奥さんはオークさん

さぐさぐ2020

第1話 奥さんはオークさん

 16年に一度、世界を繋ぐ扉が開く――――。



 その日は澄み渡る星空に大きな満月が浮かぶ明るい夜だった。


 キャベツ多めの焼そばにわかめの味噌汁というほぼインスタントな晩御飯を済ませ、食器を片づけた小森こもりとおるは、これだけは奮発して買った37インチのテレビをつけた。


 生放送の情報バラエティだ。今日はスーパームーンで、などとライブ感を強調するコメントを女子アナが話していた。


 田舎から出てきて3年。会社まで1時間半のこのあたりは都心ほどの高いビルは少ないが、それでも人口が多い住宅密集地だ。山と川と畑だけが広がりお隣さんは1キロ先という、透の育った集落とは景色が全く違った。


 このワンルームマンションでのひとり暮しにもようやく慣れ、近隣に顔見知りも増えてきた。商店街に行けば気さくに声をかけてくる馴染みの店主もいた。


 仕事もまずまずだ。地方大学で農学を学んだ透は中堅の飼料会社に勤めている。牛や豚のえさの開発研究が担当だ。

 定時にあがれることは少ないが、かといって深夜残業になるわけでもない。土日祝はきっちり休みだ。課長や部長は全国各地の飼育農家と直接打ち合わせをするため月に何度も出張しているが、平社員の透は今のところずっと本社勤務だ。今の時代としては安心安定の労働環境だった。


 リモコンで国営放送のニュースに切り替える。こっちに来た当初、民放が8つもあるというのは透には衝撃だった。

 番組表が覚えきれなかった。

 だから、国営放送が安心出来た。慣れていた。


 ニュースを見ながら、1ドアの冷蔵庫から缶のチューハイを取り出す。風呂に入る前にニュースを見ながらチューハイを1本飲むのが日課になっていた。


 もちろん近所に居酒屋や立ち飲み屋はたくさんある。

 が、わざわざ行くのは億劫だった。

 行ったことがあるにはあるのだが、隣の知らないおじさんからやけに話しかけられたのが苦手に感じられた。以来、もっぱら宅呑みだ。


 350ミリが半分空いたころ、ドアをコツコツとたたく音が聞こえた。

 風かな、と思ったが、それからまたしばらくしてコツコツ、と鳴った。

 宅配便だろうかとハンコを片手にドアスコープを覗くと柱のようなものが見えた。


 他に人影はない。

 不審に思ってチェーンロックを外し、ドアを開けた。

 そこには、太く長い二本の柱がややハの字になって立っていた。


「え、なに? これ?」


 柱に沿って目を上に向けると、柱の上に巨大な物体が乗っかっていた。

 その姿は。


「え? 巨大ロボ? え? え?」

「違います」


 場違いにかわいい声が上方から降ってきた。


「ええ?」


 月明かりに目が慣れてきた。


 マンションの通路に立っていた

 それは、鎧に身を固めた巨人だった。


「は?」

「入っていいですか?」


 また女の子のかわいい声。


「あ、はい、ど、どうぞ」


 入れるのか? と思いつつ透は部屋に下がり、テーブルの脚をたたんで脇にどけた。


 巨人はガシャンガシャンとあちこちぶつけながらも、横向きの四つん這いという複雑な態勢で部屋の中に入ってきた。

 普通の玄関なのに、まるで茶室のにじり口のようだった。


 どこからかうるさいぞーという罵声が聞こえた。


「早く入って」

「は、はい」


 何とか全身を部屋に入れると、がちゃがちゃと音を響かせながら靴を脱ごうとしている。

 靴、というか膝上まである金属製のブーツだ。しかも、腰の鎧と複雑に接続されているようで外すのに難儀をしていた。


「うちフローリングだから、雑巾がけしたらしまいだから、そのまま上がって」

「は、はい、すみません」


 四つん這いになりながら部屋の真ん中まで入ってきた。鎧のこすれる音が響くが、部屋の中でならいいだろう。

 このマンション、意外に防音はしっかりしている。サッシも二重ガラスだし。


 それにしても、12畳のワンルームでよかった。

 四畳半とか六畳に部屋が分割されていたら多分納まらなかっただろうと透は思った。

 それに部屋の中で立つことは出来なさそうだし。

 ここの高さは2.4メートルだけど、彼女の身長の方が明らかに高い。3メートルまではなさそうだが。

 ギ〇スブックに載れるんじゃないかな。この子。


 巨大な女性は、透の前で正座した。

 褐色の肌。緑色の髪の毛。赤い瞳。長い耳。彫りの深い美人だ。そして全身を覆う、角や牙や目玉などの不気味な意匠があしらわれた異形の鎧。

 しかも鎧姿の割には肌の露出が多い。脇や太ももや胸の上半分は素肌だ。

 よく見たら、腰に大剣を吊るし、左手に盾も持っている。

 露出した部分の筋肉が割れて盛り上がっている。脇が割れてる人っているんだな、と透は感心した。太腿の太さなんて、透の胴の倍ぐらいありそうだ。

 何よりこの巨大さ。


 どこからどう見ても、日本人じゃない。流暢に日本語操っているけれど。


 透は立ったままだが、彼女の顔が上にあった。見上げながら透は尋ねた。


「君は誰? そして何の用でここに来たの?」

「わたしは☆★◇×??×〇●□◆■……」

「え、何て言ったの?」

「☆★◇×??×〇●□◆■……」

「うーん、わからない」

「そうですか。昔は聞き取っていただけたんですが、では、こちらで戴いた名前で。マイです。覚えていますか、透さんが名付けてくれたんですよ。迷子だから、マイちゃんだって」

「マイちゃん?」

「そうです。覚えていませんか? 里山で夜中に二人で遊んだときのこと」

「夜中に? 迷子のマイちゃん……? 里山……?」


 そういえば、小学生の頃は夜中にホタル狩りをしたり、クワガタムシを採ったりしていたな。

 夜が明ける前にタケノコを掘りに行ったこともある。

 両親は畑仕事で朝が早いから日が暮れるとさっさと眠る。親が寝た後テレビを見ているとうるさいって怒られるし、当時はもちろん携帯電話なんてなかった。他に娯楽もないから勢い夕食後は山や川を一人で走り回って遊んでいた。

 小学校の友だちも山二つ向こうだったし、田舎だから夜に子ども一人でも別に物騒じゃない。

 危ないとしたら熊やイノシシだが、夜は寝ている。昼間の方が注意が必要だった。


「え、ほんとに覚えてないんですか? 私のこと」

「いや、こんなインパクトのある美人さん、見たら忘れないと思うんだけど」

「当時は小っちゃかったですよ! 私もまだ5歳でしたし! ほら、月見草が咲いていた夜です!」


 月見草?


 あっ!


 透は突如思い出した。忘れていた出来事。そうだ、学校の国語で太宰治を習って、そこに出てきた月見草を見てみたいな、とお母ちゃんに言ったら、温かくなったら裏山の北側で咲くよと教えてもらったんだ。


 それから夏になるのを待って、満月の夜に見に行ったんだっけ。

 そしたら、月見草が満開で、嬉しくて草むらを走り回っていたら……。




『えっ、えっ、えっ、えっ……』

『あれ、誰かいるの?』

『えっ、えっ、えっ、えっ……』

『おおい、誰かいるの? いるよね?』

『え、ひっく、★■〇☆×■×■●■、えっ、〇☆◇□★■、うえっ、えっ、◇□★■〇☆……』

『なんだ、迷子か。泣かないで。もう大丈夫だから。そら』


 透は手を差し出した。背の高い草むらの中で、ぎゅっと握り返す小さな手があった。


『見いつけた!』


 透は草むらから抱きあげた。草と同じ緑色の、長い髪の毛をした小さな女の子だった。

 高く担ぎ上げると、月見草の群生を上から見て目を見開いている。

 着ているものはシンプルなノースリーブのワンピース。

 ワンピースというか、長い綿のシャツみたいな感じだ。そしてはだしだった。


『☆◇□★■◇、□★■〇☆、×★■〇☆×■×◇!』

『うん、このあたりの草は自然のままで誰も手入れしないから、伸び放題なんだ。その身長じゃ、周りが見えないのも仕方ないよね。肩車してあげるよ。方向分る?』

『×■×◇、□★■×□★■〇☆◇×□★』

『分った。行っくよー!』


 透は肩車したまま駆けだした。女の子はとても軽かった。

 怖がるかなとはじめは心配したが、肩の上でキャッキャとはしゃいでいた。さっきまでべそをかいていたのが嘘みたいだ。


 しばらくすると川に出た。ゆるやかに流れる水が月の光できらきらと輝いていた。

 川の途中に顔を出している石を踏み台にぴょんぴょんと飛んで渡る。この山の遊び場は隅から隅まで知っている透だった。


『■〇☆×××★■〇、☆×■××××、★☆!』

『え、自分もやりたいって? ダメだよ、足が届かないよ』

『×××★☆×■×◇!!!!』

『もう、仕方ないなあ。川にはまって泣いても知らないよ』


 女の子を降ろすと、待ちかねたように川に向かってジャンプした。

 透はあきれた。途中の石を飛ばして、たった二歩で向こう側に渡り切った。信じられない跳躍力だった。


『すごい! お見事!』


 透は拍手した。小さな女の子はえっへんというように胸を反らした。

 そして今度は少し助走をつけて、たたたと走ってこっちに向かってジャンプした。

 川幅を一度に飛ぶつもり!?

 だがそれは無謀というものだった。案の定届かず、放物線を描いてドボンと勢いよく川に落ちた。


『おい、大丈夫かい? 無茶するなあ』

『■●■◇□★■……』


 女の子は川の中をざぶざぶと歩いて、ずぶぬれで岸に上がって来た。


『あ~あ。まあこの気温だから風邪は引かないだろうけど、服全部脱いで』


 女の子は素直に従った。着ているものは綿シャツワンピースとズロースだけ。ためらいなく脱いで裸になった。

 透がぎゅっと水を絞って、パンパンと広げた。ウエストポーチからタオルを出して、女の子の体を拭いてやる。緑の長い髪の毛は丁寧に。髪を持ち上げると、長い耳があった。耳の中も拭いてやる。中耳炎になったら大変だ。

 実は透も調子に乗って川ぼちゃすることがあり、タオルはいつも持参していた。

 さらにポンチョも出した。山の天気は変わりやすいので、にわか雨対策で必須なのだ。

 父親に貰ったウエストポーチは元々畑仕事用のものなので、収容力は抜群だった。


『乾くまでこれを着ているといいよ』

『☆■●●◇、×□☆☆★』

『お礼なんていいよ。さあ、行こう』


 さすがにノーパンの女の子を肩車するのはためらわれたので、腕をとって歩き出した。はだしなのが気になるが、さっき川の中を歩いても平気だった。川底には結構尖った石もあるんだけど、足の裏が丈夫なんだろう。

 濡れたワンピースとパンツはウエストポーチのベルトに引っ掛けて干している。歩いているうちに乾くだろう。


 途中、大きなヤママユガを追いかけ回したり、トカゲを捕まえたり、随分寄り道をした。

 目的の場所に着いた頃には、月がほぼ真南に来ていた。もうすぐ日付が変わる時刻だ。


『このあたりだよ』

『☆■●●◇、×□☆★●◇!』

『まだ生乾きだけど、これ』


 女の子はポンチョの中で服を着た。着終わるとポンチョを脱いで返してくれた。


『☆◇×□★』

『この奥に? 扉があるって?』


 そんなの見たことがないと思いながら、木々の間を抜ける。


 あった。

 大きな扉が開いていた。


『ほんとだ。いつこんな扉が出来たんだろう?』


 扉の向こうはぼうっともやって光っている。


『そうだ、君、名前は? なんていうの? ぼくは透。小森透っていいます』

『☆★◇×??×〇●□◆■……』

『それはぼくには発音できないな。あだ名で呼んでいいかな? 迷子だから、マイちゃん!』

『☆★◇×??×〇●□◆■……。マイ……』

『そうだ、君の名前はマイ! またおいでよ! 一緒に遊ぼう!』

『マイ。トオル。アソビ?』

『今は夏だけど、秋には山が真っ赤になるし、果物も採れるよ。冬は一面雪だから、ソリやスケートも楽しいよ。春には桜が咲いてきれいだよ』

『キレイ!?』

『そうだよ、マイちゃん、今夜は楽しかった。また一緒に遊ぼう』


 幼児は、高齢化が進むこの集落では珍しい。透も初めて会った年下の女の子だった。

 山の分校は、透の学年が卒業すると閉校が決まっていた。

 透も本当に楽しかったのだ。


『イッショニ』

『ああ、一緒になろう!』

『トオル、イッショニナロウ』


 何か言い間違えたような気がした透だったが、気にはしなかった。


『☆■●●◇×□☆☆★』

『うん、またね! マイちゃん!』

『マタネ』


 マイちゃんは扉の中に走っていった。

 しばらくこっちに向かって手を振っていたが、突然扉ごと掻き消えた。


 満月が真南にあった。日付が変わったのだった。


『あ、いけね。いくらなんでも戻らないと』


 大きな満月が見せたあやかし? それとも月見草の咲いた夜の幻想かな。月見草に幻覚成分なんてあったっけ?


 不思議な出来事だったが、透は小学生らしく適当な解釈をして、やがてそんなことがあったことすら忘れてしまった。




「月見草に埋もれてたマイちゃん! あれは、本当の出来事だったのか。今の今まで夢だと思っていたよ!」

「ひどいです! 透さん。私は故郷くにで一所懸命日本語を覚えました。遊び、一緒、奇麗。その単語は日本語だって、それで先生に習ったんですよ!」

「そうだ。あの扉。あれは次の日行ってももうなかった。だから夢だと思い込んだんだ。マイちゃんの故郷くにって、一体どこなんだい?」

「あの扉は16年に一度開く世界を繋ぐ回廊コリドーです。私の故郷はこことは違う世界。その中の、オーク族の里」

「オーク!? ファンタジー作品によく出てくる、あの亜人のオーク?」

「はい、知ってます。日本のファンタジー小説も勉強がてらよく読みました。作品によって描写がいろいろなのは、二次創作的な伝聞推量で書かれているからだと思いますが、オーク族です」

「なんか僕の知ってるオークって、もっと獣的というか、イノシシ的なんだけど」

「それはオーク族の男性ですね。よくブタっぽく描かれていいますが、あそこまでブタじゃないです。どっちかといえば、日本の鬼や天狗に近いです」

「それはファンタジー作品ではオーガの類だね」


 たしかに、鎧を着ているマイは女の赤鬼に見えないこともない。銅色の筋肉がキラキラと光っているし、耳飾りが角のように尖っているし。顔は可愛いけれど。


「そうですね」

「で、マイちゃんは、何をしに僕のところへ? あ、あれか、また遊ぼうって言ったから?」

「いえ、まあ、それもありますが、透さん、あの日の出来事を思い出したんじゃないんですか?」

「思い出したよ。でも、最後になんて言ったっけ? 確か……」


 そうだ。なんか混乱して口走った。


 一緒になろうって。


「一緒になるって言ってくれました。そもそも、私に名前を付けていただきました。日本の名前を」

「え?」

「オークの里では、嫁に新しい真名をつけるのです。自分のものだから手を出すなという宣言です」

「なにその男尊女卑社会!」

「だって、オークの里ですもの」


 確かに。人間社会の文化を押し付けてはいけないな。異文化は大事にしなきゃ。

 って、それって! つまり!


「はい、16年かけて花嫁修業をしてまいりました。透さん! 私をお嫁さんにしてください」


 頬を染めながら首を垂れるマイちゃん。


「じ、じゃあその格好は?」

「はい、オーク族の正装。花嫁衣裳です!」

「やっぱり!」

「よろしくお願いします!」

「いや、でも、僕まだ25だし。マイちゃん養うだけの甲斐性ないし!」

「大丈夫です。私ももう21歳。日本文化はちゃんと勉強してきました。それに」


 マイが肩のアーマーを開いて巾着袋を取り出した。

 巾着袋の中身を透に見えるよう、フローリングの床にばらばらと出す。

 それは、宝石の山だった。

 ルビー、サファイヤ、ダイヤモンド。

 本物なのかどうかは透にはわからなかったが、一粒一粒がとても大きい。そして、やけにキラキラと光っていた。


「父が支度金にと持たせてくれたものです。この世界ではかなりの価値だと聞いています」

「ええええええ!」


 鬼の恩返し、なのか!?



 こうして、透の部屋にオークのマイちゃんが押しかけ女房としてやってきてしまいました。


 異世界を超え、人種、いや生物種を超え、身長差を超えて本当に結ばれることが出来るのか?


 それは、これからのお話をお楽しみに。

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