事件です!! 第六話

「夫人」


 山崎やまざき一尉の治療を手伝ってくれていた職員が、私に声をかけてきた。


「もしかして、手に負えない出血箇所があった?」

「いえ、そうじゃなくて。これ、見てくださいよ」


 そう言って彼女が差し出したのは、真ん中が大きくへこんだスマホだった。


「制服のポケットに、これが入ってました。服に穴があいているのに、どうして血が出ていないんだろうって不思議だったんですけど、これのおかげだったのかもしれませんね」


 つまり、彼の心臓を守ってくれたのは、この薄っぺらいスマホだということだ。


「本当に運が良かったわ。最近のスマホは薄いから、壊れそうで好きになれなかったけど、少なくとも山崎一尉のことは守ってくれたみたいね、見直したわ」

「山崎さんの怪我、どうやらお腹を撃たれたものと、頭と顔の擦り傷だけみたいですね」

「そうね。それが一番の困りものなんだけど……」


 狙撃をする場合、狙撃は、狙った相手の頭部を狙うと聞いたことがある。少なくとも私が見た限り、山崎一尉の頭には、銃弾による傷は見られなかった。額にある裂傷れっしょうは、倒れた時に床か壁でこすれたものだろう。そして意識を失っているのは、胸部を撃たれた衝撃と出血のためだと考えられる。


 山崎一尉の処置が終わったところで、他の怪我人を見て回ることにした。


 警備員が五名と、ここに押し入ってきた男達の仲間が二名。当然のことながら全員が、銃による怪我なので出血がひどい。ここにある道具で止血はできるけれど、完全に出血は止められない。事件が解決するまでは、何度も包帯を交換する必要があった。


「包帯がたくさんいりそうね」

「足りますでしょうか?」


 スタッフが横に置いてある包帯を見る。


「どう考えても足りそうにないわね。客室のベッドに使うシーツ、持ってきたでしょ? あれを使いましょう。細長く裂けば、それなりに使えるから」


 そう言いながら、私達を見張っている男に指をさした。


『あなた、ちょっと頼まれて』

『?』


 ゴーグル越しに私達を見ていた男が、首をかしげる。


『その腰に刺してあるナイフで、シーツをこのぐらいの幅に裂いてちょうだい。なにもしないで立ってるんじゃないのよ。ここにヒマ人は必要ないんだから』

「夫人、もう少しマイルドに頼んだほうが……」


 私の前にいた職員が、男の様子を恐る恐るうかがいながら言ってきた。


「怪我人がたくさんいて、治療でてんてこまいになっているのに、黙って突っ立ってるなんてありえないわよ。少なくとも、そこに横になっている二人は自分の仲間よ?」

「そうなんですけどね……」

『ほら、早く。自分のお仲間さんの傷口が、清潔に保たれなくてもいいの? ばい菌が入ったら、助かるものも助からないわよ!』


 男は少しばかり憤慨ふんがいしたような様子を見せながらも、シーツが置かれているところへと行き、それを一枚手に取った。そして銃を首にぶらさげたまま、ナイフをだしてシーツを裂きはじめる。


「なかなか器用ね」

「そこ、感心するところですか?」

「少なくとも、即席の包帯製造マシーンとしては、役に立ってるわよ」


 気に入らない存在だったとしても、そこだけは評価してあげようと思う。あくまでも、そこだけだけど。


「まったくもう、夫人ときたら。お医者様モードになると人が変わってしまうのは、どうしてなんでしょうねえ……」

「それは私が医者だから。山崎一尉の腹部の傷の応急処置は終了。可能なら輸血もしてあげたいんだけど、さすがにここでそれは無理ね……」


 額に手をあてる。熱も出てきた。容態が安定してくれたら良いんだけれど。


 それぞれの処置が一通り終わると、さっきの男がやってきた。怪我人を見おろし、状態の安定した人は、男性職員達が閉じ込められている部屋へと、つれていくように指示を出す。


『彼と、そこにいる二人はつれていかないで。私がしばらく付き添うから』


 山崎一尉と二人の警備員をここに残すように言い張った。本当なら、怪我をしている人は全員ここに留めおきたい。だけとそれは難しそうだ。だってここにいるのは診療所のスタッフではなく、公邸の職員なんだから。


 それでも心配で、運ばれていく先の部屋までついていくことにした。リーダーらしき男は、とっくに私に言うことを聞かせるのはあきらめたようで、特になにも言わなかった。


「急に熱が高くなったら知らせてね。あと、包帯の交換のしかたはわかってる?」


 怪我人を寝かす場所を作ってから、裕章ひろあきさんに申し送りをする。


「大丈夫だよ。なにかあったら、必ず雛子ひなこさんに指示をもらいに行くから」

「意識が戻っても、興奮させないでね」

「それもわかってる。僕は人をなだめるのは得意なんだ、心配ないよ」

「……それって、私のこと言ってる?」

「さあ、どうだろう」


 裕章さんは私に微笑みかけると、手をとって軽くたたいた。


「ああ、それと。みんなの食事を用意できることになりそうだよ。彼らを含めてね。とっくに昼すぎだし、お腹が空いてきただろう?」

「ああ、もうそんな時間?」

「空腹になると、人は凶暴になるっていうからね。もちろん昼食会みたいな豪勢なメニューは無理だけど、セルナ君と藤堂とうどう君が用意してくれるから、もう少し我慢してくれ」

「わかった。あっちのみんなにもそう伝えておく。……下剤げざいならあるわよ?」


 声をひそめて言うと、裕章さんは口元をゆがめる。


「ほらごらん、空腹になると凶暴になるだろ? もう少し我慢してくれ」

「……わかったわ。おとなしくしておく」

「頼むね」


 そして私は部屋から追い出された。


―― 一服盛ってやろうかしらって思ったけど、やめておいたほうが良さそうね…… ――


 我ながら良いアイディアだと思ったけれど、裕章さんは賛成ではなさそうだったし、あきらめるとしよう。



+++++



 それから数日。それぞれの怪我人の容態は、予断できないなりに安定していた。


 私は怪我人のことだけが気がかりで、公邸に押し入ってきた彼らが、なにを目的としてこんなことをしているか、まったく気にかけていなかった。ただ、食事を運んでくれるセルナさんによると、どうやらどこかのカルテルに雇われた武装集団で、刑務所に収監しゅうかんされている、彼らのボスの釈放を求めているということだった。


 だけど、この手の交渉はいっさいしないというのが、万国共通の政治的ルール。男達のリーダーが冷静なお蔭で、今のところ公邸内はそれなりに平和だけれど、これは長引きそうな予感……。


「日本政府は、どうするつもりなのかのかしらね」


 テレビも観ることができないから、一体どんな報道がされているか、さっぱりわからない。


「子供達、きっと心配しているでしょうねえ……」


 ここの職員全員が、それぞれ家族を持っている。日本に滞在している人もいれば、この国に一緒に来ている人も。きっと今頃は、全員、気が気じゃないだろう。


「山崎一尉の奥さん、具合が悪くならなければ良いけれど……」


 意識が戻らないままの、山崎一尉の額に手をあてる。熱は下がっていないけれど、昨日より呼吸は落ち着いていた。


 カーテン越しに、窓の外が明るくなってきたのを感じたころ、セルナさんがいつものように、食事を運んできてくれた。その後ろから裕章さんも入ってくる。


『おはようございます、奥様』

『おはよう。ところで公邸の備蓄庫、そんなに食料が保存してあったかしら?』


 私の質問に、セルナさんと裕章さんが顔を見合わせて、にっこりと微笑む。裕章さんは、セルナさんが食事を配っている間に、私の横に座って説明を始めた。


「昨日の夕方、警察との交渉がおこなわれてね。数日分だが、その日のうちに運び込まれたんだ」

「そうなの? だったら……」

「医療品に関しても手配したよ。昼前に、雛子さんの診療所のスタッフが届けてくれる。赤十字って話もあったんだが、気心の知れたスタッフのほうが、よく分かっているだろうからね」


 そこで裕章さんは、真面目な表情をした。


「それと、職員のうち女性だけは解放するようにと、警察が交渉を持ちかけたらしい」

「認められたの?」

「彼等の様子を見ている限り、難しそうだけどね。彼らはその条件として、幹部一人の釈放を要求したから」

「もし、それが認められたとしても、怪我人が一緒に出られないなら、私はここから離れませんからね」

「そう言うと思ってたよ」


 私の答えに、裕章さんがにっこりと微笑む。


「山崎一尉達の具合はどうだい?」

「今のところは大丈夫。三人とも出血はおさまってきた。だけどかなりの量が流れてしまったから、新しい血液を入れてあげないと、容体は安定しないと思うの」

「さすがにここで輸血は難しいね。なんとか頑張ってくれると良いんだが」


 夕方になって、診療所のスタッフが、治療器具を持って公邸にやってきた。


南山みなみやま先生、大丈夫ですか? お怪我は?』

『私は大丈夫。腹を立ててるから、少し血圧が上がってる程度だと思うわ。それより怪我人のほうが心配』

『用意できそうなものは、可能な限り持ってきました。入口でチェックされましたけどね!』


 玄関口で、治療器具で武器になりそうなものがないか、チェックされたらしい。


『あと、普通のお薬も持ってきました。頭痛の薬と胃の薬。それと、心配はないと思いますけど、風邪薬も』

『ありがとう、助かるわ』

『先生、押し入ってきた人達の治療もしたんですか? 武器を持ってる人の中に、包帯を巻いてる人がいましたよ』

『それが、この人達を治療する条件だったから』


 そう言って、横たわっている怪我人を手で示す。


『まったく腹立たしいですね。あ、すみません、五分だけって言われたんです。先生、私達、怪我人さんを診療所に受け入れる準備をして、外でお待ちしてますから!』

『ありがとう。診療所のほうに、別の急患が来たらよろしく頼むわね。自分達の手に負えないようなら、遠慮なく軍病院のほうに連絡して、受け入れを頼むように』

『はい!』


 診療所に関してあれこれ指示を出してから、スタッフ達を送り出す。その医療スタッフの中に、運転手のダビさんがいたことに気づいたのは、ずっと後でのことだった。

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