家令ジョルジュの受難⑤



「な、は? ぶ、ブレッサ=レオーニ伯爵? なぜそなたがここにおる?」


 応接間に乗り込んだ勢いは何処へやら、目の前に立ちふさがるブレッサ=レオーニ伯爵の顔を目にした途端、ポンツィオ様は真っ青になって震え出した。


 ――いや、今日来るって聞いたから仮病で引き籠ったんだろ……


 俺――家令のジョルジュは、彼女が来てから心中で何度吐いたか知れない溜息をこぼす。


「決まってるじゃなあい。チャールズ殿の件よお」


 脅え切ったポンツィオ様を前に、ブレッサ=レオーニ伯爵は優美な微笑を崩さない。チラチラと向けられるポンツィオ様からの縋るような視線を、俺は全て黙殺した。

 伯爵同士のになってしまった以上、家令が横から口出しなど出来はしないのだ。


 何も言わない俺に痺れを切らしたのか、ポンツィオ様は周りにいる衛兵たちにも目を走らせる。

 だがマリオッティ男爵を始め、兵たちの誰とも目は合わなかった。彼らの仕事は、物理的な身の危険から雇い主を守る事であって、社会的な破滅からではない。


 誰も助けてくれはしないと、ようやく気付いたポンツィオ様は、真っ赤な顔で俺を指さしこう叫んだ。


「ち、チャールズめの事なぞ知らん! その件は全て、ジョルジュに任せておるのだ! 私は、何も、知らん!!」


 ポンツィオ様がそう言い切った瞬間、ブレッサ=レオーニ伯爵から笑みが消える。


「……ねえアドルナート伯爵。貴方この件をだなんて、本気で仰っているの?」


 彼女の静かな圧に耐え切れず目を逸らしたポンツィオ様の顔の横に、ブレッサ=レオーニ伯爵がすかさず扇を突きだす。


 そのまま扇の側面でポンツィオ様の顔を自分に向け、淡々と語り始めた。


「私の娘ミカエラと貴方の息子チャールズとの婚姻は、両家だけの問題じゃないわ。二人の婚姻は、が国境防衛における影響力を強めるためにあるのよ?」


 レオーニ辺境伯家。

 建国以来エスパーニャ王国との国境防衛を任されている、スティーヴァリ王国屈指の名家だ。

 便宜上『伯』とついてはいるが、国境防衛という要職に就くため、国からは王の直臣にあたる『侯爵』に相当する扱いを受けている。


 チャールズ様の婚約者であったミカエラ嬢は伯爵家の娘であり、同時に当代レオーニ辺境伯の娘でもある。今回チャールズ様を無断で廃嫡・追放したことで、アドルナート伯爵家は、より家格が高いレオーニ辺境伯家との婚約を一方的に破棄した形になる。


 つまるところ、自分より爵位の高い貴族に非礼を働いたのだ。


「わかる? 国の守りを王より委ねられている『金獅子伯』の顔に泥を塗ったのよ、貴方」


 貴族の女性らしい柔らかな口調にも関わらず、ブレッサ=レオーニ伯爵の語気からひしひしと、言葉に乗りきらぬ怒りが滲む。


 自分の家より爵位の高い相手に非礼を働いた場合。普通なら、当主が直々に出向いて謝罪し、許しを請うためにあらゆる手を尽くすのが当然なのだが……


「その非礼の後始末を、『全て任せている』ですって?」


 ポンツィオ様は、俺に全てを丸投げした。そしてそれを、決して知られてはいけない相手に知られてしまった。

 真っ白な顔のままカチカチと歯を鳴らすポンツィオ様の顔を、ブレッサ=レオーニ伯爵は眉一つ動かさずジッと見据える。


「そう、そう。よーくわかったわあ。


 『アドルナート伯爵家は今回の婚約破棄騒動において、当家及びレオーニ辺境伯家に謝罪も賠償もする気がない』ということねえ。


 ……それなら、も相応の対処をさせていただくから、そのつもりでいらして頂戴?」


 そう告げた彼女の背中に空気を読まない罵声が飛んだ。

 衛兵に両脇を固められたままのルチアーノ様だ。


「――だから、お前の娘を代わりに僕が貰ってやるって言ってるだろ!! 今のアドルナート伯爵家の嫡男ちゃくなんは僕だぞ!!」


 唐突に大声を上げたルチアーノ様にギョッとしたポンツィオ様だったが、周りに味方がいないこともあってか、ここぞとばかりにルチアーノ様の意見に便乗する。


「そ、そうとも! 領の結束を強め、我が国の防衛をより堅牢にするための婚姻であるならば、? ならば、ルチアーノがそなたの娘と結婚することに何の問題があるのだ!? のう!!」


 一瞬の沈黙が場を支配する。


 何を勘違いしたのか、満足げなポンツィオ様。勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべるルチアーノ様。開いた口がふさがらないマリオッティ男爵に、『うわあ、言いやがった』という顔を隠すこともできない衛兵たち。


 そして据わった目のまま微笑むブレッサ=レオーニ伯爵。


「……ねえアドルナート伯爵。それは、アドルナート伯爵家の公式見解でよろしい?」


「無論だとも! 何、そなたの娘が当家に来た暁には、ルチアーノ共々しかと可愛がってしんぜよう!」


 自信満々なポンツィオ様に、俺は家令として取り繕うことも忘れて片手で目元を覆う。


「――……そう。じゃあ、夫たるレオーニ辺境伯にこう言い添えておくわ」


 ブレッサ=レオーニ伯爵は、屈強な衛兵の背筋すら凍り付くほどの凄絶な笑みを浮かべてこう言った。


「当代アドルナート伯は、当家との婚約を一方的に破棄しておきながら、詫びるどころか開き直った恥知らず。

 次男は爵位も持たぬ身で伯爵たる私を『お前』呼ばわりし、辺境伯家令嬢を公然と侮辱した礼節もわきまえぬ粗忽者そこつもの

 親子ともども救いようのない、度し難いほどの愚か者たちであったとね」


 もはや言葉を交わす価値もないとばかりに、呆気に取られるポンツィオ様から踵を返したブレッサ=レオーニ伯爵が向かう先は、ソファの背に肘をかけて事の成り行きを見守っていた、もう一人の伯爵。


「武功名高きジズモンド・ウルバーノ伯爵閣下。折り入ってお願いがございます」

「おう、言ってみろ」


「王都にて、此度の一件の裁判を行いたく存じます。お力添えをいただけませんこと?」


 先程までと違い丁重に頭を下げるブレッサ=レオーニ伯爵に、白銀の毛並みを揺らす狼の獣人――『銀狼伯』ことウルバーノ伯爵が、黄金の瞳をすがめる。


「根回しだの腹の探り合いだの、小難しいこたぁ苦手なんだが?」

「ここであったやり取りをありのままに証言して頂ければそれで結構ですわ」


「なら、構わねえぜ。俺もイロイロ言ってやりたかったが、アイツら馬鹿すぎてえたしな。仕切り直しといこうや」


 ガシガシと後ろ頭を掻いて、すっかりぬるくなった紅茶を一息で飲み干した銀狼伯は、ソファから立ち上がって俺の前に手を差し出す。


 俺はチャールズ様の手紙を封筒に入れ、銀狼伯のてのひらに乗せた。


「おう、ごちそうさん。旨い茶だったぜ」

「恐れ入ります。衛兵に声をおかけいただければ、お預かりの愛馬をお連れ致します」


 銀狼伯は無言で口の片側を釣り上げて、ヒラヒラと手を振りながら、既に応接間の正面扉に向かったブレッサ=レオーニ伯爵の後を追う。


「っおい、待てよ! まだ話は終わってないぞ! 待て、待てぇえええ!!」



 背中に投げかけられるルチアーノ様の怒声についぞ振り向く事はなく、二人の伯爵は応接間を去っていった。



 ――ああ、この家も終わりか……


 裁判になれば、もはや勝ち目はない。

 チャールズ様の不当な追放に始まり、ルチアーノ様の非礼、ポンツィオ様の杜撰ずさんな対応。しかも身分ある貴族ウルバーノ伯爵の傍証付き。


 最悪の場合、爵位の剥奪にもなりかねないだろう。


「ジ、ジョルジュ! どうしてくれるのじゃ! あの女、裁判などと抜かしおったぞ!?

 どう責任をとるつもりじゃ!? ジョルジュ、聞いておるのかジョルジュ!!」


 自分の発言が火に油を注いだとは全く思っていないポンツィオ様の八つ当たりを聞き流しながら考える。


 ――使用人たちの退職金は、金庫にある分で賄えるな。


 まずは弁護士を雇わねば。敗色濃厚の裁判だ、相当に金を積まねば請け負うまい。

 賠償金の見積もりをしてもらったら、商業ギルドで家財を買い取ってくれる商人を仲介してもらおう。

 ああ、王都までの路銀も用意しなくては……。


 この先にかかる費用の多さに頭を痛めながら、俺はもう隠すつもりもなく深い深い溜息を吐いた。



 ――裁判の前に現れたによって、更なる波乱が巻き起こされる事など知りもせずに。


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