家令ジョルジュの受難③
『拝啓、親愛なるウルバーノ伯爵閣下』
俺――アドルナート家の家令ジョルジュは、ウルバーノ伯爵から渡されたチャールズ様直筆の手紙をゆっくりと読み上げる。
『この度はお食事へのお誘い、誠に嬉しく存じます。しかし遺憾なことに、
その後には、三日前にアドルナート家からの追放の顛末が淡々と綴られていた。
アドルナート伯爵より唐突に廃嫡と追放を言い渡されたこと。
撤回してほしければ薬師としての収益と、今まで稼いだ金を全てアドルナート家に納めろと要求されたこと。
……そして、自分の伯爵家における扱いについても。
『父アドルナート伯は以前より私の薬師としての活動を快く思っておらず、これまで金銭面の支援は行われておりません。
また私は伯爵家の財産を銅貨一枚とて使用することも許されておりません。
このまま特許事業の収益や、私個人の蓄えを全て差し出すという要求を呑んでしまえば、私は一個人としての尊厳を損なうばかりか、経済的な自由すらも失うことになります』
一単語、一文字を声に出すたびに、胸の内で何かがゴリゴリと音を立てて削られていく。
今更になって心の痛みを感じる自分がなんとも情けない。
『元伯爵家の嫡男という身の上を鑑み、他領にて要らぬ
もし何かあれば、貴族の籍を抜けた身ではありますが、可能な限りお力になりたいと存じます』
そして改めて謝罪の文言と別れの挨拶を添えられ、最後に『元アドルナート伯爵家長子、チャールズ』という署名がしたためられていた。
「……何が腹立たしいってよ、全部だ全部!!
まず親のくせに血の繋がったテメエのガキに銅貨一枚すら渡さねえとかどうなってんだ!?
そのくせ伯爵って立場を振りかざして、チャールズの儲けだけ奪い取ろうだと!? そもそも稼いだ金をどう使おうがチャールズの勝手だろうが!!」
銀狼伯は鼻息も荒くソファの背に拳を叩きつけ、それでも尚怒り足りないとばかりにまくし立てる。
「いいか? チャールズが薬草を売ってくれるおかげで、まず運び賃が減った!
それで薬も安くなって、金のねえ駆け出し冒険者でも買える値段になったんだ!
しかも新鮮な薬草を仕入れられるもんだから、今までより薬の効きもイイと来た!」
鋭い爪の生えた、銀毛に覆われた五指を折りながらチャールズ様との取引の利点を次々に挙げていく。
「薬草を
納税の準備もひと段落して、いい機会だから日頃の礼も込めてメシに誘おうと思ったらコレだぞ!?」
ガン! と銀狼伯の拳がテーブルを揺らし、ティーカップから紅茶が溢れた。
「なんでテメエの息子を
こちとらチャールズには返しきれねえ恩があんだ!! 恩人がこんな目に遭ってんのを黙って見てるつもりなんか更々ねえんだよ!!」
言いたいことをひと通り吐き出し終えたウルバーノ伯爵の鼻息が、静かな応接間に響く。
「……なるほどねえ。それだけチャールズ殿の世話になったのなら、お怒りもごもっともかしら」
銀狼伯の向かいに座っていたブレッサ=レオーニ伯爵は紅茶を一口飲むと、こちらに極上の笑みをむけ――
「ところで家令殿。私の家に届いた手紙とは、随分と印象が違うわねえ?」
笑顔のまま責めの矛先をこちらに向けた。
「手紙? チャールズからか?」
「いいえ、アドルナート伯爵家から。何でも『薬師としての利益の独占を伯爵に指摘され、逆上して領を飛び出した』らしいんだけど」
「はあ? なんだそりゃ?」
銀狼伯の瞳が、一層鋭さを増す。二人の伯爵に気圧されそうになりながら、慎重に言葉を返す。
「ブレッサ=レオーニ伯爵家にお出しした手紙は、旦那様のご意向を代筆したものでございます」
「つまり、アドルナート伯爵家の公式見解でよろしい?」
「現当主が旦那様であり、その旦那様のお言葉である以上は」
「それにしては随分と中身のない手紙だったわねえ」
ブレッサ=レオーニ伯爵が赤い羽根飾りのついた扇を開き、口元の笑みを隠す。
「『チャールズ殿を廃嫡して、追放しました。今後の事を話したいのでお手紙下さい』。要約したらこれだけよ。
謝罪の言葉一つもないなんて、見くびられたものだわあ」
――そらそうだ。なにせ旦那様が直々に添削されたからな。
チャールズ様が出て行った日、俺はポンツィオ様からブレッサ=レオーニ伯爵家への対応を全て丸投げされた。
だが言葉通りに好き勝手やるわけにはいかない。こちとらたかが一家令、相手は辣腕の女伯爵。下手なことを書けば揚げ足を取られて責任問題やら賠償金やら、何を言われるかわかったものじゃない。
――何か言われた時、ポンツィオ様が代筆した俺の責任にしようとするのは目に見えているから尚更。
だからチャールズ様が出て行った直後の手紙も、必要最小限の内容に留めたのだ。
すなわち事情の報告と、謝罪。
そして手紙の確認と署名を貰いにいくと――
『なぜ謝罪をせねばならぬのだ! こちらだとてチャールズめの被害者なのだぞ!』
と駄々をこね、謝罪の言葉を――自分が書くわけでもないのに――
署名のためにはこちらが折れるしかなく、その結果、一番肝心な謝罪の言葉を削る羽目になった。
そんな経緯を知る
「私の娘ミカエラとチャールズ殿との婚姻は、そもそも私の夫レオーニ辺境伯領に隣接する両家の結束を深め、国境における防衛力強化に繋げるためのものなのは、知っているわね?」
「はい、存じ上げております」
「我らがスティーヴァリ王国の国境での影響力に関わるこの婚姻を、一領主の独断で反故にして良いと思う?」
「……家令にすぎぬ身で、そのような事柄に口を差し挟むなど」
「そうよねえ、あなたには答えられないわよねえ。だからこうしてわざわざ足を運んできたのよ」
パチン、鋭い音を立てて扇が閉じた。
「あなたの主は、この件にどう申し開きをするつもりなのかしら」
要するに、『お前の主人を早く出せ』という催促である。
麗しの女伯爵の目に一切の慈悲はない。銀狼伯も見せつけるように牙を剥く。
「……旦那様の体のお加減を確認して参りますので、しばしお待ちを……」
そうして仮病で引き籠っているポンツィオ様の部屋に向かおうとしたときだった。
「……あ? なんだ?」
ウルバーノ伯爵が顔を
そこにいたのは、チャールズ様の弟・ルチアーノ様だった。
肩で息をしながら、乱れたままの髪も直さず応接間をぐるりと見まわす。
血走った目が、眉をひそめて様子を伺うブレッサ=レオーニ伯爵と合った瞬間――……
「おい、女伯爵!! お前の所の行き遅れを貰ってやる! だから持参金を持たせてさっさと僕に寄こせ!!」
とんでもない事をのたまったのである。
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