???


「『門』が……開いた?」


 風一つない夜の森、懐かしき地の国の気配に目が覚める。

 『オレ』は身を潜めていた大木のウロから、でのそりと這い出した。


 光すら吸い込む真っ黒な毛並みに垂れた耳、弓なりの細い体躯に、太い鞭みたいな尻尾。


 猟犬の姿をした『オレ』は、湿った鼻先を宙に向け、気配のみなもとを探る。


 ――アイツが向かった野営地からだ。


 やがて一際大きな神の気配が現れ、すぐに消える。少し遅れて、地の国の気配も消えた。


 地の神ゴルゴンが退去したのだ。


「マジかよ……あるじ並みの術者があそこに居たのか?」


 オレはすぐに鼻先に意識を集中し、空気に漂う魔力マナの残滓を嗅ぐ。

 一番濃く残っている術者の魔力、それから――……


いでっ! 何だこの魔力マナ!?」


 吸い込んだとたん、喉が奥まで焼かれるような魔力マナに思わず鼻先を抑えて丸くなる。


「いででで、鼻が利かねえ……ダメだなこれ、戻ろ」


 オレは足跡を残さぬよう気を付けながら、すぐに主が用意した魔法陣の所まで戻る。


 森の奥深く、木々の陰に隠された【転移】の魔法陣。主が旅神メルキュリースの神殿で、神官を操って聞き出したもの。


「【転移アスポート】」


 古代語で呪文を唱えると、目の前が一瞬真っ白になり、すぐに見慣れた部屋へと到着した。


 薄明るい地下室の壁一面に並んだ棚には数多の魔導書、水晶玉、瓶詰にされた毒草や小動物の死体、刃物に燭台、木箱に詰められた蝋燭など、降霊術に使う為のあらゆる道具が整然と並んでいる。

 部屋の真ん中に鎮座する人ひとり余裕で寝られる巨大な祭壇の四隅には、鎖に付けられた革の枷がダラリとぶら下がっていた。


 そして、部屋の隅にある【転移】の魔法陣に現れたオレの前。

 暖炉の横に椅子を置き、こちらに背を向けて魔導書を開く男が一人。


 サイドテーブルには酒瓶と、汗をかいた氷だけが入ったグラス。見慣れた後ろ姿が、気配を察知してこちらを向いた。


「おや、グリム。戻ったのかい」

「起きてたのか、あるじ


 赤い絨毯を敷いた床を歩いて、暖炉と椅子の間に座る。丁度ひじ掛けの高さにあたるオレの頬に、主の手が伸びる。


「ずいぶん遅かったね。ゴルゴンは受肉できたかな?」


 死の匂いが染みついた手が、顔の横に垂れたオレの耳をねぶる。主との触れ合いをゆっくり堪能したい誘惑にかられるが、それどころではない。


「主、地の神ゴルゴンが退去した」


 カラン、とグラスの氷が鳴った。

 主は手を止め、両目を見開きジッとオレの顔を覗き込む。


「……退去? 受肉ではなく?」

「『門』が開いた。間違いない」

「……冥府の猟犬たる君が言うなら、そうなのだろうね」


 主は魔導書をパタリと閉じて、サイドテーブルの上に置いた。オレの頬に伸ばしていた手が椅子のひじ掛けに乗せられる。


「それと、『門』を閉じた後の魔力マナに混じって、妙な魔力があった。そのせいで鼻がやられて、感知が出来なくなったから引き揚げたんだ」


 報告を聞いた主は目を細め、自分の考えを口に出しながらまとめていく。


「神誓騎士は天の下僕しもべ、地の国の門は開けない。王宮魔術師が警護に入ったとも聞いていない……確か野営地に行かせた商人が、護衛の冒険者を雇っていると言っていたが……冒険者に、地の神を退去させられる術者がいるか……?」


 主はそう言って、本を持っていた方の手で頬杖をつき黙り込んだ。

 パチパチと、薪が静かに燃える音だけが地下室に響く。


「……グリム、王都に向かってくれるかい」


 少しの沈黙の後、主はそう言った。


「術者を探すのか? 王都全体だとかなり時間かかるぞ」

「二ケ所で良い。私がけしかけた商人ナルバの周りと、冒険者ギルド。期限は……ひとまず三日」


 そう言って主は魔導書を片手に立ち上がると、俺が出て来た【転移】の魔法陣の上に手をかざし、呪文を唱えた。


「【回収サルベージ】」


 【転移】の魔法陣と全く同じ模様が、魔導書の表紙に浮かび上がる。野営地近くの森にあった魔法陣を【回収】したのだ。


「追手は来ないと思うけど、念のため工房の場所も移しておこう。ゴルゴンの退去は痛手だな……折角いい依代よりしろを用意できたのに」

「あ、ゴメン主。依代の女、置いて来ちゃった」

「別にいいさ。とらえられたとしても、大した情報は持っていない。そもそも、からね」

「それもそうか」


 主は魔導書を本棚に戻すと、再び椅子に座って、サイドテーブルの酒を空のグラスに注いだ。飴色の液体がテラテラと氷の上を流れて、グラスの八分目まで収まる。


「私は王城を探るよ。依代を生かしたまま『退去』させられたという事は、術者は相当の手練てだれだ。お偉方えらがたで囲い込むか、最低でも何らかの形で『首輪』を着けるだろうね」


 主は片方の手でグラスを持って、もう片方の手でオレを手招きした。


「主。それだと、オレが探る意味あんまりなくない?」


 オレは招かれるままに主の足元に向かい、主の太ももに顎を乗せる。


「念のためさ。それに――」


 オレの頭のてっぺんから後ろまでを、主の手が優しく撫ぜた。


「見せしめに顔見知りを何人か呪い殺せば、おびき出せるかもしれないしね」


 主はオレの頭に手を置いたまま、グラスの酒で、ゆるく弧を描く唇を濡らした。

 パチン、と大きな音を立てて薪が爆ぜる。


「ふーん、オレにそいつらを呪わせるの? 天の下僕しもべがうじゃうじゃ居る王都で? はーあ、まったくよう。主はホンット精霊づかいが荒いぜ、もう!」

「尻尾ゆれてるよ、グリム」

「だって楽しそうじゃん!」


 真っ赤な絨毯の上で、オレの黒い尻尾が忙しなく左右に揺れる。


天の下僕アイツらのお膝元で好き勝手やって虚仮こけにしていいんだろ? 最っ高!」


 オレの言葉を聞いた主は、グラスを置いて両手でオレの顔全体をこねるように撫でた。


 ――ああ、主の手の匂い。爪の隙間まで染みついた濃厚な死臭!


 堪らず舌をダラリと垂らし、ハフハフと荒い息を吐く。


 主は、柔らかな笑みを浮かべたまま、こう言った。


「時代を変える為にあらゆる手段を尽くすのが『英雄』さ。何せ私は――




 ――『毒殺師の後継者』だからね」














――――――――――――――――――――――――――――

第一部、これにて完結となります。


ここまでお読みいただいた皆様に多大な感謝を。

本当にありがとうございました!


今後の更新予定は、近況ノートをご確認下さい。


2021/02/19  鳩藍




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