第十六話 仕事納めの日は意外と忙しい

 十二月に入ると、ちょっと早めの忘年会や、一杯ひっかけて冷えた体を温めて帰るサラリーマンさん達が増えてきた。それに比例して、うちの病院にも急患として運び込まれてくる、はた迷惑な酔っ払いさん達も増えてきた。ちょっとした師走しわすの風物詩なんだそうだ。医者としては嬉しくない風物詩だけど。


 そして年の瀬も押し迫った仕事納めの日。この日は、一年最後の仕事を終えて社畜生活から解放されたせいか、ハメをはずしすぎて大怪我をしたり、意識を無くした酔っ払いさんが多くて、救急外来は大変なことになっていた。


「あれ? 東出ひがしで先生はどうされたんですか?」


 研修までの空き時間に助っ人を頼まれて顔を出すと、救命救急は運び込まれた患者さんの他に、患者さんのつれや付き添ってきたお店の人、さらにはお巡りさんまでいて大混雑だ。そんな中、いつもならそのへんで熊のようにそびえ立って、この場の指揮をとっている先生の姿がないことに気がついた。不思議に思い、通りかかった看護師の吉永よしながさんにたずねる。


「今日からお休みなんですよ」

「へえ。いつもの年末年始は、休まないでここで年越ししてるんですよね?」

「そうなんですけど、今年は南雲なぐも先生も来てくれたし、たまにはちゃんと休みを取ってくださいって、事務長に無理やり休みを入れられちゃったんですって」


 それでもさっきまでは居座っていたんですよと、おかしそうに笑った。本当はそのまま残って仕事をするつもりでいたらしいのに、事務長がやって来て、東出先生の姿を見つけると、無理やり追い出したらしい。


「今頃はどこかで、盛大に文句を言ってるんでしょうね。目に浮かびます」

「怪しすぎて、駅前の交番のお巡りさんに、職質を受けなければ良いですけど」

「とにかくお手伝いします。指示もえらますか?」

「お願いします」


 それからしばらくして。


「あれ、東出先生?」


 診察室にのっそりと現れた影に、皆が顔を上げる。そこにはいつもの白衣とは違って、厚手のコートを着た東出先生が立っていた。しかも、くたびれた背広姿のおじさんを肩に担いでいる。こういう姿を見ると、東出先生って医師と言うより、警察官か消防隊員か自衛官、とにかくその手の職業の方が似合っているように思う。


「なんで戻ってきたんですか……っていうか先生、頭から血が流れてますよ!」


 吉永さんが、慌てた様子で先生に駆け寄る。そして、先生が担いでいた背広姿のおじさんを引き受けるようにと、若い先生に指示を飛ばした。さすが救命救急で百戦錬磨ひゃくせんれんまの看護師として、東出先生を支えている吉永さん。こういう時は、ちょっとした鬼軍曹並に迫力がある。


北川きたがわ先生!」

「は、はい?!」

「この酔っ払いさんの処置はこちらでしますから、東出先生の方をお願いします」

「あ、はい」


 吉永さんの指示にうなづくと、こっちへと押し出されて憮然としている東出先生のところに、パイプ椅子を持っていった。


「先生、こんな椅子で申し訳ないんですけど、ここで治療しますから座ってください」

「俺だって医者だぞ。しかもここの主任だって言うのに、なんなんだこの扱いは」


 先生が文句を言っているのは、パイプ椅子に座らされることではなくて、自分がここまで担いできたおじさんの、処置をさせてもらえないことについてだ。


「しかたがないですよ、先生だって怪我しているんだし。それにお休み中でしょ? 今のここの責任者は南雲先生と吉永さんですから、二人の指示には、おとなしく従うしかないんですよ」

「だからと言って、犬のように追い払われるのは気に入らん」


 たしかに吉永さんは、こっちに先生を押し出す時に、シッシッと言う感じで手を振っていたっけ。


「まあまあ。怒ったら血圧が上がって、出血が酷くなるから落ち着いてください。まずは傷口を見せてもらいますね…………あの、先生」

「なんだ」

「もうちょっと背を屈めてもらえませんか? 先生の背が高すぎて見えません」

「まったく……」


 ブツブツと言いながら、私が頭の傷を見られるようにと、座って前かがみになってくれた。血で濡れているところをかき分けて行くと、パックリと開いた傷口が見つかった。これぐらいだったら、三針か四針ぐらいでふさがりそう。


「一体どうしてこんなことに?」


 ガーゼで血を拭き取りながら質問をする。


「駅前の歩道橋があるだろ。あそこの階段を上がろうとしたら、上からあのおっさんが降ってきた」


 そう言って、呂律ろれつの回らない口調で周囲に文句を言っているおじさんを指でさした。


「それで受け止めちゃったんですか?」

「避けようにもあの狭い階段では、行き場がなかったんだよ」


 で、酔っ払って階段を踏み外して落ちてきたおじさんと、仲良く一緒に転げ落ちてしまったということらしい。


「災難でしたね。せっかくの早上がりで、明日からお休みだっていうのに」

「まったく。めったにしないことをすると、ロクなことがないな」


 やはり休まずにここにいれば良かったと、腹立たし気な溜め息をついている。東出先生らしい言い分に、思わず笑ってしまった。


「それで? その傷に対しての、北川先生の見立てはどうなんだ」

「何針か縫うことになるでしょうね。ホッチキスという手もありますけど、どっちが良いですか?」

「お前の判断で好きにしろ」


 東出先生はおじさんが大声でわめいているのを見て、あの酔っ払いの口こそ、ホッチキスでふさいでやれば良いのにと、医者らしからぬことを言った。


「麻酔はどうしますか?」

「麻酔をするのにも痛いんだ。どうせ痛いんならそのまま縫え。ホッチキスも同様だ」

「良いんですか?」

「かまわん」

「じゃあ、麻酔なしで縫いますね」


 糸と針の用意をする横で、東出先生がなにやらブツブツと言った。


「なんです?」

「まさかお前に縫われる日が来るとはな」

「私だって、東出先生の頭を縫う日が来るとは、思っていませんでしたよ。大丈夫です、教授からも西入にしいり先生からも、ほめられていますから」

「……それはそうと、内科勤務のお前がどうしてここにいる?」


 髪の毛をクリップで止めると、さっそく縫う作業に取り掛かる。途中で東出先生が、いまさらのような質問してきた。


「え? 酔っ払いさんが大漁で大変そうだから、手が空いているなら、少しの時間だけでも手伝いに行ってくれって」

「誰がだ」

「えっと、そのへんを散歩していた理事長先生から……」

「ったく、あのタヌキ親父は……いてっ!」


 いきなり東出先生が動いたものだから、傷口を針でついてしまった。


「もう、じっとしてないからですよ、先生。動かないでください」

「……すまん」


 先生がおとなしくなったところで処置を再開する。思っていたよりも傷が大きくて、結局は五針も縫うことになってしまった。だけど出来栄えは自分で言うのもなんだけど、なかなかだと思う。


「終わりました」

「見せろ」

「見せろって、また無茶なことを言いますね」

「たしかそのへんに、デジタルカメラが置いてあっただろ」

「ああ、ありましたね」


 たまに、事件か事故か分からないような状態で運び込まれてくる患者さんがいて、そういう時は後々のために、写真で記録を撮っておくのだ。


「待ってくださいね。カメラ持ってきますから」


 仮眠室の棚に片づけてあったカメラを持って戻ってくると、パイプ椅子に座っていたはずの東出先生の姿がない。どこにいるかと言えば案の定だ……。


「やっぱり……」


 もう自分が怪我をしたことを忘れて、治療をしている研修医の子達にあれこれとダメ出しをしたり、指図をしたりしている。その横で吉永さんが呆れた顔をしていた。


「まったく東出先生、怪我人はそっちじゃなくてこっちですよ」


 コートの袖を引っ張って、そのままパイプ椅子まで引きずっていく。不満げな東出先生を椅子に座らせると、カメラで傷口の写真を撮った。そして撮った写真を画面に出して差し出す。


「どうですか?」

「……お前、写真を撮るのが下手だな」

「放っておいてください。大事なのは傷口の縫い目でしょ。で、いかがですか?」

「まあまあだな。一応は合格だ」


 つまり、きれいに縫えているということだ。


「しばらくはシャンプーできないですね」

「こればかりは我慢するしかないな」


「こりゃあ、にぎやかなことだ」


 呑気な声がして、西入先生が顔をのぞかせた。どうやら先生も、理事長先生から助っ人を頼まれたらしい。西入先生は座っている東出先生の姿を見て、怪訝けげんな顔をした。


「君はなにをやっているんだ? 休みなはずだろ」

「俺も満員御礼の一人だ」

「歩道橋で、酔っ払いオジサンと一緒に、階段から落ちたそうです」

「そりゃ大変だ。大丈夫なのか?」

「いま北川に治療してもらった」


 そう言いながら、傷口を指でさす。


「どれどれ?」


 西入先生が近寄ってきて、傷口をのぞきこんだ。


「どうです?」

「よくできているよ」


 こちらからも合格点をもらえて一安心。


「さて、せっかく戻ってきたんだ。やはり俺も手伝おう」


 椅子から立ち上がった東出先生の言葉に、その場にいた全員が「とんでもない」の大合唱。さすがの東出先生も、これには困った顔をして、その場に立ち尽くしてしまった。


「どうしてもここに残りたいと言うなら、そこでふんぞり返ったままで指示を出せばいい。追い出されたくなかったら、おとなしく座っていることだね。君も怪我人だということを忘れないように」


 西入先生が妥協案を提示する。


「なんで……」

「それに従えないなら、椅子に縛りつけてそのまま外来の待合室に放り出すけど、それでも良いのかい?」


 ニコニコしながら言っているけど、西入先生は本気だ。東出先生がおとなしくしていないなら、本当に椅子にグルグル巻きにして、廊下に放り出してしまうだろう。


「ここの主任は」

「ああ、ここの主任は君だってことは、皆が分かっているよ。だが今の君は怪我人で休暇中の身だ。それでも偉そうに座って指示することを認めてやってるんだから、ありがたいと思いたまえ。北川先生、そこでそいつを見張っててくれ」


 そう言って西入先生は、新たに運び込まれてきた患者さんのところへと行ってしまった。


「あーあ。私まで治療の輪から、追い出されちゃったじゃないですか」

「俺のせいかよ」

「東出先生以外の誰のせいだと言うんですか」

「……」


 それからしばらく先生は、指導中の研修医君達の動きを黙って見つめていた。


「で?」

「はい?」

「あの盲腸さんとやらとは、どうなってるんだ」


 なにを言い出すのかと思えば、東出先生まで。


「まあそれなりに、お付き合いを続けていますけれど」

「たしか、外務官僚だったよな」

「そうです」

「ってことは、いずれは外国に赴任することになるかもしれないんだな。そうしたら北川、お前はどうするつもりだ?」

「どういうことですか?」


 質問の意味が分からなくて、首をかしげてしまった。


「海外赴任をすると、五年から六年は日本に戻ってこれないらしい。もし、任地についてきて欲しいと言われたらどうする? 医者としてのキャリアを捨ててあいつについていくか?」

「それは……」


 本当の意味で恋人になったのはつい先日のことだったし、正直言ってそんなこと考えたこともなかった。東出先生は怪我をしていない側の頭をかいて、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。


「いや、すまん。知り合いに似たような境遇のヤツがいるから、ちょっと気になっただけだ。忘れてくれ」


 そう言って椅子から立ち上がる。え、ちょっと、なんでそこで立ち上がるんですか?


「もう我慢できん。この程度の患者に、どれだけ手を取られているんだ、お前達!」


 そう言いながら、治療をしている研修医君達の方へと大股でノシノシ向かっていく。そんな東出先生の様子に、吉永さんも西入先生もやれやれと首を振るばかりだった。

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