事件です!! 第九話

 三人の怪我人が運び込まれたのは、私が希望した通り軍の病院だった。ヘリが屋上に着陸すると同時に、病院のスタッフ達が駆け寄り、三人を建物内へと運んでいく。そして山崎やまざき一尉は、すぐに手術室へと運ばれていった。


『ドクター』


 手術室の前で待つこと二時間。出てきた医者が私に声をかけてきた。


山崎一尉キャプテン・ヤマザキの状態はどうですか?』

『大丈夫です。重傷ですが助かるでしょう』

『そう。よかった』


 それを聞いてホッとする。平等な目で、三人をみなければいけないのはわかっていたけれど、一番の重傷だったせいもあって、山崎一尉のことが誰よりも心配だった。


『あの状況下で、よく三人の重傷者の命を維持しましたね。ドクターの腕には感服しますよ』

『公邸のスタッフと、診療所のスタッフのお蔭です。途中で医療品の補充がなかったら、助けられなかったかもしれませんわ』

『日本の公邸で良かったですよ。ああ、もちろん襲撃されたことは、お気の毒だとしか言いようがありません。ですが、医療品がそろっていた公邸だったからこそ、初期治療ができたわけですし』


 こんなことで使うことになろうとは、思っていなかったけれど。


『でも、亡くなった人のほうが多いですわ』

『現場の状況は聞いています。我々医者でも、死人はよみがえらせることはできませんよ。それはもう、神の領域です』

『そうですね……』


 でも、まだ助けられた人がいたのではないかと、考えてしまう。もっと自分にできることがあったんじゃないか、自分が外を見て回れば、まだ息がある人を見つけられたのでは?と。


『このあと、キャプテン・ヤマザキは集中治療室にうつされます。容体が安定するまでは、そこで治療を続けますので、ここからは我々に任せてください』

『よろしくお願いします。日本への移送はどうなるでしょう?』

『もう少し容体が落ち着いてからですね。日本政府からは、早く帰国させたいと打診があったようですが、医師としては、まだ許可できないとしか。……大丈夫ですか?』


 相手が私の顔をのぞきこんできた。


『ええ、大丈夫です。少し疲れました。若いころと違って、徹夜はこたえますね』


 それまでずっと緊張していたせいか、どっと疲労感が押し寄せてくる。この感じだと、丸一日は寝ていられそうだ。


『ドクターの顔色もひどいですよ。ここには大使館のかたが迎えにみえるんですよね? 部屋を一つ用意させます、そこでお休みになっていてください』

『ありがとうございます。そうさせていただけると助かります』



+++



雛子ひなこさん」


 ベッドでうとうとしていると、裕章ひろあきさんの声がして、肩に手が置かれたのを感じた。


「……いま、何時?」

「そろそろ夕方だよ。大丈夫かい?」

「そんなに寝ていたの?」


 目を開けると、裕章さんが心配そうな顔をして、私を見下ろしている。


「大丈夫かい?」

「思っていたより疲れていたみたい。もう若くないんだっていう現実を突きつけられたみたいで、ショック」


 そう言うと、裕章さんがほほ笑んだ。


「まあ若くないのは事実だしね」

「でも、東出ひがしで先生は相変わらず、救命救急で元気だって話よ? 私のほうがずっと若いのに、おかしくない?」

「あの先生は特別製だよ。ああ、それで思い出した。その東出先生から僕宛にメールが届いたよ。内容からして、僕宛ではなく雛子さん宛だと思うんだけどね。読むかい?」


 裕章さんから渡されたスマホ。画面には、ぎっしりと文字がつめこまれた文面があった。


「もー……こんなに長文なの?」

「だから、読むかどうか最初に確認したろ?」

「まさかこんな長文だなんて、思ってなかった……」


 てっきり「大丈夫か?」程度のメールだと思ったら、まったく違うメールだ。


『事件が解決したらしいとニュース速報で流れた。年明け早々ご苦労。公邸側もおおぜいの死者と怪我人が出たと聞いた。備蓄されている医療品が、こんな形で役立つ日が来るとは複雑な気分だな。だが用意しておいてよかっただろう。助言をした俺と西入にしいりに感謝しろ』


「二人の先生に感謝しろですって」

「あの二人に、指定した医療品を備蓄リストに入れろって、うるさく言われたのは間違いないからねえ」


 裕章さんが笑う。


『北川のことだから、死んだ公邸警備のスタッフを助けられなかったことで、うじうじ考えこんでいるのではと心配している。医者は万能ではない。誰も彼も助けられる医者は、フィクションの中でしか存在しない。思い上がったことを考えず、助けた人間のことだけを考えろと伝えてほしい。それと使った医療品の補充は忘れるな。ではゆっくり休め』


「医療品の補充、しておかないとね。なにもかも使い切っちゃったし」


 私がそう言うと、裕章さんは溜め息まじりに首を横にふった。


「それより公邸の修繕しゅうぜんが先だよ。ここに来る前にあらためて見て回ったが、まったくひどいものだ。壁に穴があいて、端から端まで見通せる場所がいくつかあったよ。あの状態だと、公邸は当分のあいだ使えないね」

「そんなに?」

「ああ。まあ僕達を助けるために行なわれたことだから、大きな声で文句は言えないけどね」


 考えてみれば、あれだけ激しい銃撃の音がしていたのだ、公邸へのダメージがないわけがない。


「……ねえ、一つ気になることがあるんだけど」

「なんだい?」

「玄関ホールの花瓶はどうだった? 銃弾にあたって砕けてた?」

「まったく雛子さん……」


 私の質問にあきれたように首をふる。でも気になるんだからしかたがないじゃない?


「だって、気になるんだもの」

「雛子さんのご希望通り、こなごなになっていたよ。不思議なことにその場所は、玄関ホールではなく食堂でなんだけどね」

「そうなの? どうしてそんなところに運ばれたのかしら?」

「質問したくても、相手は全員この世にいないから、どうしようもないな。もしかしたら花瓶の中に、火薬でも詰めこんで、爆弾にでもしようとしていたのかも」


 もしかしたら軍が突入してくるのに備えていたのだろうか? あんな大きなものに火薬を入れて爆発させたら、一体どんなことになっていたのやら。


「良かった。そんな大きな爆弾が作られる前になんとかなって」

「まったくだ。さて、雛子さんの気がすんだなら、そろそろ我が家に戻ろうと思うんだけど、どうかな?」

「そうね。最後に三人の容態だけ確認してから帰る」


 ベッドからおりると靴を履いた。そして裕章さんと部屋を出る。


「でもマンション住まいで良かったわね。あそこに住んでいたら、それこそ大変なことになってた」


 修繕しゅうぜんがどのぐらいかかるか分からないけれど、きっと当分はホテル住まいになっていたはずだ。


「そうだね。ああ、それと」


 裕章さんが廊下を歩きながら話を続ける。


亜衣あい麻衣まいのことなんだけど、落ち着くまでは、日本にとどまることにさせたよ」

「どうして?」

「カルテルの報復の危険性ってやつだ。軍部と担当官と話をした感じでは、その危険性は限りなくゼロに近いとは思うけどね」


 しばらくの間は、こっちの日本人学校も、ピリピリした空気に包まれそうだ。


「落ち着くまで学校は休ませるってこと?」

「まさか。ちゃんと日本あっちで通わせるよ。そのへんは雛子さんの御両親に頼んでおいた」

「え? ってことは?」

「二人とも、たけると雛子さんの後輩になるってことだね」


 健が通っている高校は、私が研修医としてすごした大学病院と同じ敷地にある、附属高校だ。昔から、この手のことには柔軟に対応してくれる、私達夫婦にとっては非常にありがたい学校だった。


「いきなりの転入だけど、お兄ちゃんが一緒なら心配ないかしらね」

たけるのほうが大変そうだけどね」


 だけど起きたことが起きたことなだけに、今回は子供達も理解してくれるだろう。


「だから雛子さんは一度、帰国したほうが良いと思う」

「そうね」


 大抵のことはインターネットで処理できる時代でも、やはり転入手続きとなれば、保護者が行かないわけにいかない。それに私は、娘達が転入することになる学校のOBだ。いるといないとでは、手続きの簡略化が段違いになるだろう。


「裕章さんは? 本省への報告で帰国することはないの?」

「一度は帰国することになると思う。だけどそれはもう少し先かな」


 外に出るとダビさんが車をとめて待っていた。


『お疲れ様です、奥様』

『それはダビさんも同じでしょ? 運転、誰かに交代してもらえば良かったのに』

『大使の送り迎えは、私の大事な仕事ですから。ああ、大使、シートの下にこれが落ちていたのですが、お嬢さんのものでは?』


 そう言ってダビさんが差し出してきたのは、亜衣が大事にしているアヒルのボールペンだった。


「まったく亜衣ときたら、また大事な相棒を置き去りにしていったのか。困った子だね。ありがとう。たしかに受け取ったよ」


 裕章さんはボールペンを受け取ると、自分の胸ポケットにさす。


「あの子、アヒルちゃんがいないこと、あっちで気がついてないのかしら?」


 気がついたらすぐにでも、メールを送ってきそうなものなのに。


「イトコ達と遊ぶのに忙しくて、アヒルのことにまで気が回らないのかもしれないね」

「薄情な子なんだから」


 笑いながら車に乗りこんだ。


「雛子さん、自宅に到着するまで時間がかかるから、もう少し眠っていても大丈夫だよ」

「ありがとう。そうさせてもらう」


 そう返事をしてから、裕章さんの肩にもたれて目を閉じた。


 完全に眠りに落ちる直前、耳元でなにやら文句をいう声が聞こえていたのは、きっと気のせいだと思う。

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