事件です!! 第七話

 それから二日後、ちょっとした動きがあった。


「私は行きませんから」

雛子ひなこさん」

「どこに自分の患者さんをほったらかして、逃げる医者がいるの?」

「雛子さん、今は、そういうことを言っていられる時じゃないんだよ」

「行かないと言ったら行きません。私は最後までここに残ります。誰が、なんと、言おうと、ここに、残ります」


 私がはっきりと宣言すると、裕章ひろあきさんは溜め息をついた。


「まったく雛子さんときたら……」

「それに、私がいなくなったら、誰がこの人達をるの? そもそも解放するなら、怪我人も一緒でしょ? それを認めないなんてありえないわよ。だから私は残る」


 重傷とはいえ、全員の状態はそこそこ落ち着いている。武装勢力はきっと、交渉相手に揺さぶりをかけるために、怪我人を残すことにしたのだろう。


「裕章さん達だけじゃ、重傷者のこと、ちゃんとていられないでしょ?」

「しかし、雛子さん一人でも無理だろ」

「……」


 たしかに、今まで治療を手伝ってくれていた、女性職員がいなくなってしまうのは正直言って痛い。さすがに私もスーパーマンじゃないから、一度に三人の重傷患者の面倒はみきれない。状態が安定している今はなんとかなっても、急変したら手に負えなくなるのは、目に見えていた。あと何日、この状態が続くのか分からないけれど、必要なのは、怪我人の世話をする人の手だ。


「夫人が残られるのでしたら、私達だって!」


 とたんにあちらこちらから声があがった。その声に、裕章さんは困惑しているようだ。


「まったく君達ときたら。せっかく、ここから出られることになったというのに、今度はここにとどまる交渉を、私にしろと言っているのかい?」

「ですけど大使、奥様だけ残していくだなんて、公邸職員としてできるわけないじゃないですか。怪我人のお世話だって、今日まで私達がお手伝いして、やっとなんとかなっていたんですよ?」


 女性職員の言葉に、その場にいた全員がうなづく。裕章さんは全員の顔を見回してから、息を大きく吐いた。


「いいかい? これは大使としての命令だ。君達はここから出なさい。職員でないと無事な人間が誰か、怪我をしているのが誰か、伝えられないだろう? それも職員の大事な仕事だ。それから雛子さん、君は」

「の、こ、り、ま、す、か、ら!」

「……わかった。怪我人のことになると、雛子さんをおとなしく従わせるのは無理だってことは、ここ数日で相手もわかっているだろう。話してみよう。ただし」


 良かったとニッコリした私に、裕章さんは少しだけ厳しい顔をしてみせた。


「相手の返答がNOだったら、あきらめること。いいね?」

「……わかりました」


『あの、大使』


 そこで診療所のスタッフが手をあげた。


『なんだい?』

『ドクター一人で三人の重傷患者を見守るのは、さすがに難しいです。こちらのスタッフを一人、残していきましょうか?』

『かまわないのかい?』

『はい。ドクターにはいつもお世話になっていますから。もちろん、これも相手しだいでしょうが』


 つまり交渉しだいということだ。裕章さんは、やれやれと首をふる。


『君達は私の仕事のハードルを、どんどん上げていくね。わかった、それも話してみよう』


 そして残る医療スタッフとして名乗りをあげたのは、スタッフのかっこうをしたダビさんだった。



+++



『まったく、無茶ですよ、奥様。ここに残るだなんて』


 山崎やまざき一尉の包帯の交換をしているところで、ダビさんが小さな声でささやいた。


『それが医者というものなの。それに、無茶はあなたも同じでしょ?』


 開け放ったドアの外で、見張りの男が背中を向けて立っていることを確かめてから、小さな声で答える。


『診療所の人間じゃないってバレたらどうするの』

『医療の知識は持っていますから、バレる心配はありませんよ。ちゃんとそれらしく振る舞います』


 たしかに、包帯を巻くのも薬を飲ませるのも、とても手際が良い。それは彼が、長く軍隊生活をしていたからだ。


『……どうしてここに潜り込んだのか、質問してもよい?』

『もちろん、大使と夫人が心配だったからですよ。まさか奥様が、ここまでテロリスト相手にわがまま放題とは、思いませんでしたけどね』


 そう言って、ダビさんは小さく笑った。それからすぐに笑いを引っ込める。顔を下に向けつつ、視線は私の後ろに向けられていた。どうやら見張りの男が近づいてきたらしい。


『ドクター、その男が終わったら、我々の仲間の治療をするようにと、ボスからの伝言だ』

『わかりました。……あなた達もそろそろ、包帯の巻きかたを覚えても良いころだと思うけれど?』

『あなたがここに残ることが許される条件は、ここにいる怪我人の治療を、あなたがするということだ。我々に手伝わせたら、その条件を破ることになる』

『彼の言うことは正しいですよ、ドクター。約束は約束です。きちんと治療をしてあげましょう』


 ダビさんが、穏やかな顔を浮かべてうなづいた。その顔はまるで、ベテランのお医者さんのようだ。ダビさん、役者さんとしても、やっていけるのではないかしら?


 それぞれの怪我人の回診をすませて部屋に戻ると、溜め息をつきながらソファに腰をおろした。このソファは、もともと執務室にあったものだ。座り心地も良いし転寝うたたねにも最適よねと、私が常々言っていたのを覚えていた裕章さんが、ここに運び込んでくれたものだった。


「あらためて考えてみると、私達、テロリス相手に、けっこう無茶なことを押しとおしてるわよね……」


 リーダーらしき男が、気の長い人物でさいわいだったかも。


『奥様、少し休まれては? ここしばらくはろくに寝ていないと、ここにいたスタッフが言ってましたよ』


 薬と包帯の在庫状況を確認していたダビさんが、声をかけてくる。


『怪我人さんがいるから気になっちゃってね。なかなか寝られないの』

『ここで奥様に倒れられてしまったら、それこそ一大事です。彼らのことは私がみていますから、少し横になっていらしてください』

『ありがとう。そうさせてもらいます』


 そう答えると、ソファに横になって目を閉じた。



+++++



 気がつくと、誰かがボソボソと話しているのが、聞こえてきた。そう言えば、裕章さんと付き合い始めたころ、夜中になると誰かが足元や枕もとで、会議らしきものをしている夢を見たものだ。もしかしたら久し振りに、その夢を見ているのかも。


『では、そういうことなので』

『心づもりはしておくよ』

『カルロス、そっちの人質の安全は任せる』

『了解しました、チーフ』

『この部屋のことは、自分にお任せください』

『わかった。だが問題は、雛子さんがおとなしくしてくれるかだよ』


 なぜか複数の視線が、自分に向けられたのを感じた。この感じも昔の夢と同じだ。やっぱり、あの時と同じ夢を見ているに違いない。


『万が一の時は、少しばかり手荒なことをしますが、問題ありませんか?』

『命にはかえられないからね。君の判断に任せるよ』

『了解しました』


 私が寝返りを打つと、会話がピタリとやんだ。片目を開けると、裕章さんとセルナさん、そしてダビさんさんが私に背を向けて床に座り、食事をしているところだった。


『もう夕飯?』


 私が声をかけると、ダビさんが振り返った。


『よくお休みになってましたね。すみません、起こしてしまいましたか?』

『三人の具合は?』

『山崎さん以外はぼんやりですが、意識が戻ったようです』

『そう……あ、そろそろ痛み止め、処方しないとね。痛がってない?』


 腕時計を見て時間を確認する。そろそろお薬の時間だ。


『さっきからうなってますよ。ですが勝手に処置するのはどうかと思って、奥様の指示待ちです』

『そうなの?』


 慌てて起きあがる。とたんにお腹がグーッとなった。


『夫人、先に夕飯をお食べになったらどうですか?』

『だって痛がってるんでしょ? 放っておけないわ』

『大丈夫ですよ。彼らも痛みの原因はわかっているんです。死にかけたのですから、痛くないわけがないとね』


 ダビさんとセルナさんが笑い合う。こういうところがよくわからない。なんで二人とも笑っていられるんだろう。


『痛くないのが、一番の治癒の近道なのよ。ああ、意識が戻ったのなら、彼らもなにか、食べられそうな感じかしら?』

『さあ、どうでしょうね。まだそんな気分にはなれていないようですが、聞いてみましょう』


 さっそく薬を用意して、意識が戻った二人に注射をうつ。診療所から道具が持ち込まれて、本当に助かった。これがなかったら、二人も解放されるまでずっと、痛みに耐えなくてはならないんだから。


『山崎さんの意識が戻れば良いのですがね』

『そうね。でも眠っているということは、体が力をたくわえるために、睡眠を必要としている証拠なのよ。だからきっと大丈夫。助かります』


 そう言いながら、目を閉じたままの山崎一尉の額に手をあてた。


「そう言えば、私が起きる前、なにを話していたの?」


 裕章さん達が持ってきてくれた夕食を食べながら、質問をする。


「ん?」

「私が寝てた時に、三人でなにか話してなかった?」

「ああ、そのことか。怪我人の面倒をみているのが雛子さんだけだろ? 少しでも負担を軽くしようと、分担を決めていたのさ。まあ、それをするには、また彼らと交渉しなくてはならないから、絶対にイヤがられそうなんだけどね……」


 撃たれないだけマシかな?と、裕章さんが溜め息まじりに笑った。


「そうなの」

「そうだよ。それがどうかした? もしかして、僕達の手助けはいらないとでも?」

「そんなことはないわよ。手はいくらでも必要なんだから」


 聞こえていたのは、そんな話じゃなかったような気がするけれど、裕章さんがそう言うなら信じておこう。



 そして数日後の夜、ふたたび公邸内が騒がしくなった。

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