王討伐は……聖女を投入して、和解し……結局は敗けた。人類の文化が大きく衰退し、やがて記録も途絶えた。それはなぜだ?」
「政治的な失敗です。間違いなくね。記録を見る限り軍事的には勝利していたと断定していいでしょう。聖女は、確かな戦力になる」
「どうかな。……最後には、同じ失敗をするだけかもしれん」
「どんな失敗を? 軍事的にでも勝利しなければ、人類はその失敗をする前に滅びるわ」
グィオとサベッテの話を、リュフェンはどこか遠くに聞いていた。
第三次の失敗。
魔王現象と和解したあと、何かがあって人類の文化が衰退したのは確かだが、その記録はひどく曖昧になってしまった。
歴史学者出身の第七聖騎士団長なら、もう少し詳しい意見が聞けただろうか――。
「――以上が、両名の意見だ。そして私は意見を持たない」
と、メーヴィカは低い声で告げた。
「ゆえに、あとはリュフェン・カウロン。貴様だけだ」
これも当然のことだった。未来を予見する《女神》に仕える聖騎士は、余計な推測や予断を差し挟むことがない。
ゆえに、こうした会議があれば、議事進行のみに徹するのが決まりだった。
ただ、《女神》が予見した内容があれば、それを伝えるだけだ。
「ということは、ですね……第三聖騎士団長」
リュフェンは慣れない言い方で、メーヴィカの肩書を呼んだ。
「あなたの《女神》は、これに関して予知ができていないと?」
「そうだ。そもそも《女神》に関する予知は極めて困難であり、長期的な影響となれば、それはほぼ不可能の域に至る」
「なるほど。了解しました」
うなずいたリュフェンは、暗澹とした気分になる。
積極的な反対意見が出せない。
軍部の決定を覆すことはできない。
つまり、あとは現場で運用するしかないということだ――『聖女』を。
かつての《女神》セネルヴァの遺骸を切り取り、継ぎはぎした少女。
気味の悪いやり方だと思う。
ただし、そんなことはこの場の誰もが承知の上だ。サベッテもグィオもそれを割り切って、どう扱うべきかという話をしている。おそらくメーヴィカも。
こういうとき、かつては明確な反対意見を叩きつける者が一人いた。
こんな場所に居合わせたら、きっとザイロ・フォルバーツなら――と、リュフェンはどうしても考えてしまう。
きっと罵倒や皮肉を吐き捨てて、断固反対の立場を明確にしただろう。
だが、いまやそれだけはあり得ない。ザイロ・フォルバーツがこの聖騎士の卓に戻ることはない。
自分には、あの男の真似などできない。
ザイロほどの怒りを燃え上がらせることができない。
であれば、自分にできることは、せめて少しはマシなやり方を考えるだけだ。
「――最初の作戦は、第二王都の奪還、になりますかね」
リュフェンはそう口にしていた。
「幸いにも、すでに二つの聖騎士団が集結し、奪還作戦を開始している頃です。そこに合流させ、できるだけ安全で無害な戦線にて実力を見るのはどうでしょう」
二つの聖騎士団。
真面目すぎるホード・クリヴィオスと、慇懃無礼で冷笑的なアディフ・ツイベル。どちらも性格的には関わりたくないが、組み合わせとしては悪くない。
それから――そう。
あの戦線には、ザイロ・フォルバーツと懲罰勇者部隊がいる。
聖剣とやらを携えた、特別な《女神》を従えた部隊。
結局、彼らの扱いはいまだ保留となったままだ。
ガルトゥイルの首脳部では、なんらかの扱いの変化を考えているようだが、即座の処罰や《女神》の再凍結は免れたらしい。
そうするには、あまりにも戦果を上げすぎた。その能力についても、極めて使用状況が限定されるため、運用に苦慮しているというのが本音だろう。
せめて、やつらの負担を少しでも軽くできれば。
聖女が前線へ赴くなら、この計画に加担した者たちは全力で支援しなければならない。
その分だけ、第二王都奪還に従事させられるだろう、ザイロたちの助けになるかもしれなかった。
「……で、ですね。その作戦がうまくいったら、せいぜい大々的に宣伝して、聖女の出現を知らせましょうぜ。寄付を募れるくらいには人気が出るかもしれない。その子、見た目は? 可愛いんですかね?」
「まったく同感ね。気が合うようですね、第六聖騎士団長」
サベッテは嬉しそうにうなずいた。
彼女と気が合うなんてろくなことではない、と、リュフェンは思った。
「見た目は大事です。市民は見た目の良いものが好きだもの。もちろん、私もそうですよ」
「――では」
脱線しかけた話を、メーヴィカの厳粛な声が元に戻す。
「第二王都奪還作戦への協力を、我ら聖騎士団の提案する方針として申し伝える。第十聖騎士団長、貴様は反対意見だったな。さらなる異議があれば発言せよ」
「……聖女の実戦投入が、確定事項であれば」
グィオは暗い声で呟いた。顔を伏せる。うなずいたつもりかもしれない。
「その方針が妥当と思う。私の反対は、計画そのものに対する疑義であり、運用方法に異議を唱えるものではない」
「結構」
メーヴィカはうなずき、立ち上がる。入口へと歩き出す。
「それでは実際に、諸君らの目で聖女を見てもらおう。今後、共同して作戦に当たることも多くなる。見知っておくがいい」
「はあ――」
リュフェンは目を丸くした。
「この要塞に来てるんですか? 部屋の外に?」
「最初に言ったでしょう。本当に何も聞いてないのね、カウロン団長」
「いや、もし会話とか聞こえてたら気まずいなと思いまして」
「聞こえるわけがないでしょう。ここをどこだと思っているの? この人は、本当に――」
サベッテは愉快そうに笑ったが、リュフェンは答えなかった。
確かにここは機密会議室だ。たとえ聞き耳を立てていたとしても、内部の会話が外に漏れるはずがない。
「――し、……失礼っ、します」
かすれたような声とともに、扉が開いた。
燃えるような赤毛の少女だった。
それ以外では、ただひどく怯えているような雰囲気だけが強い、どこにでもいそうな少女――という印象しか受けなかった。やや高い上背を、猫背気味に丸めているのが気になる程度か。
ただ、何よりも特別なところと言えば、右目の眼帯。
そして右腕を覆う、籠手のような長い手袋だった。そこに、セネルヴァの遺骸を移植しているのだろう。
「あの。私は、ユリサ・キダフレニー、です」
少女――ユリサの頬が引きつった。微笑んだつもりだとしたら、どこか痛ましい。卑屈な印象すら受けた。
「聖女ということで、このお役目をもら……いただ……は、拝命しまして。このたび、皆さんのお役に立つために、全力を尽くそうと思います。あの……ですから……」
そこだけはっきりと、底光りするような左目で、彼女は居並ぶ聖騎士たちを見た。
「じ、人類に勝利を。国家に栄光を……もたらすことを、誓います」
そうして頭を勢いよく下げた『聖女』を前に、リュフェンはどういう態度をとるべきかわからなかった。
サベッテとグィオにしても似たようなものだったと思う。
いや、サベッテは少し苦笑していたか。
(これは大変だぞ)
と、リュフェンは思った。
(まずは、その猫背を矯正するところから始めなきゃならん。お喋りの仕方はその後だ)
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