薬師の本領⑤


「【はーあ、最悪。天の下僕しもべまで来ちゃうなんて】」


 毒の球壁ドームの内側から、気だるげな女の声が聞こえた途端、全員が臨戦態勢を取りました。


 バーン様が真っ先に全員の前に立ち、その後ろに『黒鹿の角』の三人がそれぞれの武器を構えて並びます。

 ジャンニーノ殿は宝珠オーブを巨大化させて盾の代わりに前面に展開し、エベルト殿はその隣で毒の壁を見据えていました。

 チャールズ坊ちゃまは右手に杖、左手はマントの下に隠し、ベストの中に仕込んだ投擲とうてき用のダガーを掴んでいます。


 そして私――カンタリスは坊ちゃまの前に進み出ました。


 毒壁の中では、上半身だけを起こして地面に座り込んでいました。目に見える範囲では、胴体の形は元に戻り、傷は全て塞がっているようでした。


「チャールズくん、あの壁ってっても大丈夫?」

「ニャーン」

「『矢も溶かすので、おすすめしません』と」


 バーン様の後ろで油断なく弓を引き絞るアローナ様の質問に、私の代わりに坊ちゃまが答えてくれました。


「ま、魔術も溶けて毒になっちゃいましたもんね……」

「……中では毒、喰らわねえの?」

「『触れない限りは大丈夫』だそうです」


 リオ様とギデオン様の質問に答えると、毒の壁から再び女の声が聞こえます。


「【やあねえ、もう戦う気はないわよ。怖がらせ過ぎちゃったかしら?】」


 先程までの狂態を晒していた人間と同じは思えない投げやりな声。しかも、古代語です。

 面倒くさいという感情すら滲み出ているその声音に、あれはと確信しました。戦意がない、と言うのも本当でしょう。


『坊ちゃま、よろしいですか』

「ああ、わかった」


 私は念話で坊ちゃまに確認を取ると、毒壁のもとへと向かい言いました。


「【地の神ゴルゴンでいらっしゃいますか?】」

「【そうよ】」


 私の後ろで坊ちゃま以外の全員から驚愕の声と反応が上がりました。


「喋っ……!!?」

「……そういや、古代精霊か」

「今の古代語? リオ、なんて?」

「す、すみません! 呪文以外の古代語はちょっと……」

「ジャンニーノ」

「はいはい【指令コマンド翻訳トランスレイト】」


 ざわめきが収まった所で、ゴルゴンとの話を再開します。


「【お初にお目にかかります。土の神と疫神えきしんの血より生まれし眷属、人の子より『カンタリス』との名を受けております】」

「【いい名ね、カンタリス】」


 地の神ゴルゴンは退廃的な微笑を浮かべて言いました。

 見たところ受肉はしておらず、意識を失くしたに代わって対話に応じただけのようです。


「【それで、退去の儀はすぐ出来るのかしら?】」


 意外な言葉に思わず目を見開くと、ゴルゴンは私を見て小さく吹き出しました。


「【やあだ、そんなに驚く? それとも、まだまだ暴れていいの?】」

「【いえ滅相もなく。お望みとあらばすぐにでも執り行えますが、随分とあっさりお帰りになられるのですね】」


 ゴルゴンはハア、とこれ見よがしな溜息をつきます。


「【元々あまり乗り気じゃなかったのよ。好き好んでこの姿を人の目に晒したくなんかないし】」


 そう言って彼女が大仰な仕草で落ち込むと、いつの間にか復活していた頭の蛇たちも同じように大きな動きでうなだれました。


「【でもキチンとした儀式で呼び出されたし、そもそも呼び出されるのも何千年ぶりで嬉しかったからね。何より】」


 ゴルゴンは自分の、いえの胸に両手を当てます。


「【この娘が放っておけなかったのよ。あんまりにも可哀相だもの】」

「【かわいそう、ですか】」


 ゴルゴンが語った彼女の境遇は、壮絶なものでした。


 彼女は美しい女性でした。裕福な商家に生まれ、教養のある両親と、将来有望な婚約者。何もかもに恵まれた女性は、不自由のない暮らしをしていました。


 しかし、彼女の美貌と幸せを妬む女がいました。女は素行の悪い男たちを雇い、彼女に狼藉ろうぜきを働いた挙句、その美しい顔に火を点けて焼いたのです。


 婚約者は彼女の醜さを理由に離れ、良縁を逃した娘に両親の目は冷たく、外に出られなくなった彼女を『ごくつぶし』と呼びました。


 そして悪いうわさで客足が遠のき、商家をたたむ事になってしまった両親は、『お前のせいだ』と言って彼女を追い出したのです。


 何にもかもに恵まれず、明日の食事さえも不自由する路頭での暮らしは、すぐに彼女を追いつめました。


 誰にも顧みられず、誰からも手を差し伸べられず。助けを求めれば目を逸らされる。


 ――誰も彼も、自分より恵まれている筈なのに、どうして助けてくれないのか


 そんな疑問に答える者すらなく、暗い路地裏で命を終えようとしていた時。


「【私を呼びだした術者が、彼女の事を助けてくれたんですって】」


 ――それが、彼女の言う『あの方』とやらですか。


 ゴルゴンの言葉に相槌あいづちを打ちながら、続きを聞いていきます。


「【ほら、私も美神アプロナースにされちゃったから。天を追放されてこっち来てからも、随分苦労したのよ。だから無下にも出来なくってね】」

「【それで、彼女に力を貸す事を承諾したと】」

「【ええ。『自分を酷い目に遭わせた人間たちに報復する代わりに、死後に彼女の身体と魂をもらう』っていう条件でね】」


 けど、と言ってゴルゴンは、神誓騎士のお二人に鬱陶うっとうしそうな視線を投げかけました。


「【人間への復讐に力を貸すとは言ったけど、天の下僕しもべの相手は契約外よ】」

「【それで、退去をお選びになると】」


 退去は本来、憑依された者から憑依したものを強制的に追い出す術です。大抵、憑依したものから激しい抵抗を受けるのですが、今回のように自分から退去に応じると言うのは、かなりまれな事態です。


「【さすがに私だけじゃ荷が重いし、他の神もうるさいもの。それに、あなたと戦うのも苦労しそうだわ】」

「【過分なご評価、痛み入ります】」


 話がまとまった所で、私はチャールズ坊ちゃまにお声をかけました。


 心配そうな顔の『黒鹿の角』の皆様に坊ちゃまは軽く会釈し、杖だけを手に私の隣に立ちます。


「【恐れ多くも地の神ゴルゴン。若輩ながら、あなたのご帰還をお手伝いさせていただきます】」


 坊ちゃまが古代語で丁寧に挨拶をすると、ゴルゴンはかなり上機嫌になりました。


「【あら、あなたの術者も若いのね。それに――神に好かれる顔をしてる】」

「【恐れ入ります】」


 坊ちゃまは一礼した後、ゴルゴンの目を見て言いました。


「【恐れながら、ご帰還の前に伺いたい事がございます】」

「【なにかしら?】」

「【あなたを呼んだ術者についてです】」


 ゴルゴンを呼んだ術者。『あの方』と呼ばれ、ゴルゴンを憑依させた女性に虐殺を命じた、一連の黒幕。


 後ろにいる神誓騎士のお二人が、ジッとこちらの様子を伺っています。


 ゴルゴンは私と坊ちゃまの顔を見て、少し考えてから言いました。


「【そうねえ。あまり不義理はしたくないけれど、カンタリスの主である事に免じて、一つだけ教えてあげるわ】」


 ゴルゴンは立ち上がり、私が作った毒壁に触れるか触れないかの距離まで近づき、坊ちゃまに向かって手招きをします。


 坊ちゃまと私は互いに頷いて壁際まで寄ると、ゴルゴンは私たちにだけ聞こえる小さな声で言いました。


「【彼は、英雄になりたいんですって】」


 面白くってしょうがない、とでも言いたげにゴルゴンはクスクスと笑っています。


「【彼、自分の事をこう言っていたわ】」

「【『弱き者を顧みないこの世界を変える為に立ち上がって弱者を救う』】」

「【『かつて、亜人を虐げていた王に毒を盛った英雄のように』】」


 ゴルゴンの口から放たれたその言葉に、私と坊ちゃまは息を呑みました。








「【自分こそが――毒殺師の後継者、だって】」







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