第16話 人生の岐路

 鍵を閉めた途端、悶えながら抱きしめ合ってベッドにダイヴしたなんてことは、僕らにはあるはずもなく、施錠の音と共に緊張でふたりして足と手が同じく出てしまった。

「本当にいいんですか? ちゃんとお母様は了承して下さいました?」

「大丈夫です。さっきからそればっかりですね。そんなに僕としたくないんですか?」

「いえいえ! したいかしたくないかと聞かれたら……」

「聞かれたら?」

「ものすごく、したい、です」

 あまりに真剣な顔は、顕微鏡を覗いているときの顔と同じだ。

「ちなみに母には言いましたけど、父には言ってません」

 顔面蒼白。京介さんの口から変な奇声が出た。

 父にも将来のことは相談しないといけないと分かっていた。けれどまずは京介さんだ。一に京介さん。二に京介さん。三に京介さん。今は彼と繋がりたい。

「早くシャワー浴びてきて下さい」

「わ、わかりました……」

 本当は心臓がはちきれそうで、僕がひとりになる時間がほしかったのだ。気づかれていないと信じ、布団に横になった。

 引っ越しのわりには京介さんの荷物はそれほど大きくなく、ほとんど送ったのだそう。

 代わる代わるシャワーを浴びて出ると、京介さんは膝を抱えてベッドの上にいた。

「なずな君、こっちに来て下さい」

 ベッドに上って僕も同じ体勢で座ると、顔を合わせて笑ってしまった。

 甘い時間は待てどもやって来ず、彼を押し倒した。

 京介さんは僕をひっくり返し、上から強く抱きしめる。

 僕も背中に手を回し、答えた。

 脱がせるつもりはなくてもバスローブはいとも簡単にはだけてしまう。

「ん……、……っ…………」

「すごく……気持ちいいです……」

 触れられているのは僕なのに、京介さんは上擦った声を上げる。

 熱くなった股間をくっつけ擦り合わせ、欲のなさそうな僕らとは正反対に獣になった。

 ジェルとスキンは、ここに来るまでふたりで購入したものだ。

「あっ……つ…………」

「痛いですか?」

「へいき、です…………」

 指を中へ入れられたとたん、味わったことのない変で痺れる感覚に襲われた。

「ん、あ、……は………」

 興奮しているのか、京介さんの熱い息が身体にかかる。

 一本が二本に増え、狭い窄みがすんなりと受け入れていく。

「…………いいですか?」

「はい……」

 見たかったのに、隠されてしまった。恥ずかしいと訴える彼は、小さな呻き声を出した。

「あ、あ……あ……っ…………」

 痛くはなく、強い圧迫感だけだ。けれどそれも心地いい。

 僕らは獣。誰も見えないところで貪り、小さな愛を育む。

「おっきい…………」

「……なずな君があまりに可愛くて……どうしよう、夢みたいだ」

「離れてしまっても……僕を愛してくれますか……?」

「なずな君」

 京介さんが奥へ奥へと入ってくる。限界がすぐそこまで近づいてくる。

「君のことが、とても好きです。離れていたって、心はずっと側にいます。君の選ぶ人生を尊重し、ずっと幸せを願っています。僕は北海道へ行きますが、諏訪京介と出会えたことを、想い出にしてほしいです」

「京介さん……愛してます」

「ええ、僕も同じ気持ちです。遠く離れていても、気持ちは変わりません」

 お互いに緊張していたせいか、中で果てることはしなかった。僕たちは互いに擦り合い、手の中で出した。

「キスしたの……何回目でしたっけ?」

「四回目ですね」

「そんなにしました?」

 ベッドの中で、京介さんは僕を引き寄せた。普段見ることのない男らしい仕草にどきりとする。

「君の知らないところで、こっそり」

「え、いつですか?」

「車と、アルバイト」

「…………あ、あのときですか。僕を家まで送ってくれたとき?」

「そうです。あまりに寝顔が可愛かったので。アルバイトは、なずな君が眠ってしまったときです。可愛かったので。すごく可愛かった」

「も、もう分かりましたって」

 そう何度も連呼されると、どんな顔をしていいのか分からなくなる。

 しばらく抱き合ったりキスしたりごろごろしていると、スマホに電話がかかってきた。僕の鞄から音がする。画面には母の文字で、出ようかどうしようか判断に迷っていると、京介さんは早く出なさいと無言の圧力をかけてくる。

「もしもし?」

『今何時だと思ってるの? もう夕方よ』

 呆れた母親の声に時計を見ると、いつの間にかこんな時間になっていた。楽しいときは、ときが経つのが早い。

「ごめん、今……えと、もう少しだけ……あっ」

 京介さんは僕からスマホをそっと取る。

「こんにちは。先日はお世話になりました。なずな君の大学の准教授の、諏訪京介です。ええ、そうです。はい。私が大学を離れるために、彼が送別会を開いてくれているんです」

 嘘が苦手な彼は、しどろもどろになることもなく、丁寧に答えている。

 激しい送別会だが、送別会で間違いはない。嘘とまではいえない別れだ。

「はい。夜には返しますので。大変ご迷惑をおかけしております」

「え? ちょっと待って、夜って」

「では、失礼致します」

 切ってしまった。信じられない。

 京介さんを睨んでもどこ吹く風で、うまく丸め込まれた気分だ。

「正直……一緒にいればいるほど別れが辛くなります。別れはこれ以上体験したくないんです」

「京介さんはいろんな大学に行き来してますからね……」

「そうではないです。僕がなずな君のアルバイト先へ会いに行って、朝方別れるとき、どんな気持ちだったのか分かりますか?」

 少しむきになり、真剣な病状で京介さんは訴える。

「………………あ」

「どれだけ寂しい思いをしたか……。別れの体験を数多くこなしてきたからこそ言えるんです。引き延ばすべきじゃない。だから今日は帰します」

「今日は?」

「ええ、今日は。その代わり、君が大学を卒業して北海道に来たら、今度こそ離しません。絶対に」

 なんて力強い言葉だろう。僕も答えたい。

「まずは卒業という形で、京介さんに愛を証明します」

「ふふ……楽しみにしています」

 僕は真っ白な身体に抱きつき、しばらく会えなくても寂しくないようにと、彼の体臭を堪能した。




「お父様、お話があります」

 かしこまった言い方に、父も微かに眉を上げた。

 座卓を挟んで向かい側に座ると、母は席を立とうとするが、僕は止める。

船木さんが出してくれたお茶をひと口飲み、落ち着いてから口を開いた。

「司馬さんの件ですが、お断りしました」

「…………そうか」

 言葉少なめに、父もお茶に口をつける。

「悪い話ではないと思ったんだがな」

「父にとっては悪い話ではなかったと思います」

 父に対して、僕は初めて毒を吐いた。父は表情には出さなかったが、動揺したのか茶托にきっちり置けずにからからと音を立てた。

「お断りした理由は、好きな人がいるからです」

「背負えたはずのものを捨ててでも一緒になりたいのか?」

「はい」

 きっぱりと、僕は答える。

 背負えたものの中には、財産、スポンサー、苦労の知らない将来の約束など。ただし愛は除く。残念ながら、僕が一番ほしかったものが入っていない。

 母は心配そうに見つめていたが、何かを悟ったように目を見開いた。僕は気づかないふりをする。

「まずは大学の卒業を目指し、勉学に励みます。何も恋だの愛だのうつつを抜かすわけではありません」

「そうか。頑張れ」

「はい。頑張ります」

 頭を下げると、父は立ち上がって廊下に出た。横を通るとき、花の優しい香りがした。

 残りのお茶を半分すすり、僕は沈黙を破った。

「この家の子としては、僕は生きられない。前々から思っていたんだけど、居場所がないんだ。でも今は悪い意味じゃなくて、僕は僕の人生を歩みたいって意味。多分、父は僕を養子に出したかったんだろうけど」

「……………………」

 何も言わないところを見ると、父は母に相談していたようだ。

「みんなのこと嫌いって意味でもないから。良くしてくれるし、お世話にもなってる。でも空気が合わないんだ。例えばの話だけど、医者になりたい人が花屋で働いてても仕方ないでしょう? 合う合わないってそういうこと。ここにいても、やりたいこともできない」

「あなたの気持ちは分かったわ。それで、確認したいのだけど……」

「はっきり言っていい」

「なずなは……男の人が好きなの?」

「…………うん」

「そっか……」

「元々跡取りになるつもりはなかったし、僕は子供を作れない。女の人と付き合うことすら想像できないんだ」

「……………………」

 ショックという顔ではないが、母は戸惑いを隠し切れていない。仕方ない。誰しもが自分の『普通』が世界になる。遅くまで准教授といたことが、不安にさせたのだろう。

「聞いてくれてありがとう。こういうきっかけがなかったら、僕から言い出せたか分からない」

「……ごめんなさい。何を話したらいいか」

「お互いに時間は必要だと思う。深く考えなくていい。今は僕が大学を卒業できるかだけ頭に入れてほしい」

 多分、僕が准教授が好きだと気づいている。彼に迷惑をかけるわけにはいかない。泣かずに別れを告げ、約束したんだ。

 今すぐに分かってほしいとも思わないし、約束のうち一つに、前を向いて歩こうというものもある。

 小さな幸せを胸に、僕は堂々と顔を上げた。

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