家令ジョルジュの受難②


「ああ? 何で居るんだ『女狐めぎつね』」

「あらまあ、随分なご挨拶ねえ『銀狼伯ぎんろうはく』。それはこっちの台詞よお。アドルナート家と付き合いがあるなんて聞いたことないけれど?」

「そりゃ、テメエに言う義理ねえからなあ」


 ――……どうしてこうなった?


 俺――アドルナート家家令ジョルジュは、二人の伯爵のやり取りにただただ困惑していた。


 婚約を一方的に破棄されたブレッサ=レオーニ伯爵はともかく、白い狼の獣人である銀狼伯――ジズボルト・ウルバーノ伯爵は、どうして屋敷に乗り込んできたのか。


 そもそもチャールズ様とはいつ知り合ったのか。しかもさっき、とんでもない事を口走っていたような……。


「……お茶を淹れ直して参りますので、お座りになってお待ちください」


 ダメだ、状況に頭が追いつかない。冷静になるためにも、一旦離脱することにした……その前に。


「失礼いたします、ウルバーノ伯爵。ヒポグリフは中庭から移動させていただいても宜しいでしょうか」


「お? 何だアンタ、家令か。肝据わってんなあ。おう、普通の馬と同じで構わねえぞ。ただちっとばかし気性が荒いから気を付けろよ!」


「お気遣いいただきありがとうございます」


 そうして庭の衛兵たちに指示してヒポグリフを移動させ、庭師と男の使用人に庭の片づけを命じた後、手ずから淹れ直した紅茶を持って応接間に戻る。


「婚約者? お前の娘がかよ。チャールズも気の毒になあ」

「ちょっとどういう意味? 私の娘が可愛くないとでも?」

「娘は知らねえが、アンタとずっと付き合わなきゃいけねえってのは同情するぜ」

「まあ、酷い言い様。そういう貴方はチャールズ殿とはどういう付き合いなの?」


 ちょうど、ウルバーノ伯爵とチャールズ様との関係について言及する所だった。

 断りを入れて、新しい紅茶を給仕する。


「おう、あんがとよ。んで、チャールズとの付き合いだったか? さっき言ったろ、商売相手だ」


 紅茶を一口すすったウルバーノ伯爵が続けた。


「ウチのダンジョンから出るお宝目当ての冒険者共が、潜る度に怪我するからなあ。傷薬用の薬草がいくらあっても足りねえ。

 今まではダンジョン素材と引き換えに、別の所から仕入れてたんだが、『薬草なら余ってるので、よかったら取引しませんか?』って、去年の暮れにアドルナート領ここの商業ギルド経由で打診されたんだよ」


「なるほどねえ。家令殿は知らなかったの?」


 ティーカップに口を付けながら、ブレッサ=レオーニ伯爵が俺に話を振る。


「チャールズ様が成人されるまでは、商談の際は付き添いをしておりましたが、去年からは全て、チャールズ様ご自身の判断にお任せしておりました」


 九歳にして商才を発揮していたチャールズ様ではあったが、商談相手からすれば、いくら伯爵家の嫡男といっても、子供の言葉は信用に欠ける。


 そのため十五歳になるまでは俺が付き添いとして傍に控え、商談内容を把握していた。

 アドルナート家の家令が同席することで、実際はともかく、体裁の上では『アドルナート家公認の取引』と見なされるため、チャールズ様にとっても利があったのだ。


 実際、付き添いと言っても、本当に傍に居るだけの楽な仕事だった。


 前日に商談内容をチャールズ様と打ち合わせするものの、当日はほぼ後ろに控えて見守っているだけ。

 交渉はほぼチャールズ様が進め、細かい所を俺が補足する。

 最初こそ経験も浅く上手くいかないこともあったが、回数を重ねるうちにどんどん俺の出番はなくなっていった。


 成人後に、商談を自身の判断で進めるべきだと提言したのは俺からだ。


 ずっと後ろで眺めてきたが、チャールズ様の才覚は本物だった。

 必要な物を、必要なだけ、必要な場所に。貴族であることを鼻にかけ吹っ掛けることもなければ、若さを理由に引き下がることもない。

 未熟は承知で手を尽くし、いざとなれば伯爵家の肩書も利用する。


 次期当主として、申し分ない才覚を持っていた。これ以上の口出しはかえって成長の妨げになると判断し、身を引くことにしたのだが……一つだけ言わせてほしい。



 ――さすがに銀狼伯との領を越えたお取引はご報告くださいチャールズ様!

 ――それはもはや商談ではなく、です!!!



「あらまあ、それで取引がご破算になったのねえ。ご愁傷さまあ」


 哀れみどころか、むしろ喜悦すら滲ませたブレッサ=レオーニ伯爵の言葉に、思考が引き戻される。


「いや、その取引自体はギルド同士のやり取りで済むから問題ねえ。つーか、チャールズがそういう仕組みを作ってから領を離れて行ったからな。

 俺が許せねえのはコレだ、コレ」


 そう言った銀狼伯は懐から『何か』を取り出して、俺に寄こした。


 渡されたのは一枚の封筒。封蝋には、薬師ギルドの印が押してある。銀狼伯に視線で促されるままに、封筒から上質な紙を使った数枚の便箋を取り出した。


『拝啓、親愛なるウルバーノ伯爵閣下』


 その書き出しを見た瞬間、全身から血の気が引く。


「これは……チャールズ様が?」

「おう。本人の字だろ? ウチに届く手紙と同じモンだ」


 手紙の存在もそうだが、それ以上に今の一言で意識が遠のきかけた。



 ――チャールズ様、貴方様と言う方は!!

 ――旦那様と同等以上の爵位を持つ方とやり取りをされていたんですか!!?



「……あらまあ、随分仲良しなのねえ。ミカエラ私の娘以外に、手紙を出す相手が居たなんて知らなかったわあ」


 ブレッサ=レオーニ伯爵が口元に扇を当てながら、驚きと呆れの混ざった声で言う。


 貴族と言うのは、自分の手を動かすのは卑しいと考える生き物だ。着替えも、食事の支度も、掃除も全て使用人にやらせる。


 手紙だとて、家令などに代筆させるのが当たり前。直筆でやり取りをする間柄と言うのは、直系の家族や婚約者といった極々近しい人間に限られる。


 それを家族でもない、他家たけの貴族宛に自ら筆を執って手紙を書くとなれば、貴族の間においては大きな意味を持つ。


 直筆で手紙を書くことはすなわち、『あなたの為ならば手間は惜しまない』という意味になるのだ。


「言っておくが、先に直筆で手紙を出したのは俺だ。無礼だなんだと、見当ちげえなことぬかすんじゃんねえぞ」

「へえ、入れ込んでるのねえ。銀狼伯ともあろう方が、家督も継いでいない一令息にどうしてそこまでなさるのかしらあ?」


 ブレッサ=レオーニ伯爵の問いに、ウルバーノ伯爵は不機嫌そうに鼻を鳴らしてこう言った。


「読みゃあわかるさ」


 黄金の瞳が俺をギロリとねめつける。心の奥底まで射抜かんばかりの眼差しから逃げるように、便箋に目を落とした。


 おそらくチャールズ様は事業の一環として、薬草取引とは別に、ウルバーノ伯爵に何らかの援助を約束。あるいは、その準備を進めていたのだろう。


 それが突然の追放で全て水泡に帰したとしたら。


 銀狼伯が屋敷に乗り込んでくるのも無理からぬ話だった。


「それもそうね。読んで下さる? 家令殿」


 ブレッサ=レオーニ伯爵にもせっつかれ、震えそうになる指でチャールズ様直筆の便箋を取り出し、俺はゆっくりと手紙を読み上げた。


「……『拝啓、親愛なるウルバーノ伯爵閣下』」


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